背中を押して

 それから一ヶ月が経った。

 屋上に行かなくなってから一ヶ月が経った。

 彼女と会わなくなって一ヶ月が経った。

 ここ最近は彼女も仕事が忙しいのか学校で見ることも少なかった。それにホッとしている自分がいることに驚いた。そして自嘲気味に笑った。

 ずっと近づきたいと思っていた人と離れられて安心するなんてどうかしている。その言葉を吐き出す場所はもうないから自分の中で悶々としていた。


『えーっと、続きまして、ラジオネーム──』


 イヤホンから流れる彼女の声。楽しそうな彼女はまた電波越しの存在になった。たった一ヶ月会わないだけで遠い存在に思えた。

 そもそも同じ空間に隣にいられたことが奇跡だったんだ。なんでもないやりとりも、進路について励まされたことも、どこを切り取っても全部奇跡みたいな時間だった。

 全て壮大な妄想で、長い長い夢を見ていたのではないだろうか。そんな気分だ。推しと同じ学校なんて普通あるはずがない。

 事実は小説より奇なりとは言われているが、実際目の当たりにするとよくわかる。私の経験はおそらく物語よりも理想的だ。


「須賀さん」


 そしてこうやって突然目の前に現れて取り柄もない一生徒である私に声をかける彼女は本当に物好きだ。


「話があるんだ。ついてきて」


 腕を引かれた。ガタッと椅子が音を立てて、机の上の菓子パンを置き去りにする。同時に教室内の生徒たちをも置き去りにする。

 有名人である松井奏が隣のクラスの関わり一つなさそうな地味生徒を連れて行く。奇妙だろう。そうだろう。私だって客観視したら同じ感想を抱いたに決まっている。

 スマホとイヤホンだけで連れ出された私はカバンを背負う彼女に腕を引かれるがまま歩く。私たちのような特殊な関係性だと目的地は言うまでもなかった。

 彼女のポケットからイルカのキーホルダーが出てくる。鍵を回せば久しぶりに学校で一番誰もいなくて開放的な場所にたどり着いた。


「うわぁ、やっぱり屋上は暑いなぁ……」


 コンクリートは太陽に熱されている。いられないレベルではないが冷房の効いた教室からだと温度差で溶けてしまいそうだった。

 彼女はそこに遠慮なく入り、定位置を陣取った。屋上で唯一影のある場所だ。


「須賀さん。二人で話したいから鍵かけて」


 そう言って彼女は鍵を投げた。慌てながらも反射的に受け取る。

 一ヶ月前みたいなことを避けるためだろうか。私を連れ出した時は人目もあったし、屋上に誰かが押しかけてくる可能性も考えているのだろう。私も話の最中にああなるのはごめんだから彼女に言われた通りに鍵をかけた。


「鍵、返したからね」


 隣に座るなりしたり顔をする彼女に軽く笑みが溢れた。


「ごめんね。お昼食べてる時に無理矢理連れてきちゃって」

「ほんとだよ。まだ半分しか食べてないのに」

「いや、うん、本当にごめん」

「謝らないでよ。謝るのは私の方だから」


 屋上に足を運ばなくなったのは自分で選んだこと。鍵は持っていなかったし雨も降っているからと言い訳して最高の居場所から逃げ出した。彼女は待っていてくれたのに、それを私が拒否した。


