第8話 優雅な龍生のティータイム
龍之助が立ち去った後の応接室には、重苦しい沈黙が流れていた。
……いや。
重苦しい、などと感じていたのは、結太の方だけだったろう。
何故なら龍生は、女中(この屋敷では、お手伝いやメイドのことを女中と呼んでいる。そしてこのお屋敷では、宝神の他、数人の女中が働いていた)が運んで来てくれた高級そうなティーセットから、これまた高級そうなティーポットを持ち上げ、ティーポットとお揃いらしい華やかな絵柄のティーカップへと、慣れた手つきで紅茶を注いでいたりするからだ。
どこからどう見ても、〝優雅なティータイムを
口元には笑みまで浮かんでいたりするし、結太に対して、何か後ろめたい感情があるなどとは、とても思えなかった。
「結太も飲むか? 飲むなら、
結太がひたすら、睨み付けるように龍生の動向を窺っていると、紅茶から一切視線を外さず、龍生が訊ねて来た。
「いらねーよ! オレは紅茶よりコーヒー派だ。知ってんだろ?」
「……まあ、それは知っているが。喉が
「余計なお世話だ! んなことより、さっさと事情を話せよ。そのためにオレを残したんだろ?」
龍生は紅茶を注ぎ終わると、ピッチャーの砂糖やミルク、レモンには目もくれず、ストレートのまま口に
宝神が言っていた通り、龍生は甘いものが苦手だ。紅茶やコーヒーにも、砂糖は入れない。
バレンタインデーには、女生徒達から山ほどチョコをもらっていたが、帰って来てから、全て周囲の者(結太含む)に分け与えていた。
「嫌いなら、もらって来なけりゃいーじゃねーか。それか、ハッキリ『甘いものは苦手なんだ』って、教えてやるとかさ」
一度、龍生に言ってみたことがあったのだが、
「それもまた、面倒なことになりそうだしな。……第一、いつの間にか、机の中やロッカー、靴箱なんかに入っているものが大半なんだ。断りようがない」
などと、うんざりしたような顔で応じていた。
あの時は、なんて
(――ハッ! いや、のんびり龍生が紅茶飲んでるの眺めてる場合じゃねー! いー加減、事情ってもんを話してもらわねーと)
結太がそう思った時だった。
龍生はおもむろにティーカップをテーブルに置くと、さらりとこんなことを言った。
「伊吹さんと、お試しで付き合うことになった」
「……………………んぅ?」
たっぷり過ぎるほど間を置いてから、結太は
……聞き違いだろうか。
今、『伊吹さんと付き合うことになった』とか何とか、聞こえた気がするのだが。
「え?…………え~…………っと、悪い。よく聞こえなかった。今、何て言ったんだ?」
聞き違いだ。きっとそうに違いない。
そうでなければおかしい。
いくらなんでも、幼馴染がずっと好きだと言い続けている人と、『付き合う』だなんて、そんなことあるわけがない。いや、あっていいはずがない。
そんなことを思いながら、結太は龍生に訊ねた。
龍生は何でもないことを言うように、
「伊吹さんと、お試しで付き合うことになった。――と言ったんだが」
落ち着いた声で、同じ言葉を繰り返す。
「……伊吹さんと…………付き合う?」
「ああ。
「オレが好きな伊吹さんと…………龍生が、付き合うって?」
「ああ。
「付き合う…………伊吹さんが…………龍生と…………」
結太は
――と同時に、結太の頭の中で、突然、何の
ハイホーハイホーと歌いながら、脳内をぐるぐるぐるぐる、
一人はクルクル回り、一人はスキップし、また、一人はすってんころりんと転んだりなどして、延々と行進し続ける。
ぐるぐるぐるぐる。くるくるくるくる。
ハイホーハイホー。ラリホーラリホー。
ぐるぐるくるくる。ぐるぐるくるくる。
(……あれ? なんだ?……ぐるぐるくるくる? ハイホーラリホー?……いや、違う。ぐるぐるじゃなくて……くるくるでもなくて……小人が一匹……いや、小人は一人か。小人が一人……小人が二人……小人が……)
(――って違うだろッ!?)
現実逃避の奇妙な妄想から、結太は
「なっ、な、な…………なんじゃそりゃあああーーーーーーーッッ!?」
桃花と龍生が付き合う?
……何故? いったいどうして、そんなことになった?
結太の気持ちを知っていて、それでも桃花と付き合う?
何故だ? 何故そんなことが出来る?
結太から桃花の話を聞いた時から、実は、密かに気になっていたのか?
それとも今日、話をしているうちに、好きになってしまったのか?
……いや、違う。
龍生は今日の朝、交際を申し込みに、わざわざ桃花の家まで車で行ったのだと、咲耶は言っていた。
だとしたら、好きになったのは、今日以前。
……と言うことは――……。
「おまえ…っ、――っざけんなよッ!! 前から伊吹さんのこと好きだったんなら、何で早く言わねーんだよッ!? なに
ありったけの思いを吐き出した後、結太は、大きく肩で息をした。
龍生の秘めた想いに気付かず、のほほんと、彼の前で恋心を語っていた自分が、恥ずかしかった。
ずっと、龍生の気持ちに気付いてやれなかった自分が、情けなかった。
結太は涙ぐみながら、こんな時でも表情ひとつ変えず、冷静に自分を見返している、龍生の顔を見つめた。
この涼しい仮面の下で、言いたくても言えない気持ちを堪えながら、今まで過ごして来たと言うのだろうか。
だとしたらどんな気持ちで、結太の『告白する』宣言を聞いていたのだろう。
「……ごめんな、龍生。オレ……自分の気持ちばっかりで。おまえの気持ち、全然気付いてやれなくて。……まさか、おまえも伊吹さんのこと、ずっと好きだったなん――」
「好きだなんて、俺は一言も言ってないが?」
「――うん。だよな。好きだなんてひとっ……こ、と……も?…………って、んん?」
結太は首をかしげてから、龍生を見やった。
「……え、なんだって?……好きじゃ……ない……?」
「ああ。好きだとは言っていない。それに伊吹さんも、俺のことを好きなわけじゃない」
「……え?……え、だって、付き合うんだろ?」
「そうだ。あくまで〝お試し〟だが」
「……〝お試し〟……?」
結太の脳内は、たちまちクエスチョンマークで埋め尽くされた。
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