第14話 勢い

「大層な口ぶりで、言いたいことだけ言いやがって。一体何だってんだ」


 俺は心の中で、その者にグラサンと名付け、小さな憤りを感じている自分に気が付いた。しかし、俺の事情を知っていたことからすると、今まで出会って来た者の比ではないほど、俺と関わりが深いことは確かだ。


 きっと、その内にどこかでまた会うこともあるだろう。その時までに、俺はこの状況について、より深く理解を深めておかなければならない。


 現状、全く手掛かりのない状態では、奴の正体を掴むことは不可能だろうと思われた。今、差し当たって大事なことは、あの絵に触れたことで、俺にどういう変化が起きたのかを確かめることだ。


 もしかすると、俺もグラサンのように、例えば絵画の中に潜むような能力を習得したのかも知れない。ならば試した方が早い。俺は手近な絵に触れて、よく分からないままに気合を込めた。


 するとどうだろう、先ほどまで全く俺に無関心だった者達が、俺を見て何事か囁き合っている。まあ、要するに何も起こらず、結局、俺はただの変人というレッテルを貼られてしまっただけだった。


 俺はいたたまれなくなり、その場を後にした。


 その日も、宮中では様々な所で下級神が努力していた。こうしてみると宮中は全く穏やかで、争いのかけらもない。


 それだからこそ、俺はふと初日に出会ったルルジとかいう悪相を思い出し、密かな怒りを呼び起こしてしまった。だが、それは何かの導きだったのかも知れない。


 俺はルルジの姿を通路の彼方に発見してしまった。


 俺は改めて奴と俺とのかかわりを考えた。神々は大まかに下級、中級、上級、そして特級と別れているが、その中でも更に階級の隔たりがある。


 低級神の中で、俺は最下位で、そしてルルジたちはその一つ上だ。俺を取り巻く者達はみな、その位置合いにある。ルナータ、レヴォンも俺より偉いことになるが、彼らはそういう態度はおくびにも見せない。


 そして、どうやら俺の階級とは、急造されたものであるらしい。それが人間を管理していることと関係があるのかも知れないが、まだ詳しいことは分からない。


 ただ、つまり、意図的に見下されるべき階級が俺の為に設けられたことになる。誰が、なぜ、何の為に? それもまた、俺がいつの日か解き明かさなければならない謎だった。


 しかし、今はあのルルジに対処しなければならない。先日の件で、奴はデシフェルに何かしらの叱責を受けたかも知れないし、受けなかったかも知れない。ただ、いずれにせよ俺は周囲に誰の目がないことを良い事に、奴の腹を殴り付けたのだ。


 俺は咄嗟に身を隠そうと考えたが、生憎と周囲には柱しかなかった。だが贅沢は言っていられない、俺は柱の裏に抱き着くようにして身を潜め、このまま隠れてやり過ごそうと、ルルジが通り過ぎるのを静かに待った。


 だがその時だ。俺と奴との距離が近付くまでもなく、奴は遠目に俺を見付けてしまった。間には柱があるはずだ、この状況で目が合うのはおかしい。しかし奴はそのまま通り過ぎ、特に大きな騒動には発展しなかった。ルルジは舌打ちを一つしただけで俺の脇を通り過ぎていった。