「屋上、行かなくてごめん。なんとなく、行きづらくて……」

「元はと言えばクラスの子たちがついてきたのが悪かったんだし須賀さんが謝ることの方がおかしいでしょ」

「でも」

「あーダメダメ。謝り合戦をしにきたわけじゃないの! 両方に別々の非があるならどっちも悪くてどっちも悪くない! それでいいじゃん」

「……うん。ありがとう」


 彼女は誰にでも優しい。だから私にも優しくしてくれている。本当なら数日来なかった時点で放っておいてもいいくらいの関係性なのにそれをせず連れ出すくらい彼女は優しい。


「須賀さんって……あー、いや。こういうことはあんまり言わない方がいいんだろうけどさ」

「なに?」

「もしかして友達少ない?」


 聞きにくそうでこちらの様子を窺っていることが表情からよくわかる。私にとっては「そんなことか」と思えることなのだけど、普通の学生ならそうではないだろう。


「少ないどころかいないよ」

「……道理でここには須賀さんしかいないわけだ」


 彼女は苦笑する。基本的に一人行動の私を見て薄々勘付いていたのだろう。隠していることではないからバレたって何も問題はないが。


「別に困ることはないよ。私は一人が好きだし」

「確かに須賀さんが誰かといるところってあんまり見たことないもんね」

「……改めて人に指摘されると意外と凹むな」

「自分で一匹狼発言してるくせに」


 それはそうだけど、それとこれとは話が別だ。自分で言うのと人に言われるのは気の持ちようが違うのだ。


「一応事実として伝えておくと、できたことがないわけじゃないからね」

「それを聞けて少し安心したよ」

「それはよかった」

「ちなみに何人くらいいたの?」

「え? そうだね……多くて一人かな」


 必死の強がり。彼女は「確かに多いね」と笑っていた。


「その一人とは学校離れちゃったんだ」

「……まぁ、そう思うよね」

「違うの?」


 彼女になら話してもいい気がした。

 私と親密になることのない彼女なら話せる気がした。


「私が見限ったの。一緒にいるのは無理だと思って」

「……どうして、ってのは聞いてもいい?」

「いいよ。人に聞かせる話でもないだろうけどね」


 壁に完全に体重を預けて真っ青な空に目を向ける。

 以前「友達」と呼んでいた人を思い出し息を吐いた。


「大前提として私は昔から人と話すことが苦手だったの。話すこと自体は好きだったんだけど、誰かと話すことが苦手だった」

「へぇ。なんか意外だ。こうやってあたしと話せてるのにね」

「それは共通の話題があるからだよ。あくまでも苦手なのはよく知らないジャンルの話」


 正直なことを言うなら世間話もそこまで得意ではない。


「なんでもない会話への返答は一言で終わっちゃうし大したことも言えない。自分からは何話していいのかわからないから勇気を出しても挙動不審になることが多かったんだと思う。だからそれを面白がるクラスメイトはいても仲良くしたいって人はいなかった。

 もう、色々ストレスでさ、だから一人でいようと思ったの。本が友達みたいな、そんな学生生活を過ごしてた。まぁ、それは今も似たようなものなんだけど」


 毎日、毎週、毎月、毎年、学年やクラスが変わっても私はそうしていた。仲良さそうに話したり遊んだり、そんな青春に憧れを抱き、遠目に見ながら物語を通じて擬似体験をする。それが私の学校生活になっていた。


「そんな生活をして何年か経って中学三年生になって、クラスに転入生がきたの」

「転入生?」

「そう。明るくて元気でかわいい、アニメに出て来そうな天真爛漫な子でみんなに好かれるタイプだと出会ったその日に思えた。物語に浸っている私にも声をかけてくれたのが何よりの証拠だった」


 周りは誰も干渉しないのにその子だけは唯一用もなく声をかけてきた。そのことが純粋に嬉しかった。


「でも話すことが苦手で友達ができなかったからすぐいなくなるんだろうなって予想ができた。憧れや嬉しさを抱きつつも期待なんてしなかった。……だから、驚いたんだ。その子だけは私の話を最後まで聞いて理解してくれたから」


 面白いね、ってからかうわけでもなく言ってくれた初めてにも等しい人だった。

 私にとってなりたい理想的な人だった。


「紛れもなく初めてできた理解者だった」


 自分の意見を上手く伝えられない私を初めて見捨てないでくれた。家族ですら聞いてくれない話をその子だけは親身になってくれた。それが嬉しかった。


「それからはなんとなくその子と一緒にいる時間が増えた。私もその子といる時だけは物語の世界じゃなくて現実の世界に目を向けられた。あの時の私から見える世界は明るかった。誰がなんと言おうと『青春』してたんだ」


