推しとの語らい

 あの日から彼女は昼休みか放課後かその両方に不定期で屋上に現れるようになった。それもあって今まで閉めていた鍵も開けることが多くなった。

 たった一つの口約束。人気者からの言葉は冗談でもおかしくない。その言葉を真に受けるくらい私は彼女が来てくれることを期待していた。

 今日も今日とて現れた彼女は隣に座る。そしてシトラスが香る。それがお決まり。

 隣にいるのにやることはお互いに別々だ。主に私が小説を読んで、彼女はゲームやSNSに触れる。私は人と話すことは好きでも自分の好きな話以外は苦手で何を話せばいいのか困ることが多い。だから話題を振られることの少ない彼女との時間は楽でよかった。

 もっとも、彼女が静かなのは少しだけ意外だと思ったが。


「須賀さんって、つまらなさそうに読むね」


 不意に告げられた言葉に私は顔を上げる。デイリーミッションは終わったのかスマホなんてそっちのけで私を見ていた。


「どうしたの、急に」

「言葉のまんまだよ? その小説、そんなに面白くない?」


 彼女は心底不思議そうな顔をしていた。

 つまらないわけじゃないが彼女にはそう見えていたらしい。


「複雑で難しい、が正解かも」

「難しい? トリックが難解とか?」

「あ、いや、今日読んでる小説にトリックとかはないの」

「そうなんだ」

「なんていうか、んー、最初に提示された謎が解決しないまま進んでるっていうか……うーん、上手く言えないな。説明するのも難しい」

「……それ、物語として成立してるの?」

「それはしてるからご安心を」


 普段読まない作家さんの作品に手を出した途端これだ。私の読解力がないのも原因だろう。そればかりは否定できない。理解するのには時間がかかりそうだ。

 この作家さんの作品はこういうものばかりなのだろうか。だとすると、私は苦手かもしれない。


「小説も色々あるんだね」

「そりゃあね。似たような話でも作家さんによって全然テイスト変わるよ」

「例えば同じお題が出されても?」

「その辺は私よりも詳しいんじゃない?」

「え?」

「あっ」


 彼女の仕事柄を考えるとそうなのだろうと思ったが、それが裏目に出てしまう。

 そうだった。彼女は私が松井奏を知っていることを知らない。


「どういう意味?」

「……成績いいから、そういうのもわかってるんじゃないかなと思っただけ」


 それっぽい理由ではぐらかす。彼女から一瞬ジト目を向けられるが、「そっか」とすぐに納得してくれた。


「まぁ小説を読んでるのは暇つぶしみたいなところもあるから、面白くてもそうじゃなくてもどっちでもいいんだけどね」

「ふーん」


 とは言っても面白いに越したことはないのだけど。

 それよりも色んな作家さんの作品に触れることに意味があると思っている。


「その小説、もう読み終わる?」

「え? あぁ……あと十ページくらいだから五分もあれば」

「なら読み終わったらあたしに貸してくれない?」

「いいけど、どうして?」


 今の話を聞く限り彼女は小説の内容に興味を持っているようには思えなかった。

 彼女に問えば彼女は口角を上げてこう言った。


「須賀さんがつまらなさそうだから」


 そんな理由があるかよ。思わず心の中でツッコミを入れてしまう。

 自ら指摘しておいて、それを理由に読みたいと思うなんて。彼女は変なところに興味を持つ人だとは思っていたけど、だからってそんな理由あるのだろうか。


「なにそれ」


 彼女の考えはよくわからない。そこが魅力だとは思うけどいざ自分がそれを受け取る側になるとどう対応すればいいのか困ってしまう。


「……はい。これ」

「ありがとう」


 挟んでいたお気に入りの栞を抜き、読み終わった小説を彼女に差し出す。お礼を言う彼女は小説を受け取る。それを見て私はカバンに入れていたもう一冊の小説の間に栞を挟んだ。


「そうだ。返す時連絡するからライン教えてよ」

「いくら同級生だからって、一般人とライン交換なんかして大丈夫なの?」

「え?」

「あ」


 自分が無意識に発した言葉が彼女に届く。ただの同級生が相手なら自分のことを「一般人」なんて言い方をしない。彼女の言い分はもっともなのだから連絡先を交換したって変な話ではない。……それなのに確認を取るという行動をワンクッション挟むなんて。そんなこと普通の同級生相手にしたりしない。素直にやらかしたと思った。


「……もしかしなくても、あたしのこと知ってるよね?」


 苦笑し、彼女は確信をもって問いかけた。

 バレてしまった。言わないように注意していたのに。


「知ってる程度の方ならよかったのにね」

「え?」


 困惑する彼女を横目に私はカバンからスマホを取り出す。彼女に見せれば想像していなかったのか目を丸くした。

 スマホに驚いたのではなく、そこについている「茶トラ猫がジト目をしているストラップ」に、だ。


「か、かなにゃんストラップ⁉」


 松井奏。二年A組。学年主席。

 職業、声優。デビュー当時から応援している──私の最愛の推し。


「それを持ってるってことは……!」

「黙っててすみません。普通にリスナーです」


 新人声優の色んな一面を見ようという企画「ワンクールラジオ」。毎日日替わりで三か月ワンクール、全十二回動画配信サイトでお届けするラジオ。その第十五期パーソナリティ七名のうちの一人が彼女だった。

 「好きなことをやってみる」をコンセプトにパーソナリティがやりたいことをやっていくという番組。その番組内で彼女のやりたいことの一つがノベルティ作りで、彼女が描いたイラストを使ったストラップが作られた。

