32


 また携帯が震えた。仕方なく携帯を開く。

 案の定、届いたメールは【菩薩】からだった。

 

『勧誘してないヤツが居るぞ』


 アイツ、松ちゃんの名前忘れたんじゃないでしょうね。なんて、誰のためにもならない心配を鼻で嗤い飛ばして、携帯をしまった。この20分というわずかな時間に3回も送ってくる暇人に、返す言葉はない。

 誰もいない廊下に佇む。昇降口に向かうか、学食に進むか。

 残りの時間をどう過ごすか考える間もなく、私は二科への道程を逡巡した。

 


 

 学習室の扉を押し開けると、室内にこもっていた澱んだ空気が一気にぶつかってきた。


「何ぃ?大久保ちゃん、俺に会いに来たのぉ? 」


 薄暗い蛍光灯の下で、椅子にふんぞり返った松ちゃんが、こちらを見てにやりと口角を上げた。


「勧誘はどうしたのよ」

「向き不向きってあるからねぇ」


 口元のだらしない笑みが、癇に障る。

 

「サボってるの、アンタだけよ」

「あらぁ。大久保ちゃんもシゴトしてるの?」


 まだ言うか。誰よりも何もしていないくせに、飄々とした態度だけは一丁前だ。


「もしかして、安曇くんのコトぉ勧誘してたぁ?」


 軽い口調で放たれた名前に、頭に血が上った。――わざとだ。この男は、わざと人の嫌がる部分を突いて楽しんでる。

 

「何それ」

「さっき昇降口で喋ってたでしょう? 勧誘じゃなかったんなら、何喋ってたのぉ?」


 眉をひそめる私を、松ちゃんは蛇のように目を細めて笑った。軽い調子とは裏腹に、言葉の端々に棘が混じっている。棘は皮膚の奥まで入り込んできて、不快感を煽った。


「もしかして、お父さんのことだったりしてぇ」


 その一言で、胸が焼けるように熱い。冗談めかした声色は、的確に急所を突いてきた。

 

「アンタに関係ないわ」

「そぉ? 一応、親族じゃなぁい」


 ――頭の奥で何かが弾けた。視界が赤く染まる。

 気づいたときには、もう松ちゃんの胸ぐらを掴んでいた。


「大胆だねぇ」 

「……アンタなんか知らない」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る