進路希望

「須賀さん。進路希望の用紙配られた?」


 彼女に言われ、貰った日から机の中に放置されている存在を思い出す。記憶が正しければその紙は手を加えられていない状態で二つ折りにされている。


「配られたよ。まだ真っ白だけど」

「そうなの? ならあたしとお揃いだ」


 お揃い。推しに言われると億劫で目を逸らしていただけの用紙に得をした気分になった。


「高校入ってから進路決めろーってずっと言われてるの、なんか嫌なんだよねー。たった十五年と少ししか生きてないのに酷い話だと思わない? 夢なんて全員が全員すぐに見つけられるもんじゃないのにさー」

「まぁ、そうだね」

「将来の夢なんていくらだって変わるし、やりたいことなんていくらでも増えるもんなのに」

「……そーだね」


 ほんの少し間を置いて、ページを捲る。

 高二に進級したてなのにもう進路の話なんて嫌になる。

 中卒なら十五歳、高卒なら十八歳、短大卒なら二十歳、大卒なら二十二歳。そこから働き始めて約四十年の労働。学生時代の倍近く働かなきゃいけない。夢を持とうが持たないが、叶うか叶わないか、そんなことは関係なしに無情にも時間だけは過ぎていく。

 できるもんなら好きなことをして生きていきたいのに、その時間を与えないまま進路を決めろと責められる。好きでもない仕事に就かないといけないかもしれない。

 彼女の言う通り酷い話だ。

 だからこそ夢を叶えている彼女のことは尊敬していた。


「須賀さんは大学行くの?」

「そうだね。今のところはその予定」

「何系の大学?」

「教育系」

「先生になりたいの?」

「……興味はあるかな」

「ふーん。なのに進路希望用紙は真っ白なんだ?」

「……まぁ」


 興味があるのは事実。でもやりたいことではない。これ以上深堀されると言い訳も雑になる。


「大学行くの? それとも仕事一本?」

「一応受験はする」

「美大?」

「さすがにお金かかるし仕事と両立できる自信がないから無理かな。文系の予定」

「数学嫌いだもんね」

「理由はそれだけじゃないけど、よくお分かりで」


 仕事で上手くいっている彼女は高卒で仕事を続けるもんだと思っていた。大卒の声優さんは多いけど、やはり両立するのは大変だという話はよく聞く。


「大学受験しろって親がうるさいんだよね」

「そうなんだ?」


 少し意外だった。ラジオとかで聞く彼女の家族情報はいつも楽しそうだから温厚な人達だと思っていた。確かに厳しいとは言っていたけど笑いながらだったし、そもそも仕事をしている彼女に対してそんな口うるさく言うものなのかと疑問を抱く。


「今、意外って思ったでしょ」

「え、あ、いや……」

「別にいいよ。色んな人によく言われるから」


 その対応には慣れているらしい。

 スマホを見ていた彼女は顔を上げた。


「……どうして声優になろうと思ったの?」

「わかってるのに聞くの?」


 彼女は苦笑する。その言葉はオタクだからという信頼だ。

 もちろん知っている。でも知りたいのはなろうと思ったきっかけではない。


「直接聞きたいなーって思って」

「んー、ちょっとめんどくさいね」

「うわ……傷つくわ……」

「あははっ。冗談だよ」


 小説を閉じて、彼女に視線を向ける。

 軽い口調で「何から話せばいい?」。何でもウェルカムという感じだった。


「反対されなかったの?」

「されたよ? これラジオで話したことなかったっけ?」

「あるよ。でもサラッと流してた」

「あー……自覚ある……」


 なるほど。意図的だったのか。あまりにも自然な会話のまま流していたから何もない可能性も考えていたのに。


「親は、まぁ、ラジオで話した通り反対してたよ。そりゃもうカンカンでさ……。親は揃って高学歴。お兄ちゃんたちも二人してそれに続いて良い所に就職してるってのもあってね。そんな食べていけるかもわからない職業は許さないーって一、二時間説教されたよ」

「……マジ?」

「マジマジ。でもさすがにそれを公共の電波に乗せて親に聞かれたらアレじゃん? だからあるあるな感じで濁したの」


 彼女の家は厳しいとかそういうのじゃない。成功者がいるからこの道に進めば成功が確立されているのだろう。親もそれを正しいと信じているのだろう。

 実際、成功しているのだからその考えに間違いはない。心配をしているというのももちろんあるんだろう。けど、どうしても強制感があるようにしか思えない。


「……それでよく許してもらえたね」

「許してもらってなんかないよ」

「え?」

「あたしはただ、猶予を与えられただけなんだ」


 彼女は過去を思い出し笑う。表情から笑い話ではないことが伝わった。


「勝手に応募した事務所のオーディションに合格して、レッスンを無料で受けられる特権をものにしても意見は変わらなかった。むしろ勝手なことしたからって説教されてさ。

 人が努力してきたことを否定された気になって、ムキになっちゃってね。『五年以内に売れなかったら就職でもなんでもしてやるよ!』なーんて啖呵切っちゃったの」

「え⁉︎」

「流れのまま『売れなかったら追い出す』とも言われて、あの日のリビング、すっごいカオスだったんだから」

「え、えぇ……」


 想像以上の惨状に何も言えない。

 業界の詳しい内情は知らないがオタクの認識として五年というのはの新人期間に匹敵する。そして声優を志望する人数が増えている今、そこで結果を残せない人だって多い。彼女の親の言う「売れる」の基準はわからないが人気作に出る、みたいなわかりやすい「売れ方」をするとなると尚更だ。相当な実力と、運を要することは目に見えている。