 俺は狐に抓まれたような奇妙な感覚のまま、その場にぼんやりと立ち尽くしていた。


「おう、ドルンドルン。何をしてるんだ?」


「あ、ああ、レヴォンか」


 どうやらどこかの部屋での講義が終わったのだろう、通路の右手から多くの神々が連れ立ってやって来る。その中にレヴォンの姿があった。


 レヴォンは柱に手を掛けて呆然としている俺を見て、怪訝けげんな表情で声を掛けて来た。いや、思えばそれもおかしいのだ。柱越しに目が合い、そのまま会話が成立している。


 俺は柱から手を放し、そして通路側へ一歩足を踏み出した。レヴォンも柱を挟んで同様の行為を行う。俺たちは廊下脇で顔を突き合わせた。


「そうだ、昨日はルナータと出会えたか? 彼女、今日はちょっと機嫌が良さそうに見えたけど」


「あ、ああ、お陰様で」


「しかし、お前は全く自由そうで羨ましいよ」


 皮肉のように聞こえるが、レヴォンからすると、俺は理由もなく柱の裏に潜んでいたのだ、その指摘はもっともだと思われた。


 俺たちは連れ立って手ごろな部屋へ向かった。その間、レヴォンはあれやこれやと口を動かしていたが、俺は話がどことなく頭に入って来なかった。


 俺は柱と俺の挙動、その関係性を考えていた。


 柱はちょうど俺を覆い隠す程度の大きさで、大理石などの石材で出来ている。ヨーロッパ風の巨大建築において、よく見る立派なもので、普段の生活ではなかなかお目に掛かれないようなものだ。


 俺は確かにそれの裏に身を隠した。だが容易くそれを見破られた。まるで、柱がなかったみたいに。




― ― ―。




― ― ― ― ― ―。




― ― ― ― ― ― ― ― ―。




 瞬間、グラサンの言葉が脳裏にひらめいた。


「期待を与え、そして絶望を齎し得る力」。


 そして、俺はある可能性に思い付く。


「……ま、まさか!」


 俺は興奮をあらわに、思わず音を立てて唾を飲み込んだ。


「お、おい、どうしたんだ」


 レヴォンからすると訳が分からないだろう。突如、目の前の男が興奮した様子で、肩を持ち上げるほどに、激しい勢いで唾を飲み込んだのだ。


「レヴォン。これまでに……、いや、すまない、良い例えが思い浮かばない。すまんが失礼する!」


 もしかすると、グラサンは俺と同類なのかも知れない。だが、奴が何に絶望しようと、俺はそんなことで腐る訳にはいかない。


 要は使いようだ。そして、何より勢いが必要になる。気持ちが萎えていては、あらゆる事象が上手くいくはずがない。繰り返すが、何事においても、行動するには勢いが大事なのだ。


 俺は自らの胸の辺りに手を当てて、俺自身が透明になるイメージをした。


 部屋を出ると俺は慌ただしく左右を見回した。そして女性の後姿を発見すると、足音を消してその背後にぴたりと張り付く。


 相手の顔は見えない、小柄の女性だった。普通なら完全に俺の行動はアウトだが、しかし姿が見えないというのなら、その心配はない。人類の半分にとっての長年の夢が、今、果たされようとしている。俺は先駆者としてそれを果たそう。


 そう、俺がグラサンから授かった能力とは、俺が手を触れ、姿を消すべく意識した時、その対象を周囲の意識から除外するものだったのだ。まあそういうものだろう。確証はないが、事象からするとそれで間違いないはずだ。


 だが、それを検証する余裕など、誰が持ち得るだろうか。俺はあふれる衝動を前に、自らの行いを止めることが出来なかった。


 俺は息を荒げながら、半ば冷静さを欠いたままに、女性の後を追尾した。しかし、ふとした違和感が俺の中で首を擡げた。


 思わず飛び出して、こうして背後に付けてみたが、ストーカーの真似事をして何になるのだろうか。後を付けて部屋に入る? どこかで隙を見て飛び掛かる? それは何かが違う気がする。


 だが、俺は興奮を抑え、僅かに気持ちを落ち着けたが、色欲が完全に消えた訳ではない。欲望をコントロールする方向に舵を切ったとはいえ、僅かなタイムラグがあった。この至近距離、女性の芳香を前に、さすがにすぐに立ち止まることは出来ない。


 そう、今更もう遅いが、無意識に俺の色欲が発動してしまったのだ。


「あうんっ……」


 女性が何事かあえいだ。俺はその反応、及び声に思わず身をけ反らせ、素早くその場から距離を置いた。

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