第9話 龍生、結太と桃花を翻弄する

「……わりぃ。おまえの言ってること、全然わかんねー」


 龍生の『伊吹さんと〝お試し〟で付き合うことになった』という衝撃発言の後、結太は、何がどうなったらそういう展開になるのかがさっぱりわからず、頭を抱えてしまった。


 ――いや。好きになってしまったと言うのなら、理解出来るのだ。


 龍生は桃花を好きだが、桃花にはまだ、そこまでの感情はない。

 だったら、お互いのことをもっと知るために、〝お試し〟で付き合ってみよう――という流れになった、と言うのだったら、まあ、聞かない話でもないし、わからなくもない。


 しかし、龍生は桃花のことを、『好きだとは言っていない』と言った。

 桃花も、龍生のことが好き、というわけではないらしい。


 ……だったら、何故?

 好き合っていない者同士が、〝お試し〟で付き合うというのは、どういうことなのだ?


「まあ、待て。今から順を追って説明する。とりあえず、黙って聞け」


 龍生はそう言うと、これまでの経過を話し始めた。


「まず、俺は今日の朝、誤解を解くため、伊吹さんの家に向かった。彼女を学校まで送る間の車中なら、充分話す機会があると思ったからだ。しかし、彼女には断られてしまったから、学校まで送ることは出来なかった。……まあ、当然だろう。家柄は確かだと、うわさなどで知っていたとしても、今までろくに話したこともない男に、いきなり送ると言われてもな。怖いだろうし、警戒けいかいするのも無理はない。だから俺は、車で五分も掛からない、彼女の最寄もより駅まで送ることにした。五分以内で着けるとあれば、彼女の警戒心も、多少は弱まるだろうとんでのことだ」


 一気にここまで話すと、龍生はのどうるおすため、紅茶を口に含んだ。


「読みは当たった。彼女は同乗することを受け入れ、話す機会が出来たわけだ。……しかし、たった五分だからな。車中では、彼女の警戒を解くだけで終わってしまった。そこで、昼休み、放課後と、話す機会を増やし、誤解を解くことを試みたんだが……」

「……だが?」


 龍生はふう、と小さくため息をついて。


「ひとつ、大きな失敗をしてしまった。伊吹さんの親友である保科さんに、駅で彼女を降ろすところを見られてしまったんだ。当然彼女には、朝一緒だった理由を詰問きつもんされた。だから俺は、こう答えるしかなかった。『朝、伊吹さんの家まで行ったのは、交際を申し込むためだ』と――」

「交際を申し込むため……」


 ひとり言のようにつぶやく結太に、龍生はうなずく。


「そうだ。仕方ないだろう? それまで特に仲が良かったわけでもない人の――しかも女性の家に、朝っぱらから行く理由として、他に納得出来そうな答えがあるか? いや、ない。あるはずがない。これが考えられる、一番自然な理由だった。――ここまではわかるな?」


 いささか強引な気もするが、残念ながら結太にも、他にうまい理由が思い浮かばなかったので、渋々しぶしぶといった感じではあるにせよ、無言でうなずいた。

 龍生も『よし』と言う風にうなずき返し、更に先を続ける。


「突然『交際を申し込んだ』などと言われて、伊吹さん自身も驚いていたが、彼女には、先ほど事情を話して、納得してもらえたよ。だから後は、伊吹さんには断られたということにして、この話は終わりにしようと思ったんだが――」


 龍生はそこで言葉を切ると、結太をじっと見つめた。

 きょとんとする結太に、


「そこで俺は、おまえのことを思い出し、考えを改めた」

「……へっ? オレのこと?」

「そうだ。ここで彼女との関係を完全に断ってしまうより、友人としてでも縁を繋いでおいた方が、おまえと伊吹さんとの接点も増え、告白するチャンスも増えるのではないか……と俺は考えた。おまえのことだ。ここでまた、伊吹さんとの距離が広がってしまったら、いつまで経っても告白出来ない、不毛ふもうな日々に逆戻りだ。そうだろう?」

「う…っ」


 悔しいが、龍生の言う通りだった。


 告白すると決めたまではよかったが、その練習中に、あろうことか同性愛者と誤解され、再び怖気おじけづいて、誤解ひとつ解くことが出来ないまま、逃げ回っている始末だ。


 こんな情けない男が、自分から距離をちぢめて行き、告白することなど出来るのだろうか?