 メール内容は何でもオーケーのオールジャンル。彼女が独断と偏見で毎週良いと思ったメールを送ってくれたリスナーにノベルティを送る、というありきたりな内容だったのだが──我らが推しはスタッフさんもリスナーをも困惑させるレベルで刺さるメールが奇想天外だったのだ。

 毎回刺さるメールも変わるが故に、選ばれたら奇跡。それなりに有名なメール職人さんたちがここぞとばかりに挑戦している面白い番組だと界隈でも一時期話題で、未だに「松井奏のひとりラジオ」の話をする人も多い。

 その奇跡を起こしてストラップを手に入れた数少なすぎるメール職人のうちの一人が私なのだ。今でもめちゃくちゃ自分のメールが選ばれた回を聞き返して誇っている。


「聞いてくれてたの⁉ ありがとう!」

「うぇいっ⁉」


 スマホごと手を両手で包まれるように握られて急に距離を縮められる。自分でも聞いたことのないくらい変な声が出た。一瞬バツの悪そうな表情をしていたが、すぐに彼女の目はキラキラと輝いていた。

 二度目の接近戦。握手会でもないのに私はまた推しの体温を感じてしまっている。どうしようもないくらいドキドキしている。心臓が痛い。待って顔良すぎでしょ。ノーメイクでこれってポテンシャル高すぎ。顔面偏差値高っ。


「ノベルティ貰ったってことは本当に最初から応援してくれてる人だよね⁉」

「あ、ちょ、は、離れて……!」

「ご、ごめん! 嬉しくてつい」


 彼女は苦笑気味に手を離した。

 つい、で軽率にそんなことしないでほしい。そっちがよくてもこっちの心臓が持たない。


「でもあたしのファンなら初めて会った時に言ってくれればよかったのに。なんで言ってくれなかったの?」

「……別にわざわざ言うことでもないかなって思ったのが一番」

「ほかにも理由があるの?」

「…………静かな場所を探してるって言ってたから」

「え?」

「業界のこととか色々と聞かれて、疲れたから静かな場所を探してたのかと思って……」


 彼女は私の言葉に何度か瞬きを繰り返した。声にしなくても驚いているのが伝わる。

 優越感に浸りたかったという想いがないわけではないが、それが一番大きな感情だったわけではない。


「本当は一人になりたかっただろうから帰ろうとも考えたけど、さすがに鍵を持ってない人を屋上に一人にするわけにはいかなかったから。……黙ってて、ごめん」

「あ、いや、うん。それは全然。むしろありがとう」


 彼女はふぅと息を吐いて脱力したまま壁に背を預けた。いつもの笑顔が崩れている。


「もしかして、今のファンサ無理してた?」


 思っていた余計な言葉が口からこぼれる。余計なことだし嫌な思いをさせているかもしれない。そんな干渉の仕方、良くないことは理解している。


「え、いや嬉しかったのは本当だよ? でもそんなに気遣われてるとは思ってなくて……」

「……余計なこと、だったかな?」

「まさか」


 彼女は小さく口角を上げていた。その表情はとてもやさしく感じた。


「でも……ダメだね、あたし。無理してたかどうかをファンに感じさせちゃうなんて」

「い、いやいやいや。私こそリスナーだって言って困らせたし、今のは私が無理矢理やらせたようなものだし……」

「ふふっ。須賀さんは優しいね。良いファンだ」

「……そんなことないでしょ」

「そんなことあるよ。あたしのことを考えてくれる素敵なファンだよ」


 目を細め、軽く笑う。

 映画のワンシーンを切り取ったみたいな、繊細で儚いその姿に見惚れてしまう。


「それで? ラジオネーム、なんて言うの?」

「え……⁉ そ、それは、その……教えないとダメでしょうか……?」

「えー? 教えてくれないの? ま、ストラップ貰ってる人って限られてるから見つけるのは簡単なんだけどさ」


 これがただの推しならまだしも彼女は学校で会えてしまうのだ。ラジオネームだけならまだしも芋づる式にSNSのアカウントがバレて見られでもしたら私はどんな顔をすればいいのかわからない。彼女に狂っているSNSなんて彼女にだけは見られたくない。


「でも、うん。言いたくないなら別にいっか。わざわざ詮索するようなものでもないし」

「……なんか、ごめん」

「いーの。謝らないで」


 念を押して、彼女は立ち上がる。


「言いたくなったらその時に聞くことにする」

「そんな日が確実に来るって言えないけど……」

「んー、ま、来なくてもいいよ。応援してくれてるって事実があるならそれで」


 小説を片手に「借りるね」と告げる彼女は扉へ足を向ける。


「屋上に来れば会えるだろうし、連絡先の交換は……そうだなぁ。君のラジオネームを知れたらってことで」

「……そんなこと言われて連絡先欲しさにポロっとラジオネーム言ったらどうする気なのさ」

「あははっ。欲望に正直だなぁー。……でも君はそんなことしないでしょ?」


 推しの連絡先は普通に欲しいですが? まぁファンとしてその線引きは大切にしたいですけど? でも欲しいことに変わりはないですが? まぁ何話せばいいかわかんないですけど。

 彼女にそんな心の声は届かない。


「それじゃあ、また屋上でね」


 楽しそうに鼻歌を歌いながら彼女は屋上を去った。

 また、がありえる。推しにまたと言ってもらえる。それだけで明日が楽しみになる。

 鼻歌がこぼれるのは彼女だけじゃなかった。

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