第4話 ドルンドルン邸の秘密の鍵

 だが、それだけではない。記憶の波が引くのと同時に、俺は自分の中に鮮烈なイメージが流れ込んで来るのを感じた。


 今まで、俺は俺の意思で、一方的にドルンドルンの記憶に語り掛け、そして答えを得ていた。その関係性が、一瞬とはいえ全く異なるものに変容したのだ。


 それはおよそ、今まで生きて来た中で経験したことのない、頭の中を激しくき混ぜられる強烈な不快感。


 俺は俺が俺じゃなくなっていく感じがした。


 体が脳の信号を拒絶する。意識はあるのだ。しかし思考能力は大きく低下し、半ば放心していた。俺は何かに操られるように、レヴォンに何も告げることもなく、駆け出すようにその場を後にした。


 それから、遠くなく意識の大半を取り戻したのだが、体は依然として勝手に動いていた。肉体の諸感覚はなく、映像を見ているように、視界だけが変化していく。


 レヴォンの前から立ち去って、その後、どこをどう移動したかは分からない。無我夢中、という表現にも近いかも知れないが、明らかに、何か別のものが俺の体を動かしているようだった。


 大きな鉄の門扉が目に入る。門をくぐり、小さな庭を抜けると石造りの屋敷に辿り着く。恐らくドルンドルンの家だろう、派手さはないが堅実な造りだ。戸を開けると、室内には自然光のような優しい光が満ちている。俺は廊下を抜けて奥の一室へ向かった。


 部屋の一角にはタペストリーが掛かっていた。雄大な大自然を背景に、荘厳な神の姿が描かれている。


 俺はタペストリーを前に、体を旋回させて左方へ向かった。そこには観葉植物があった。俺はおもむろに屈みこんで、鉢をずらす。そこには小さな金色の鍵が置いてあった。


 何の鍵かは分からないが、まさかそんなところに隠すとは、全く人間染みている。俺はドルンドルンに対して親近感を覚えずにいられなかった。


 神々というからには、例えば空中に手を伸ばし、どこか別の次元から取り出すような芸当が飛び出すのではないかと思っていたが、過剰な妄想だったのだろうか。


 その後、俺は再びタペストリーの前に身を戻し、端をそっと持ち上げた。すると、その裏に小さな扉が隠されていた。俺はためらわず、先ほどの鍵を使って扉を開く。


 扉の向こうには、鮮やかな青緑色に輝く、奇妙な平面があった。水面みなものように微弱に揺れ動きながら、表面に星のような無数の輝きをちらつかせている。奥は見えない。身を寄せると、体が吸い込まれるような感覚があった。


 俺は屈み込むと、その中に身を滑らせるようにして飛び込んだ。




― ― ―。




― ― ― ― ― ―。




 俺の視界は膨大な光で埋め尽くされた。次第に目がなじんでくると、そこには悠久の大地が広がっていた。


 無限に広がる草原と青い空が続いている。しかし、俺はその不自然な静寂に戸惑いを覚えた。その美しい光景の中には、いかなる生命の息吹も感じられないのだ。全てが動かず、まるで時間が止まっているかのようにも感じる。


「これは……」


 瞬間、俺の中に新しい信号が宿った。それはドルンドルンのものではなさそうだった。上手く表現することが出来ないが、もっと無機質的で、機械的な響きを持っていた。


「ここは自由の世界。あなたの思い通りに、いかなる用途にも使うことが出来る」


 俺はその光景を目の当たりにしながら、その言葉を反芻はんすうしていた。この世界は、いわゆるプリセットとして、これらの自然条件が与えられており、俺の意思次第で、どうような形にも変化し得るという。


「はは、これこそ、神の仕事じゃないか」


 俺は興奮を隠せず、思わず声に出した。しかし、どうしてドルンドルン邸にこのような代物しろものがあるのだろう。


 だが、考える内に俺の興奮は鳴りを潜め、俺は別の考えに思い至っていた。


 もしかすると、このようなものは、下級神を含む神々それぞれに与えられており、それこそ彼ら神々にとって、一種の気晴らしに過ぎないのかも知れない。ここでの出来事は実世界に干渉出来ず、世界をただ一人で創造して、破壊して、それで終了ということだ。


 もしそうだというのなら、それは神々のゲームとでも呼ぶことが出来るだろう。


 それならば、ドルンドルンのような下級神の元に、このようなものが存在することも十分に説明が付く。同時に、入口が隠されていたことも納得できる。


 きっと、ドルンドルンもこの世界を用いて、何か良からぬことを考えていたに違いない。それが性癖に由来するものだとしたら、それは確かに隠されて然るべきだ。


 俺はそれだけを自分に納得させると、その場を後にしようとした。しかしその時、ふと生暖かい風が首元を撫でていくのを感じた。


「ドルンドルンよ、よくぞ戻った。何かしらイメージは思い付いたのかい」


 俺は聞き慣れない声の出現を前に、はっと振り返った。


「な、なんだ……?」


 そこには三十センチくらいの妖精らしきものがいた。青く透き通るドレスを纏った、女性型の妖精が、軽やかに空を飛んでいる。姿は小さいがプロポーションは悪くない。自然な調子で浮遊しているが、羽はなく、それは魔法のようであった。


 呆気にとられる俺を前に、妖精は言葉を続ける。


「うん? 何か考えがあって訪れた訳ではないのか。早く私に仕事を任せるが良い」


 既に俺の中からドルンドルンの記憶は消え失せている。もはや、俺は何者にも頼れない、非常に心細い心境にあった。


 妖精は俺を見ても嫌味な素振りも示さず、雰囲気だけを見ると好意的であるようにも見えた。


 俺が戸惑っていると、その妖精は何かに気が付いたかのような表情を浮かべて、音もなく俺に接近した。そして、探るように俺の周りを飛び回る。


「あ、なんか違う……? さては誰かが化けてるな。えいっ」


 妖精はきっぱり言い放つと、めちゃくちゃな軌道で俺に体当たりをし始めた。上下左右から緩急を付けて接近し、蹴る、殴ると、実に好き勝手をする。一撃一撃はそれほど重たくないが、小さい手足がピンポイントで直撃するせいだろう、稀に痛みを感じる箇所もある。


「やめろ、やめてくれっ」


 俺は散々に逃げ惑うが、妖精はつきまとい、手加減のない攻撃を加え続けた。だが、やがて。


「おうっ……!」


「あっ……」


 妖精のでたらめな攻撃が、俺の股間を直撃した。俺はたちまちその場に崩れ落ちる。さすがにその様子を哀れんだのか、妖精は同情の眼差しを俺に投げ掛けながら、途端に大人しくなった。


「あ、知ってる、それって凄いきついんだよね……、何か、ごめん……」


 俺はうっすらと目に涙を浮かべて、妖精を見つめ返した。グリーンのストレートヘアに、くりっとした柔らかい瞳、白く透き通る肌、透けたドレスの下に見える、白銀のレオタード。姿は小さいが、出る所は出て、引く所は引いている。その様を見ていると、気持ちが昂り、徐々に痛みが引いていくようだった。


「で、でもあんたが悪いのよ、早く正体を現しなさい!」


 俺は未だ悶絶もんぜつしながら、声と知恵を絞り出した。


「……話す。話すけど、君がそう小さいと、調子が狂ってしまう。俺は妖精なんて見るのは初めてだからさ。そうだ、お、大きくなれないのかい……?」


「出来ないことはないけど、ダメ! 疲れちゃうから」


 無慈悲な沈黙が流れた。俺の無念が空気に溶け込んでいくようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る