また明日も屋上で
三五月悠希
屋上の来訪者
屋上は私だけの居場所だ。
天気の良い日にする読書は気分がいい。陽射しが眩しすぎるのが欠点だけど、日陰に入れば風通しの良いここは最高の読書スポットだった。
吹奏楽部の奏でる音色を聞き流し、ページを捲っていく。
最近話題のミステリー小説。数日前に行った本屋で買った中の一つ。有名なミステリー作家さんがオススメしたこともあり買ってみた。
読者も楽しめる謎解き要素。個性の強い登場人物。驚きのドンデン返し。豪華客船を題材にしたありがちな始まりだが物語の内容は突拍子もなくて先が気になる展開が続いていた。読む手を止められない。
物語の中に入り浸れるこの時間が好きで仕方ない。
一人になれる時間が私は好きだ。
──ガチャ
吹奏楽部の演奏とは別で耳に届いた扉の開閉音。
鍵はかけたはず。そう思っていたのも束の間、現れた同級生に私は驚いた。
「あ。屋上が開いてると思ったら道理で……」
彼女は私の存在に気づき近づいてくる。
彼女には見覚えがあった。否、見覚えどころの話ではない。私は彼女のことをよく知っている。
「すみません。実は静かな場所を探してて。隣、いいですか?」
「……まぁ、いいですけど」
「ありがとうございます」
彼女の問いかけに私は動揺を隠し頷く。お礼を言う彼女は人二人分スペースを空けて隣に座った。
シトラスが香る。彼女はスマホを触っていた。
明らかにページを捲るスピードが落ちたのを実感する。変な汗をかいて上手く文字が読めない。今心拍数を計れば普段の一.五倍ほどは高くなっていることだろう。それが彼女にバレないように表面上だけでも平常心を保つ。
こんな状態では当然数十秒前までは面白いと感じていた小説の内容が入ってこない。これは彼女がいない時にまた読み返さないといけない。
チラリと横目に彼女を見る。スマホを横に持って両の親指でタップを繰り返す。音楽ゲームをやっているのだろう。多分、彼女の出演作品の一つだ。
静かな場所で図書室ではなく普段開いていない屋上にまで足を運んだのはゲームをしたかったからか。教室ではクラスメイトに話しかけられるからここに来たのだろう。彼女の行動に納得がいく。
──不意に彼女と目が合った。逸らすには手遅れだった。
「どうかしました?」
「あ、えっと……」
「……あー、読書してる時にゲームしてごめんなさい。気が散りましたよね」
「い、いえ。ゲームは別にいいんです。邪魔ではないので」
ゲームよりも彼女の存在が正直私にとっては気が散って仕方ないのだ。
「違ったら申し訳ないんですけど、もしかして興味あったりします?」
そう言って彼女は自分のスマホを見せた。起動画面はどう見ても彼女の出演作品の音楽ゲームだった。
「えーっと……まぁ、はい」
興味どころか毎日欠かさず遊んでいる。だが言うのは憚られる。どうにか話を逸らして場を納めようにも「やってます?」と追加攻撃をされた。
「そうですね」
「やってる人がこんな近くにいるなんて……!」
スマホを両手で握りしめ彼女は感動していた。嬉しそうに笑う彼女はニヤニヤと口元が緩んでいる。
そりゃあ、そうですよね。初出演作品ですもんね。
思いはしても急な接近戦でそんな冷静な言葉は口から出てこない。代わりに心臓が飛び出しそうだった。
それを察してか否か彼女はすぐに手を離した。
「す、すみません初対面なのに……。自己紹介してませんでしたね」
「……それは私もですね」
どうにか絞り出した声。本を閉じる。
「二年B組の須賀楓です」
先手必勝だと早々にクラスと名前を告げる。その自己紹介を聞いて彼女は目を丸くした。
「同級生だったんですね! 大人びてるから先輩だと思ってました」
「落ち着いてるとはよく言われますけど、大人びてるかはまた別かと」