 あの子の笑顔を思い出す。卒業して一度も会っていないのに思い出せるくらい印象的で焼き付いていた。思えばあの子は笑顔じゃない日はなかった。

 ……今は、どこで何をしているのだろうか。


「本当に、心から信頼していた。誰よりも、大人になってもずっと一緒にいたいと思える人だった」

「……そんな人とどうして一緒にいられないって思ったの?」

「中三だから自然と進路の話になったんだ。だから隠していて親にも言えずにいた将来の話をその子にした」

「……聞いてもらえなかった、とか?」

「ちゃんと最後まで聞いてくれたよ。いい夢だねって笑顔で言ってくれた」


 そこで止まっていたら、きっと私は自分の夢に自信が持てたんだろう。

 初めてできた友達が背中を押してくれた夢だって胸を張れたんだろう。

 何もない私にもやりたいことができたって喜ぶことができたんだろう。


「そのうえで言われたの。『須賀はあんまり向いてなさそうだね』って。そう、ハッキリ言われた」


 話せば話すだけ露呈する私の心の狭さと友達への面倒な理想。

 誰にもしなかった話を彼女に話せるのは、曖昧な関係の先に私の待っているものがないと思っているからだ。


「こっちの方が向いてそうって別案を出されて、『同じ高校に進まない?』って未来の話で逸らされた。思ったことを言っただけかもしれない。私の適正を見てそう言ったのかもしれない。その子の言う通り本当にそっちが向いていたのかもしれない。……でもそんなことはどうでもよかった」


 何が向いているとか、何が向いていないとか、そんなことは考えていなかった。

 何が得意とか、何が不得意とか、そんなことは関係なかった。

 適材適所の提示なんてその話題に私は求めていなかった。


「初めて打ち明けた夢を否定されたことに私は傷ついた。裏表のない子だったから一緒にいたいって気持ちに嘘がないことも悪気がないことも理解してた。だから……本心から夢を否定されたって感じて、尚更傷ついた」


 何気ない純粋な言葉が棘としてあの日からずっと私の中に残っている。世界は残酷だってことを改めて認識した。悪意のある言葉よりも、純真無垢で嫌味一つない言葉の方が傷つくってことに気付かされた。


「夢を馬鹿にして面白おかしく言いふらす人間ならそれが理由で距離を置けたのに、あの子はただ良い人だったから痛みはあっても下手に遠ざけられなかった。でもすぐにその子の隣がすぐにどうしようもないくらい居心地の悪い場所になって、苦しくて、恨みたくても恨めなかった。

 この学校に来たのも逃げたかっただけ。私を知っている人がいないうえに進学校だからって親が納得しそうな適当な理由を付けて入学を決めた。それでまた本が友達って生活に戻ったの。

 ……笑っちゃうでしょ。自分の心の狭さが原因で唯一の友達を否定したんだ。本当に自分勝手だよね」


 今更考えたって仕方ないことだが、私がもっと寛大だったなら結果は変わっていたのろうか。


「須賀さん。一つ聞いてもいい?」

「一つじゃなくていいよ。君は私と話すために私を連れ出したんでしょ。いくらでも、答えられることなら答えるよ」


 たとえ今日でこの関係が終わってしまったとしても私は後悔しない。悪いのは全部心の狭い私だ。


「須賀さんはあたしがここに初めて来た時にファンだって言わなかったのはあたしが静かな場所を探してるからだって言ってたよね」

「言ったね」

「本当にそれだけが理由だったの? 今の話を聞いたら信じられないんだけど」


 彼女は私が人を遠ざけていると知ったから何事もなく招き入れたことに違和感を覚えたのだろう。他に何か理由があってもおかしくないと思ってるのが表情から伝わる。


「まぁ、そうと言えばそうだしそうじゃないと言えばそうじゃない」

「誤魔化さないで」

「誤魔化してないよ」


 嘘を言ったつもりはない。でもそれだけが理由じゃないのも事実だった。


「そりゃあ君のことを知ってるって言ったら二度と来ないかもって思ったのはもちろんあるよ。私も一応君のファンだからね。少しでも同じ空間に居たいって思うのは不思議じゃないでしょ?」

「それはそうかもしれないけど……」


 それを避けたいという想いがあったのは本当だから否定できない。

 彼女は「本当にそれだけ?」と目で訴えかけている。話す気はあるのだからそんなに急かさないでほしいものだ。


「心優しい君なら場所を用意したお礼程度に話くらいなら聞いてくれそうだなと思ったよ」


 実際悩みを聞いてくれた。友達のような体験をさせてくれた。背中を押してくれた。私の予想以上のことを彼女はしてくれた。


「友達には予期せぬ場面で裏切られるかもしれない。でも芸能人なら相談事にも紳士に答えてくれる。ましてや松井奏が相談相手であろうもんなら『期待に答えようと完璧な言葉をくれる』って確信できた」