 親を納得させたりその場の勢いはあるにせよ、本当に私の推しはぶっ飛んだことを言うもんだ。


「まぁ冷静になってからとんでもないこと言った自覚はあったし、それでも認めてくれなかったのにはさすがに凹んだよ。場の空気がシラけたのも本当に気まずくて仕方なかった。

 ──でも後悔はしてない」


 彼女の表情は明るかった。凹んだという割には嬉しそうにしていた。


「親に反抗してでも挑戦したいと思えることだったからね」

「……強いね。そんな風に思えて」

「強くなんてないよ。あたしは弱い。そんなあたしを君たちファンが支えてくれてるんじゃない」

「え……」

「SNSのメッセージにも、番組に送られてくるメールにも、気持ちの込められたファンレターにも、一つ一つにこれでもかってくらい力を貰ってる。辛いことがあっても、上手くいかなくても、大丈夫だって思えるのは全部君たちのおかげだよ」


 ありがとう。

 推しからの直接の感謝の言葉に私は固まってしまう。

 何を言っているのだろう。そんなの、こっちのセリフだ。


「私たちだって、笑顔で頑張る姿に元気を貰えてるんだよ」


 だから私が「どういたしまして」を言うのははおかしな話だ。


「これからも、いてくれなきゃ困る」

「あたしは居続けるよ。そう言ってくれる君たちのことを裏切りたくないからね」


 こんなこと言ってくれる推しのことを私たちだって裏切れない。なんで今の話が私にしか伝わってないんだ。彼女から発信されない限り絶対言えないけどオタクたちに言いたい話ができてしまった。本当に、絶対に、推し変しない。


「そのためならどんな努力も惜しまない。それにさ、長い目で見て数年必死こいて努力するだけで残りの人生に全部生きるんだって考えたら、何もしないのはもったいないと思わない?」


 彼女はどうして私が欲しいと思っていた言葉をこんな簡単にくれるのだろうか。


「須賀さんにも何かあるんじゃない? だから、聞いたんじゃないの?」


 彼女とは屋上で話す以外の会話はない。

 そのはずなのに、どうして私のことを理解してくれているんだろうか。

 弱いところを人に見せるのは嫌なのに彼女相手ならいいかもと思ってしまう。


「……ある、と言えばある」

「そっか」

「でも親は教師か、妥協してそれ以外の公務員しか認めないと思う。多分、それ以外は費用も出してくれない」

「まぁ、その辺はしつこく話すしかないとは思うけど……」


 弱気な私に彼女はニヤリとわざとらしく口角を上げた。

 あぁそうか。この状況は──


「──そうやって言ってる人たちのこと、実力で見返したくない?」


 彼女が置かれている状況と同じだ。


「自分の人生なんだし、一度くらいは逆らって自分のやりたいことやってみたくない?」

「……さすがは私の推し。かっこいいよ」

「お褒めに預かり光栄です」


 本当に良い性格をしている。軽口を言われ力が抜けた。

 自分じゃ無理だと思っていたけど、推しにそんな風に言われては逃げるわけにはいかなさそうだ。


「……できるかな」

「あたしに叶うかどうかの保証はできないけど、期間決めてその間全力を尽くすって考えたら頑張れそうじゃない?」

「なら期間は五年かな」

「あたしと同じなんて偶然だねー」

「一緒なら頑張れそうだからね」


 五年。今から換算するとストレートで行ければ大学卒業まで、か。……うん。彼女と一緒なら問題なく頑張れるよ。


「じゃあ約束だね」


 そう言って彼女は右手の小指を差し出す。


「……ははっ。ファンと軽率に約束なんてしていいんですかー?」


 戯けて笑ってみせればキョトンと何度か瞬きをする。

 また口角が上がった。今度はどこか嬉しそうに見える。


「ファンのみんなのおかげで夢を叶えられてる部分もあるので、そのファンと結ぶ約束のは何も問題ありませーん!」


 なるほど。それなら確かに何もおかしなことはないな。

 私は右手を出して彼女の小指と絡めた。指切りげんまん、なんて小学生ぶりだ。


「約束を破ったらライブチケットが当たらなくなる呪いにかかります」

「え、ちょ⁉︎ それ後出しで言うのひどくない⁉︎」

「守ればいいんだから大丈夫だって!」

「自分は出る側だからって他人事だな……!」

「気のせいだよー」


 彼女と話しただけで元気になれるなんて本当に不思議なものだ。

 楽しそうな顔を見てしまっては文句の一つも出ない。仕方ないなと笑った。

 夢への小さくて確かな一歩を踏みだした。

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