物静かだから間違われることは多い。中身はただのおしゃべりオタクだけど。
それよりも認識すらされていない自分の影の薄さに多少なりとも凹んでしまう。
「同級生なのでタメ口でいいですよ、松井奏さん」
「え……?」
彼女に自己紹介をさせる前に私の口は勝手に動いていた。認識されていないのが悲しくて反射的に呟いていた。余計なことをする口だ。
「知ってますよ。学年トップだし、それなりに有名ですから」
言い訳のように言葉を並べる。事実ではあるが私が彼女を知ったきっかけではない。それを知らない彼女は一応筋の通っている私の言葉に納得した様子だった。
「あー、そうだったんだ? なんかむず痒いな……」
彼女はポリポリと頬を掻く。そんな表情もかわいい。
「あたしにもタメ口でいいよ。よろしくね」
「……うん」
「ねぇついでに少し聞いてもいい?」
「いい、けど……なに?」
「その本、面白い?」
「へ?」
予想斜め上からの質問に私は間抜けな声を出してしまう。
彼女は私が手にしていた本を指差し「どうなの?」と首を傾げた。かわいい。
「まぁ、普通」
「普通なんだ?」
「……いや、結構面白いかも」
「どっち?」
一笑する彼女。惑わせるつもりはなかったけど咄嗟に普通という言葉が出ていた。
「話題のミステリー小説だから、面白くないってことはない」
「君は不思議な言い回しをするね」
「そう、かな?」
ブックカバーを取って、表紙を見せる。彼女は知っていたらしくて「買おうか迷ってたんだよね」と呟いた。
「小説、読むんだ」
「読まなさそうってよく言われるけどあたしだって小説くらい読めますー」
イメージ的にも、本人から聞いた話にも、そんな話は初耳だ。しかし何事でも吸収するのが彼女の良いところだから不思議なことは何もない。それを踏まえたうえで小説と向き合う姿はあまり想像がつかないが。
「あ、それともう一つ。屋上って普段開いてないよね? どうして須賀さんは入れたの?」
「……天文部の部長だから先生から屋上の鍵を預かってるの。屋上は活動場所だから」
「へぇ、この学校に天文部なんてあったんだ」
「部員は私一人だから実質ないのと同じなんだよね」
「なるほど」
納得したのかポンと手を叩く。反応が若干古いな。かわいいから全力で許すけど。
「……ん?」
「え、ちょ……⁉︎」
そんなことを思っていると彼女は私の顔に自分の顔を寄せた。突然のことに焦り手に持っていた小説を落とした。
「ねぇ、須賀さん。あたしと須賀さんってどこかで会ったことある? 学校以外で」
「え、えーっと……」
彼女の言う通り私は彼女と校外で会ったことがある。だが、しかし、これは言うべきなのだろうか。言うと彼女の見方も変わってしまう気が……。
「須賀さん?」
悩んでいるのを怪しく感じたのか彼女にジッと見つめられる。
「あの、その……まぁあるかもしれないですけど」
「ふーん?」
ずっと見つめられるのは敵わなくて目をそらす。彼女は納得したのかわからないが離れてくれた。
手の中のスマホが揺れて、それを見た彼女は立ち上がった。
「急にお邪魔してごめんね。あたし、もう行かないと」
「あ、うん」
「……ねぇ須賀さん」
「はい」
「また、ここに来てもいい?」
「え?」
「だめかな?」
彼女は首を傾げる。気づいた頃には私は頷いていた。
「ありがとう。またね!」
そう言って笑顔を向けて彼女は屋上から出て行った。
眩しすぎる笑顔に悶絶して私は両手で顔を覆った。顔が熱くて仕方ない。
「あーもう……これだからズルいんだよ……」
この日から不思議な密会が始まった。
屋上が私と彼女、二人の居場所になった。
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