 ずっと追いかけてきたからそこに不安はなかった。

 彼女に私が抱いているのは信頼と安心、この二つだった。

 絶対に揺らがない感情があるから私は冷静でいられている。


「あの日屋上に現れた君が静かな場所を探している一般生徒だったら二度目なんてなかった。私は君が『一般人じゃない』から屋上にいてもいいと思えた」

「どういう意味?」

「私は君と百パーセント『友達にはなれない』と思ったから屋上にいてもらうことにした」


 彼女は心底困惑していた。私だって同じ立場なら同じように困惑する。それくらい私の言っていることは意味不明だ。

 芸能人と一般人の境界線。私はそれを自ら太く強く引いている。


「友達になったら裏切られるかもしれない。でも友達じゃないならそんな心配をしなくてもいいでしょ」


 推しは手の届かない場所にいる。憧れとして存在する。多くの場所で輝いている。つい応援したくなる存在で本当に大好きだから嫌われたくない。そう思うのはおかしなことじゃない。


「私はね、自分のために君の優しさを利用したの。何気ない言葉で裏切られた気持ちになりたくないけど応援はされたかったから『自分の背中を押させるため』に君を利用した」


 彼女は静かに私の話を聞いていた。


「君はここに来る時必ず一人だったから正直安心しきってたよ。推しとファンという関係性を壊さずにいてくれるから心底安心できた。──だから君がクラスメイトと屋上にいるのを見た時、どうしようもないほど裏切られた気になった。君に非がないと理解しながら、君もあの子と同じだったんだって思った。自分は否定されたくないくせに私は君のことを否定した」


 本当に最低でしょ? 笑って問いかける。そうだと言ってほしかった。

 間違っているなら私は全部自分のせいにできる。一人になる口実を自然と生み出せる。これからも何も変わらない生活が続くだけだ。


「なんか、納得した」


 しかし返って来たのは想定もしていない言葉だった。

 彼女に目を向ければ彼女は私と同じように壁に体重を預けて伸びをしていた。


「君はあたしのことをよく知っている。そのうえでこうやってあたしのことを受け入れてくれている。なのにどこか見えない壁があって、本心が見えない気がしてた。……これだけ一緒にいたのに親密になろうとしなかったのはそれが理由だったんだね」