 正直、結太には自信がなかった。


「つまり、俺が〝お試しのお付き合い〟を伊吹さんに提案したのは、おまえのためというわけだ。……伊吹さんはまだ、おまえのことを同性愛者と思っている。誤解を解くための機会は、俺がこうして増やしてやった。後は自分の力で何とかしてみろ」

「えっ!? まだ、誤解解いてくれてねーのかっ!?」


 車中では時間がなかった、というのは理解したが、放課後以降は、たっぷり時間があったはずだ。

 自分の誤解を解くついでに、オレの誤解も解いといてくれりゃよかったのに……と、結太は落胆らくたんした。


「いつまでも甘えているなよ、結太。自分で誤解ひとつ解けないようでは、告白なんて、いつまで経っても出来るわけがないだろう」

「ぐ…っ!……う、うぅ……」


 もっともな言葉に、反論出来ない結太である。


 龍生は龍生で、何やらえらそうに語っているが、無論、結太の誤解を解いてやる気など、最初からさらさらなかった。

 それどころか、先ほど桃花には、次のように説明していたのだ。


「保科さんに、君の家に行った理由を問われた時、『交際を申し込みに』と答えたのは、それくらい言わないと、彼女には納得してもらえそうになかったからだよ。早朝から、特に親しいわけでもない人の家を訪ねる理由が、僕には他に思い浮かばなかった。正直に、結太の事情を話すわけにも行かなかったし……。君を驚かせてしまって、すまないと思っている。でも、こうするしかなかったんだ。……わかってもらえるかな?」

「あ――、はっ、はい。それはわかりました。……でもわたし、これからどうしたら……?」

「……うん。君には、『交際の申し出は断った』ということにしてもらおうと、思っていたんだけれど……」

「……けれど?」

「やはり、このまま君との縁が切れてしまうのも、しい気がしてしまってね。結太のこともあるし……」

「えっ?……どういうことですか?」

「実は、結太からの告白は、ハッキリ断ったんだけれど、『どうしても諦められない』と言われてしまってね。それで、すっかり参ってしまって……」

「……そ、そうなんですか……」

「僕としても、これ以上結太を傷付けたくはない。大切な幼馴染だからね。でも、結太の想いを受け入れてやることも出来ない。……そこで、君にお願いしてみようと思ったんだ」

「わたしに?……わ、わたしに出来ることなら、何でも言ってください! 喜んで、協力させて頂きます!」

「ありがとう。では、遠慮なく。……伊吹さん、僕と〝おためしで〟付き合ってもらえないかな?」


 龍生からのお願いは、桃花にとって、とてもハードルの高いものだった。


 お試しとは言え、今まで誰とも付き合ったことのない桃花に、いきなり、学校の人気者で、有名人でもある龍生と付き合えなどというのは、あまりにも無茶だ。


 しかし、何度も龍生に、『これも結太のためなんだ。僕への想いを断ち切らせるために、協力してほしい。こんなこと、結太の事情を知っている君にしか頼めないんだ』と懇願こんがんされ、ついには根負けして、〝お試し〟のお付き合いをすることになってしまったのだった。


 龍生は、『ありがとう。結太の前で、僕が君のことをどれだけ好きかを見せつければ、きっといつかは、諦めてくれるはずだ』と桃花の手を握り、また感謝の言葉をべた。


 桃花は内心、『好きな人への感情って、そのくらいで諦められたりするものなのかな?』と疑問に思いはしたが、『出来ることなら何でも協力する』と言ってしまった手前、断ることが出来なかった。


 龍生が桃花についた嘘と、結太についた嘘。

 二つの嘘に二人が気付くのは、いったい、いつのことになるのやら……。


 そして、二人(咲耶を加えれば三人だが)を翻弄ほんろうする、龍生の真の目的とは何なのか?


 当然この時はまだ、結太も桃花も、知るよしもなかった。

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