ファンの語らい
学校は、正直好きじゃない。中学の頃少し勉強ができたからって進学校に入学を決めるんじゃなかった。向上心に欠ける人間にここはあまりにも向いていない。
教師の説明を聞き流しながらノートに文字を走らせる。ノート提出があるからちゃんと書いておかないと。……板書するだけのノートを見て何になるのだろう。同じ文字の並ぶノートを複数見たところで時間の無駄じゃないのか。大人の考えていることは時々非効率的だ。
ひと通りノートを書き写せたのを確認し、私はもう一冊のノートに授業と関係のない文言を書き連ねる。書いては気に入らない部分に二重線を引いて書き直す。一歩進んで二歩下がり、また二歩進む。……うん。これならだいぶ自然な流れだ。
私は現実逃避ができるこの時間が好きでたまらない。
──キーンコーンカーンコーン
空気を読まないチャイムが鳴る。授業が終わるのは嬉しいが……。中途半端に止まる文字は見ていてそわそわする。かと言って誰かに見られたくはないから仕方なくノートを閉じて息を吐いた。
自分の席にやってきたノート回収係こと最後列のクラスメイトに授業ノートを手渡す。
号令が済み次第、ノートと机に入れていた小説をカバンに突っ込みそれを持って教室を出た。
購買に向かう生徒を避けながらまっすぐ屋上へと向かう。
「あ、おはよう。意外と早かったね」
屋上の扉の前の階段に彼女は座っていた。スマホから顔を上げ、ヒラヒラと手を振る。
授業が終わった直後だというのになぜか彼女はそこにいた。
「おはようってもうお昼だし、ていうかいくらなんでも早くない?」
「なんでだと思う?」
そう問う彼女はカバンを背負っていた。察しがつく。今登校して来たんだ。
「仕事だったの?」
「そ。朝からアフレコだったんだ」
「そうだったんだ。お昼は?」
「今から。一緒に食べよう」
「……もしかして、私のこと待ってた?」
「屋上の鍵、持ってるの須賀さんだけでしょ?」
「そうだね」
私ではなく、屋上の鍵を待っていたようだ。
早く早くと急かされる。ポケットから鍵を取り出して挿した。
屋上から見える空は雲がいい感じに太陽を隠していた。
定位置に座り、カバンからお惣菜パンを取り出す。隣の彼女はコンビニ弁当を広げていた。
「……焼きそばパン一つだけ?」
私のお昼を見て、彼女は目を丸くする。
「そうだよ」
「それだけで午後の授業大丈夫?」
「少食だからね」
「燃費いいね。羨ましい」
「私が言うのもアレだけど、これに関してはあんまり羨ましがっちゃいけないんじゃない?」
「真似したら多分マネージャーさんに怒られる」
「でしょうね」
包装を破いてかぶりつく。手持無沙汰でパズルゲームを開いた。
「……須賀さんって、あたしのファンなんだよね」
しばらくして不意に呟かれた言葉に私は手を止める。彼女はお弁当に視線を落としているため目が合わない。
「今更……?」
「いや今更も何も、あたしは須賀さんがオタクな部分あんまり見てないし、推しを相手にしたら必要以上にテンパって上手く話せないもんだと思うんだけど」
彼女は不思議そうにしているがそれもそうだ。私は表情には出さないように頑張ってこらえているし、彼女から少しでも気を逸らすために小説を読んだりスマホを触ったりしてるのだ。いらないことを言わないように自粛しているのだ。努力の賜物なのだからそう言うことは言わないでほしい。
「あたしのこと、どれくらい知ってるの?」
期待の眼差しが私に突き刺さる。これは下手に誤魔化してはいけないやつだと肌で感じる。……仕方ない。
スマホを閉じて、息を吐いた。
「松井奏。サイトー事務所所属。身長百六十センチ、血液型はO型、家族構成は父、母、兄が二人。趣味は音楽を聴くこと。好きな食べ物はトマトで嫌いなものはブロッコリー。ブロッコリーが食べられなくなった理由は昔生で食べようとしたら新鮮故に虫と対面してトラウマになったから。デビュー作はスマホゲーム『フロンティアマジックサーガ』のシリア役で、アニメだと『廃校舎の幽霊教師』の同級生役。初めてステージに立ったのは『フロンティアマジックサーガ』のサプライズキャスト発表で、その時の会場は今度ライブする予定のトーキョーダームシティホール。ちなみに『ワンクールラジオ』が今は『松井奏のひとりらじお』に名前を変えて隔週配信していて、番組の大喜利コーナーで選ばれたメール職人にはかなにゃんステッカーを配布している。ちなみに今季はメインキャラで出演してる作品が深夜アニメに一本とチョイ役が二本。それから──」
