第3話 ドルンドルンの消失?

「も、申し訳ありません」


 俺はぶつかったことを謝りつつも、改めて苦しそうな咳をして、腹を押さえて壁に手を付いた。デシフェルは角の向こうに目線をると、そこにルルジの姿を認めて、頼もしい声で「なるほどな」とつぶやいた。


 ラッキースケベはないが、運はあるようだ。俺はデシフェルによるルルジへの叱責しっせきを予測すると、顔を下げたまま、にやりと微笑ほほえんだ。溜飲りゅういんが下がると同時に、デシフェルへの信頼が急上昇していく。


「後は任せな。少なくとも、宮中は平和であるべきだ」


「あ、兄貴……」


「うん、何か言ったか?」


「い、いえ、それでは私はこれで」


 面倒はご免だ。俺はゆっくりと歩きだし、デシフェルの姿が見えなくなった所で、背後を気にしつつも、速度を上げてその場から離れた。だがその矢先、次の角を曲がった所で、またしても何かにぶつかってしまった。


 今度の胸は小振り、身長もそれほどではない。


 俺は前を向きながら、まずは胸を見て、視線を持ち上げて、顔に焦点を合わせた。悪い予感はしていたが、そこにはルナータがいた。俺の視線の意図に勘付いたらしく、顔は真っ赤だ。無論、恥じらいなどという可愛らしいものではない。


「ハァッ、ほんと何なのアンタッ!?」




― ― ―。




― ― ― ― ― ―。




 神々の仕事は多岐たきに渡るが、概ね地上の安寧秩序あんねいちつじょを維持することのようだ。立場や役割はその為に存在し、宮殿内には様々な身分の神が生活していた。神々というのは一種の共同集団であって、俺たちのような下級神は想像以上に数が多い。


「おう、ドルンドルン、元気か。うわっ、何だお前っ!?」


 下級神とはいえ神の端くれ、傷の治りは早いが、それでもこの頬の腫れはそう簡単には引かないだろう。


 とある部屋の一室、俺はようやく心を許せそうな者に出会えた。名をレヴォン。取り立てて特徴はなく、デシフェルのような頼り甲斐はないが、同時に害もなさそうだった。


 しかし、レヴォンと向き合っている最中、俺はどうにも居心地の悪さを感じていた。というのも、こうして部屋の一室の端に大人しく腰掛けているだけだというのに、室内の数人から冷たい視線が向かい来るのだ。


 俺が視線を向けるとさっと目を逸らす者が多いが、中には終始に渡り、にやにやしている奴もいる。


 レヴォンのように理解がある奴もいるが、どうやらドルンドルンは下級神たちの中でも特に疎まれているようだ。人間を管理するということ、その役割がこの上なく汚れ役であるらしい。


 俺自身、これまでの人生において、疎外されることがなかった訳ではない。しかし俺の信条は日和見ひよりみであって、どこにいても波風立てぬよう、辛抱強く生きていた。その為に、会社では便利屋の如く使われ、社内の内外を問わず、うやまわれることもなく、残業もいとわないロボットのように使役されていた。


 それはそれで辛いものがあるが、しかしこれはどうだろう。俺は特段、人間の尊厳などと大きな題目で語ることはないが、それでも思う所はある。詳しい事情が分からないにしても、人間の存在そのものを侮辱ぶじょくされているようで面白くはない。


「なあ、俺たちの仕事に意味はあると思うか」


 俺はふとした拍子にレヴォンに問いかけた。それはドルンドルンとしての問い掛けでもあり、俺自身、風好フーゴとしての問い掛けでもあった。


「意味なんてないさ、与えられた役割があるからこなす、それだけだ」

「ま、まあ、そうかもな」


 レヴォンからは差し障りのない返答が飛んで来た。もう少し含蓄がんちくに富んだものが返って来るかと期待していたが、虚しくもその期待は裏切られた。仕方なく俺も同様の返答をした。


 それは神も人間も変わらないのだろう。信念などというものを持って生きている奴は、もはや、どこにいても疎んじられる世の中になってしまった。結局、何かの傘下に入って、その中で小さい渦に飲まれながら、苦しみながらたまに楽しんで、流れていくのが楽だと、もう魂にまで染み込んでしまっている。


 現代社会は、熱意や情熱なんて言葉とは、とうに縁を切っている。どこかに情熱的な人物がいるとしても、結局その裏で、打算や利己的な思考を巡らせている。心底にある冷えた精神で、他人をあざけっているのだ。


「ドルンドルン、お前、何か変じゃないか?」


 何気ない会話の最中、俺を見るレヴォンの目が僅かに鋭さを増したような気がした。この男は一見するとぼうっとしている。だが、得てしてこのような者が何かを企んでいることはよくある話だ。


 俺は鼓動の高まりを感じた。俺がドルンドルンではないと、ばれてしまったのではないかと感じたのだ。


 これまでの状況から、神という身分の割に、ドルンドルンが好ましい立ち位置でないということは理解できた。だが、それは少なくとも神々という存在であることから、俺の元の人生よりは、恵まれているはずだ。


 いかなる偶然が存在しているにせよ、せっかく我が身に訪れたこの状況を、俺は逃がしたくはなかった。


 もし、俺がドルンドルンではない、ただ一介の人間だとばれたら、果たして俺はどうなるだろう。本来、保護されるべきものが保護者を気取っているのだ、少し考えただけでも好ましいことではないと判断が付く。


「俺はいつも通りだぞ」


「なんかなあ、変わったっていうか。……違うっていうか」


 思えば、俺はドルンドルンの人となりを知らない。さきほど、拭き上げられた窓や、鏡のような大理石を通して容姿は垣間見た。俺はこうして、レヴォンの外見に対して特徴がないだとか、頼り甲斐がいがなさそうだとか、勝手な感想を抱いているが、はっきりいって俺もそれと変わらない。


 ドルンドルンは軽めの天然パーマだった。髪色には少しだけ茶色が入っているが、それ以外は人間の俺とそう違わない。イケメンでもなければ筋肉質でもなく、中肉中背の平均的な男性だ。仮に、俺たちが何かの物語の登場人物だとして、ルックスだけで見れば、互いにモブの判定を受けることは避けられないだろう。


「まあ、気分で落ち込んだりすることはあるだろうさ。それより、少し気になっていることがある。一つ教えて欲しいんだ」


 俺は強引に話題を転換した。この手の相手は、得てして突っ込んだことを聞いてくることはない。下手な疑惑を持たれる前に、先手を打って相手の意識を変えなければならない。


 俺はレヴォンに対し、思い切って、人間とはどういうものなのかと尋ねようとした。俺自身、ここまで人間が卑下ひげされる理由が見当たらないのだ。


 それにあたり、この世界における人間というものが、果たして俺の知る人間で間違いがないのかと、ふと脳内で情報を照会しようとした。


 しかし、その時だ。


 俺は自身の中に、途端に形容しがたい恐怖心が芽生えていくのを感じた。それはある意味で予言であり、そして覚悟であった。


 俺はこれまで、ドルンドルンの記憶に触れようとした時、問いを投げる自分と、そして答えを返してくれる人物の像を思い描いていた。そのやり口にも少しずつ慣れ始め、後でじっくりと、この世界について知識を増やしていこうと考えていた。


 しかし、不意に、その相手の像が、このタイミングで急速に色褪いろあせ始めたのだ。それは、俺の中から、ドルンドルンの記憶が消え始めていることを示唆しさしていた。

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