 思い当たる節は彼女にもあったらしい。隠していたつもりだったけどバレバレだったようだ。


「ねぇ須賀さん。裏切られたって感じたってことは、あたしのことを一番近い存在だって思ってくれてるって解釈でもいいのかな?」

「え……」


 彼女はいつしかあの子が言ったことと似たようなことを言い出す。

 心の鍵はかけたはずなのに知らないうちにこじ開けられて居座って、少し強引だけど理解したうえで欲しい言葉をくれる。


「違う?」


 彼女は照れているのか頬を掻きはにかんでいた。

 私は彼女を利用していたと告げたのにどうしてそうやって笑えるのかわからなかった。でも悪い気はしなかった。


「須賀さんは本当にあたしと友達になりたくないの?」

「……なりたくない、じゃなくて、なれないよ。ファンとの線引きは大事でしょ?」

「そんなこと思ってないくせに」

「え……?」

「嘘は良くないよ」


 目を逸らしていた私の頬を彼女は両手で包んだ。半ば無理矢理自分の方へと向かせる。

 私のことなんて簡単に見透かされていた。


「須賀さんに取って付けた言葉は似合わないよ」


 生放送でも見たことがないくらい満面の笑顔を向けられる。初めて見るその表情にドキッとする。


「でもあたしのことを信じてくれてたのに少しでも裏切るようなことしちゃってごめんね。嫌な思いさせちゃったよね」

「そんなこと……君は何も悪くないじゃん」


 謝らせてしまったことが申し訳なくて私はまた目を伏せた。

 彼女は私の頬を包んでいた手を離して名前を呼ぶ。


「これからも小説書いてよ」

「え……」

「あたしは君に向いていると思う」


 一気に世界が明るくなった気がした。

 どうしてこうも彼女は私が欲しくて堪らない言葉をくれるのだろう。涙が溢れそうになる。


「君の物語をこれからも読みたいんだ。だから──諦めないでよ楓」


 彼女のまっすぐな言葉は胸にスッと入っていく。

 思えば彼女は一度も私の言葉を否定しなかったな。


「……気づいたんだ」


 一ヶ月前に小説を渡した時点で私は彼女のことを試していた。彼女なら気づいてくれると思っていた。


「気づくよ。この名前には心当たりしかなかったからね」


 ──初めまして紅葉もみじさん。


 ブックカバーを外して書かれた作者名を指差しながら、彼女は私をそう呼んだ。


「学校でその呼ばれ方は違和感ある……いや関係性的にはこれが当たり前なんだけど……」

「ま、学校にいるのにラジオネームで呼ばれることなんて普通はないよね、紅葉さん」


 わざとらしく彼女はラジオネームを連呼する。私しかいないからいいものの誰かにバレたら悶絶する自信があった。


「けど気づくタイミングはいくらでもあったなぁ。紅葉って楓の別名だしそこから来てるんでしょ?」

「そうだよ」


 ダメ元で一度きりのつもりでメールを投稿したあの日から私はこのラジオネームを使っている。本名から取ったのは安直すぎたかもしれない。だがラジオ内で採用されてノベルティを受け取って、読まれる喜びを知ってしまっては「また読まれたい」と思わずにはいられなかった。そもそも推しとこんな形で話す日が来るとは考えてすらいなかった。


「お渡し会にも来てくれたよね」

「覚えてるの?」

「緊張してたし、顔と話したことは正直覚えてない。けどラジオネームを名乗られたことだけはしっかり覚えてるよ」

「……認知されてるとは思ってなかった」

「あははっ。最初のラジオから応援してくれてる人のラジオネームは覚えてるって。さすがに忘れないよ」


 彼女は見慣れた顔で一笑する。

 また見れてよかった。その表情に抱くのはそんな嬉しさだった。


「これ、返すね」


 手にしていた小説を彼女は私に差し出した。


「君の文章、あたしは結構好きだよ。今まで貸してくれたどの小説よりも面白かった」

「……言いすぎだよ」

「えー? 謙遜しないでよ。あたしが嘘でこんなこと言わないのは知ってるでしょ?」

「ファン目線ではそうだね。実際の私生活がどうなのかは知らないけど」

「そこは信じてくれてもいいんじゃないかな?」


 彼女は人を持ち上げるのが上手だ。私はむず痒いそれを交わす。目が合って笑い合った。

 私は世界を難しく考えすぎていたのかもしれない。それがわかった今は成長できそうだと考えてもいいのだろうか。


「はぁー、だいぶ喋ったね」

「だね」

「あと五分で予鈴鳴る時間だよ」

「誰かさんのせいでお昼半分しか食べられなかったんですけど?」

「低燃費だから大丈夫だよ」


 何が大丈夫なんだか。彼女と適当な会話をしていると力が抜けてしまう。


「じゃああたしは教室に戻るね」

「人を連れ出したんだからジュースくらい奢ってよ」

「あたしのクラス、移動教室だからそれはまた今度」


 口角を上げてウィンクで心臓を打ち抜かれる。

 また今度。最後ではないことに私は安心していた。


「君はまだ戻らないの?」

「もう少ししてから戻るよ」

「そっか。それじゃあ楓、また明日も屋上で」

「うん。またね……そうちゃん」


 扉の閉まる音と共に彼女は屋上から姿を消した。

 イヤホンを耳に入れると流しっぱなしだったラジオが私を出迎える。


「……本当にどこにいても変わらないな」


 目を閉じていなくなった彼女の声を感じる。

 予鈴が鳴って教室に戻ろうと立ち上がった時、貸していた小説から紙が落ちた。彼女が栞代わりに挟んでいたのだろうと思い確認するとその紙は二つ折りにされていた。


「ははっ」


 予想もしていなかったプレゼントに思わず笑い声がこぼれてしまう。

 開いた先にはIDとありコロンの後に数字が羅列されていた。彼女がプライベートで使用しているSNSのフレンドIDということはすぐに理解できた。

 そういえば私のラジオネームを知った時に連絡先を教える、って話をしていたっけ。わざわざ私に連絡をさせようとしているあたり確信犯でしかないが。

 紙を小説に挟み直して私は屋上を出た。しっかり施錠して教室へと足を進める。

 しばらく連絡が来なくてほんの少しヤキモキすればいいよ。

 実際そうなるかの確証はないがそうなったら面白い。

 そんなちょっとした悪戯心を抱えた私からは自然と鼻歌がこぼれていた。

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