「も、もう大丈夫! 疑って本当にごめん!」
次々にとめどなく口から垂れ流される彼女の情報。ガチなのでいつの間にかオタク特有の早口で語っていた。これからだと言うところで彼女自ら止めに入る。照れた顔で謝られた。
「自分から聞いたのに」
「まぁそうなんだけど……須賀さんが急に饒舌になるから」
「私のせいですか……」
大人しい人が饒舌になると引かれる、とはよく言われたもんだが……面と向かって言われると、それも推しに言われると、うん。気持ち悪い自覚はあってもさすがに少し凹んでしまう。
「須賀さんのせい、というつもりはなかったんだけど」
彼女もそれを察してか慰めてくれた。嬉しいけど嬉しくない。
「それで? オタクに自分のことを聞いてみた感想は?」
「……事細かに把握されているうえに間違いが一つもないあたりがラジオやらインタビューやらをちゃんと追って来たということがわかって、まぁ、そこそこ気持ち悪いですね」
「酷い言い分を聞いた」
自分が興味本位で聞いて言わせたんだから本当に引かないでほしいのだけど。
自分の言葉を推しに気持ち悪いと言われる重み……。オタクは推しに嫌われたら生きていけないのに。
「オタクというのはこういうものでしょ」
「あたしも心当たりあるなぁ……気をつけよ」
彼女は反省していた。ひとまず嫌われていないようで何よりだ。
「そのままでいいよ。その方が共感できるし」
「言えてるかもね」
彼女は一笑して唐揚げを頬張った。
「それに、推しが推しのことを話している時、楽しそうに狂ってるでしょ? それを見たり聞いたりするのはこっちも幸せな時間だからむしろもっとやってほしい」
「あははっ。覚えておきまーす」
彼女は楽しそうに笑って、いつの間にか空になった弁当箱を閉じて袋を縛った。
「あ、そうだ。小説ありがとう」
そう言って彼女はカバンから一週間前に貸した小説を取り出した。
「もう読み終わったの? 早くない?」
新人ながら彼女はそれなりに忙しく過ごしている。そこに小説を読む、という作業が加わるとなるとだいぶ時間を削られるだろう。
貸りたからにはすぐに返さないといけないと無理をさせてしまっただろうか。それなら申し訳ないどころの話じゃない。推しには必要のない無理をさせたくはないのだ。
「いやー。今週は時間あってさ。それにどんな内容か気になってたから途中でやめるにやめられなくて……」
私の心情を察してかフォローが入る。
どうやら私の心配は杞憂だったらしい。胸をなでおろした。
「それでね! せっかくオススメしてくれたんだし、あたしもお気に入りの本をオススメしようと思って持ってきたんだ!」
「え……」
想像していなかったことでアホ面をしてしまう。彼女は同じようにカバンから本を取り出して私は差し出した。それらを受け取る。三冊もあった。一体どんな小説を──
「いやマンガじゃん」
なんとなく想像はしていたが思わずツッコんでしまう。
「だって小説なんてほとんど持ってないもん。だから君はあたしに小説を貸す。あたしは君にマンガを貸す。そういうのがちょうどいいと思わない?」
いい提案でしょ? 彼女はそんな表情をしていた。目は口程に物を言う、とはまさにこのことだ。そういうところも好き。
「そうかもね。ありがとう」
「どういたしまして!」
表紙を見るからにおそらく少女漫画だろう。普段は少年漫画ばかりで少女漫画はあまり買わないし読まないからいい機会だ。
「あ、そういえば小説を読んでみてどうだった? 感想は?」
小説とマンガをカバンにしまって彼女に問いかける。内容が気になって途中でやめられないと言っていたが、理解できたのだろうか。
うーん、と悩む素振りを見せたのは一瞬。すぐにとびっきりの笑顔で、一言こう言った。
「全っ然、わかんなかった!」
無邪気に言い切られる。こんなにも予想通りだとは。
私の笑い声が屋上に広がっていった。
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