第10話 神話の終わり 

王権の譲渡それが神託として世界に発布されたと同時に私を包んでいた魔女への妄執は消えていた。

民草からは怨嗟の声がやむことはない。

私は二度目の王国の失敗より、苛烈に敵を攻め続けた。

監禁し、拷問し、手足を断ち切り、みじめな姿を晒し続ける重罰を我が意に沿わぬ者に課し続けた。

その対象は、民草へも徐々に伝播していき、すべての憎悪を私に、私の死を望むように操作してきた。

王権を譲渡されたからと、私と魔女の契約は反故にはならないようで、すべての人間が人に死という終わりを望ませることは必要であった。


私は狂信者の仮面を引き続きかぶり続ける必要があった。

私は効率的に人を監視する社会を構築し密告制度、身分制度を制定し側近以外の善良なものを罰に嵌め奸臣、佞臣が跋扈する汚臭のする政治体制の構築に腐心した。


だがいくら、つぶしてもつぶしてもつぶしてもつぶしてもつぶしてもつぶしても反乱は収まらず、希望を見出す愚か者はすべて挫くのには100年の時を要した。


魔女は100年振りに我らの前に現れた。

私の試練はやっと終わりを迎え、死を返してくれるというのだ。

私はやっと終われる。


この地獄のような日々からの解放を心から喜んだのだった。


私はまず最初に、罪人とした者すべてに恩赦を与え、すべての側近を放逐した。

そして王城を無人にし、自室に向かったのだった。

自室の前にはリュネイが待ち構えていた。

その手にはワインとグラスが二つ。


「お前が付き合う必要はないだろう? 今後はお前が人々の寄る辺として必要だ」


「悲しいことを言わないでください。 私も同罪です。 あなたの罪を見ない振りをしてきました」


「だからこそだ。 お前はこれから、私の悪行を伝えていくのだ。 死が救済とならない世界は、無限の地獄が続くことを風化させてはならないのだ。 もっとも近くで見てきたお前が伝えるのだ」


そういうと私はグラスを二つとも受け取り、ワインを持ち部屋に入った。

リュネイは食いさがることはなかった。

私が一人、その咎を負うことをわかっていたのだろう。

最後まで彼は私を理解してくれた。代えがたき友だ。

恥ずべき行いばかりの人生だった。しかしこの友人だけは唯一誇れるものであるだろう。


私はワインの栓を開けるとグラスに入れ一期に呷る。

強い酒精の中に、毒由来の苦みが混ざっていた。

この毒はゆっくりと命をむしばんでいく、眠るように死ぬことができるだろう。

リュネイは私と語らう時間が欲しかったのだろう故にこの遅行性の毒を選んだ。

それがありがたかった。私にも悔恨の時間が欲しかった。

私はもう片方のグラスにもワインを注ぐ。


「主神オルディーヌよ。ご照覧あれ! 愚かな男の死にざまを!」


さてあの魔女は嘆いてくれるだろうか?

この無様な死にざまを。


すると幻覚か幻か、あの美しき魔女は私の前に現れた。

間近に現れた彼女は美しいが、前の様に脳が痺れるような快感が訪れることはなかった。

酷く冷静でいられる。死に際ぐらい安らかでいられる。それがありがたかった。


「ごめんなさい。 私はあなたを狂気に陥れた。 人としての生を手放させてしまった」


最初の言葉はそれは意外、謝罪の言葉だった。

私は自棄になっていた。それは否定しない。死に際に嘲笑われながら、無様にこの生を終える。そんな終わりを想像していた。


「嘆きの姫よ、氷の棺に眠る氷女よ。 私はあなたの試練に打ち勝てた。それは狂気がなせる業でした。 熱病に浮かれたような哀れな傀儡ではありましたが、お楽しみいただけたでしょうか?」


私はこの地獄の終わりで、魔女への悪態を吐き出すことにする。

城の外では怒号と歓声、そして火の手が上がっている。

地獄の終焉だ。私の命を窯にくべ、この地獄ごと焼き尽くす業火は激しく燃え上がるだろう。

怨み言ぐらいは許される筈だ。

吐き出された罵詈雑言に、魔女はただ頷くのみだった。


私は外の雑音に負けぬほど、声を荒げ続けた。

そして、落ち着くと魔女はぽつりぽつりと、言葉を吐露していく。


「私はおそらく、恋を……。 あなたに恋していたのよ」


恋? 神々が人に?

それは意外な言葉だった。

彼らの恋とは常に、一方的な物だ。拐わかして、閉じ込め、神に溺れさせる。

それはただひたすらに幸福で、歪なものだ。

神がまだこの世界に何柱もいた時には、よく聞いた話だ。

しかし、私は彼女にそういったことをされた覚えはない。

ただ傀儡のごとく、世界の再生のために薪にされただけだ。

そこに神々の偏執は介在はしていなかったように思える。


「あなたは私を愛してくれていたと? そうおっしゃるのですか?」


私は恥ずかしげもなく問い返す。

毒酒にあてられたのだろう、いやに饒舌だ。


「愛してはいない。 これは恋よ。 私はあなたに助けられた時、恋に落ちたの。 あの終わりのない世界を終わらせるてほしいと懇願する姿に、私の望む世界を望むあなたに出会って恋してしまった」


「私があなたを助けた? 私はあなたに出会って懇願しただけですが?」


神々の感覚はわからないものだ。

私は困惑の表情を浮かべ、神の話をただただ聞いていた。


「私は、神として未熟でした。 人を愛し、慈悲を施すことは知っていましたが、恋を知ることはいままでありませんでした。 これが恋であることも気づいていなかった。 あなたが、この地獄を終わらせようと藻掻く様に憧れ、恋し、訳知り顔で助言したつもりになって、悦に入る。醜い魔女それが私です」


神は今までのことを悔いている。

それだけはわかった。

それが私への慰みになるわけではないのだが。


「いまさらどんな話をされるかと身がまえていましたが、随分と勝手な言い分ですね。 あなたは私に何を言いたいのです?」


「何を言いたいのでしょうね……。 ただ、私は……。そうですね。無粋ですね。 私はあなたを英雄としてただ言祝ぐべきだ。あなたの死を悼み、嘆き、新たな命の祝福を与える。 そうすべきでしょう」


命が産まれ、死ぬ。

その輪廻の輪に私は帰る。

その為に、この地獄を作り上げた。

その意思は私の物だ。

彼女の狂気に充てられただけだと、そんなのは認められない。

そして、彼女もそのことに気付いたようだ。


「カールよ。 よく、よくやり遂げました。 神との契約。この困難な道をあなたはやり遂げたのです。 主神たるこのオルディーヌがあなたの来世に大いなる祝福を約束しましょう。 なにか望みはありますか?」


「一つ、いえ二つだけ、一つ目は、世界を、ただ見守って下さい。我々にはあなた方神の愛は重すぎる。 も……うひとつは、せめて次こそは人に愛される人……生を」


どうやら毒酒が利いてきたようだ。

酷く眠い。呂律も回らなくなってきた。

ああ、酷い。酷い人生だった。

やっと死ねる。

瞼を閉じると、額を誰かが撫でる感覚があった。

そのやさしい手の平の感触は安らかに私を眠りへと誘っていった。

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