第2話 悲嘆の姫と亡き国の王子
がんがんと、音が響き私はまどろみの中から ぶしつけに引っ張り出された。
瞳を開けると、目の前には青年が強引に私の静謐たる棺をこじ開けようとしているのが眼に止まった。
私が起きたことに青年はびっくりしたのか、身を仰け反らせ警戒をする。
私は、警戒するなら手を出さなければいいのに、と可笑しくなり笑ってしまった。
間抜けな闖入者に興が乗る。棺を出ることにしたのだ。
棺をパカリと開けると、外気は冷たく随分と寒い。昔はこんなに寒くなかったように思うが、私が眠っている間に何があったのだろう?
まぁいいか、あとで調べよう。神というのはいかんいかんと思いつつも、後回しにしがちだ。――忘れない様にしないと……。
さてその前に、この青年は何者だろう?
権能をはく奪されたとは言え、神は神だ。その寝所に入り込む不届きものにどういった神罰を下してやろうか?
私は久しぶりの人の子との邂逅に胸が高鳴るのを禁じえなかった。
私がそんな底意地の悪い妄想を続けていると、闖入者は以外にも片膝を立て許しを請う態度を示したのだ。
よくよく見れば生地は大分傷んでいるが、それなりに品のある服装である。
その所作はどことなく気品を感じさせた。
どこかの国の貴族、もしくは王族だろうか?
私は考えていても仕方ないかと問うてみることにした。
「そこの人の子よ。 何故我が寝所に分け入った? 面を上げて朗々と語るがよい」
人の子に語りかけるときは、尊大な口調を崩さぬように、と主神たる父上に教わっていた。私も含め存外俗物の癖に体裁は取りつくるのだ。
しかし、その闖入者は私の威光にひれ伏してしまったのか、硬直し動こうともしない。
お父様ならすぐに雷を落として、強引に喋らせるだろうが私はそこまで野蛮ではない。
人の子には寛大であるのだ。心の整理がつくまで待ってやることにする。
しかし、一向に顔を上げようとしない。
プルプルと震えて、愛玩犬の様に委縮したままなのだ。
愛いやつだ。あまり待たされるのは気に食わないが、娯楽に餓えたこの身は、そんな人の子の葛藤する姿にすら感動を覚えるのだった。
そしてその時は訪れる。
とうとう、面を上げるのかと思ったがその青年は俯いたまま声を上げたのだ。
「お願い申し上げる。 お、お召し物を羽織っていただきたい!」
それだけを言うと青年は耳まで真っ赤になっていた。
私はその言葉にきょとんとなるが、すぐに吹き出してしまった。
そしてよくよく自分の姿を見ると一糸纏わぬ姿だったことに気が付いた。
人の子とは変わっている。肉体というのは所詮、新たな魂の器を宿す揺り籠でしかないのに、情愛と狂気に駆り立てられるらしい。
「少しまて……。よいぞ? 面を上げよ」
「はは!」
私は念じると、黒いドレスを身にまとった。
私の黒い瞳と白い髪には似合っていると思う。
その姿を眼にした青年は、感嘆の声を上げる。
「おお、美しい!」
短い言葉だったが、その言葉に私は年甲斐もなく上機嫌になるのだった。
青年は赤毛で美しい顔をしていた。
長いまつ毛に癖のある髪を紐で縛ってある。
手入れをすれば女といっても解らないだろう。
しかし、長い間放浪していたのだろう。全体的に小汚い。
そして体格自体はがっしりとしている。鍛えこまれた肉体なのだろう。
一度脱がせて鑑賞したいものだと思った。
観察はこれぐらいでいいだろう、私は質問を続ける。
「して、人の子よ。最初の質問に戻るが、おぬしは何故ここに?」
今度は青年はすぐに話始めた。
「まずは挨拶が遅れた無礼をお許しください。悲嘆の魔女――いえ、嘆きの姫、神々の娘オルディーヌよ。 我が名はカール・バレンテニア・ギュスターブ。 亡国バレンテニアの元王子であります。 この度はお願いの儀に参りました」
バレンテニア……。確かそれなりの大国だったと記憶している。
停滞した世界で滅ぶとは、本当に何かあったのかもしれない。
私は気になり、更にカールに発言を許した。
「ふむ。 滅びたか興味深い。 続けろカールよ」
「興味深い……。やはり……そう、ですか? 神々にとって国の興亡は娯楽にすぎないという事か……。 申し訳ありません取り乱しました。 お願いというのは、ほかでもありません。死を! 我らに死をお返し願いたいのです」
そういうと懇願し泣き出してしまう。
何かがカールの琴線に触れたのだろう。気持ちの抑えが利かない様子だ。
狂気を孕んだその姿すら私には愛おしいのだが、おそらくカールが求めているのは慈しむ愛情ではなく上位者の絶対的な慈悲なのだ。
勝手気ままな人の子が今更死を返してほしいと懇願する姿は、酷く滑稽で、愛らしい。
わが父ならば、簡単に返してしまったことだろう。
しかし残念ながら、私にその権限はないし、簡単に返すつもりもないのだ。
人には与えるだけではだめだ、試練を課さなければならない。
私はまず、今の人の営みを知らなければならない。
そして慈悲を与えるのだ。
他の神々はどうせ飽きて捨ててしまっているころだ。私好みの悲劇と祝福を与えたとしても文句は言うまい。
甘美な悲劇のために、この哀れに泣き崩れる亡国の王子に試練を与えよう。
悲嘆の魔女の試練を。
私はカールの震える肩を抱きしめ、語りかける。
「救いを求めるものよ。 死を返すことは私にはできぬ。しかし、試練に打ち勝ったならわが父に伝え必ずおぬしの願い果たして見せよう。 これは神々との契約である。 安寧の日々はもうないと心得るか?」
その言葉にカールは涙を拭き、強い意思の光を宿した瞳を私に向ける。
そして頷くと、私の右手にキスをした。
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