第7話 結太、あまりのショックに固まる

 目の前にいる咲耶の印象が、噂で聞いていたものとは全く違うということに、今更ながら気になり始めた結太だったが、


「殿。お二人が参られたようです」


 赤城の声にハッとし、ドアの方へ振り返ると、ちょうど二人が入って来るところだった。


「龍生! おま――っ」


 文句を言ってやろうと口を開いた結太の目に、しっかりと繋がれている、二人の手元が映る。

 さすがに、〝恋人繋ぎ〟ではなかったし、〝手を繋いでいた〟ということは、事前に赤城から聞いて知っていた。

 知っていた……が、実際目にすることによる衝撃は、あまりにも強く、結太は頭が真っ白になった。

 咲耶の目にも、当然それが映ったのだろう。まなじりを吊り上げて二人の側へ寄って行くと、


「秋月っ! この…っ、桃花の手を離せッ!!」


 言うと同時に、龍生の手首を掴み、ギリギリと締め上げた。


「さっ、咲耶ちゃん! 待ってっ?」


 桃花は慌てて咲耶の手に自分の手を重ね、顔を上げて訴える。


「秋月くんは、もう暗くなっちゃったし、外灯の明かりも頼りないし、足下も危ないからって、わたしが転ばなくて済むように、手を繋いでてくれただけなの! だからお願い! 秋月くんのこと、悪く思わないで?」

「――っ!……桃花……」


 桃花に懇願こんがんされ、咲耶は一瞬、悲しそうに睫毛まつげを伏せた。

 だが、すぐさま気を取り直したように、龍生を鋭い目つきで睨み付けると、早口でまくし立てる。


「そうか、それは気をつかってもらってすまなかったな秋月。だが、もうここは室内だし暗くもないし足元も危なくない。手を繋いでいる必要などこれっぽっちもないのだから、さあ早く手を離せ。離せと言ったら離せ。さもなくばお前の手首を手刀しゅとうでたたっ斬るがそれでも構わんか、構わんな?」


 すごみを利かせた咲耶の顔は、龍生の顔間近まで迫っていたが、それでも彼は少しもひるまず、余裕の笑みで返した。


「フフッ。そこまで顔を寄せられたら、さすがに照れるね。……まあ、美しい君を、こんな間近で見つめられるのは光栄だけれど」

「なっ――!」


 不意打ちで予想外の台詞せりふを吐かれ、咲耶は一気に鳥肌が立った。

 美しいなどと形容されることには慣れているはずだが、ここまで正面切って言われたのは、初めてだったのだろう。


 咲耶は、まるで汚物にでもさわってしまったかのような顔をして、龍生の手首を離すと、隣の桃花に抱きついた。


「なんなんだ!? なんなんだこの男はっ、なあっ!?……桃花、こんな男とずっと一緒で、よく平気だったな? 私だったら、五分でも耐えられんぞっ?」


 龍生は表情を崩さぬまま、『なんなんだと言われても。僕は素直な気持ちを伝えただけだよ』などと言い、桃花の手をそっと離すと、今度は龍之助に向き直った。


「お祖父様。また赤城に、隠密おんみつ行動を指示なさいましたね? お遊びも結構ですが、身内以外に迷惑を掛けるような行動は、つつしんでいただかないと困ります」


 人前で、孫にたしなめられたにもかかわらず、龍之助は、何故か嬉しそうに笑っている。


「おお、やはり気付いておったか。赤城の気配を察知するとは、大したものだ。――赤城、おまえもまだまだだな。修行が足りん」

「はっ。お恥ずかしい限りです」


 どうやら、孫の感覚の鋭さに、感服しているらしい。龍之助は、何度も満足げにうなずいた。

 龍生はというと、そんな祖父の様子は一切気にする風もなく、結太に視線を移した。


 結太は、まだショック状態から立ち直れていないらしく、言うべき言葉を失ったまま、呆然と立ち尽くしている。

 龍生は素知そしらぬ顔で近付くと、ポン、と結太の肩に手を置いた。


「やあ、結太。おまえがここに来るのは久し振りだな。まあ、中学までと違って、今は学校で会えるしな。わざわざ来る必要もないか」


 龍生に肩を触れられたとたん、スイッチがオフからオンに切り替わったかのように、結太はハッと目を見開いた。

 僅かに顔を動かすと、龍生と目が合う。――瞬間、今まで吐き出せずにいた感情が、一気に喉元のどもとまで込み上げて来た。


 ……が、龍生のななめ後方に桃花の姿を認め、グッと言葉をみ込む。

 まだ告白もしていないのに、『オレの気持ち知ってるくせに、伊吹さんに告白したってどーゆーことだ!?』などとは訊けない。


「……何か、言いたいことがありそうだな」


 龍生は薄く笑う。

 結太は『当たり前だ!!』と叫んでやりたかったが、またもググっとこらえ、龍生を睨み付けた。


「そう睨むなよ。こうなった事情は、この後きちんと説明してやるから」



(何が『説明してやる』だ! 『説明させてください』だろっ!?)



 何度言葉を呑み込めばいいのだろう。

 度重たびかさなるストレスで、結太の胃は、鈍い痛みを覚え始めていた。


 龍生はくるりと背を向けて再び祖父に向き直り、


「お祖父様。申し訳ありませんが、伊吹さんと保科さんを、自宅までお送りする手配をしていただけませんか? 私はここで、もう少し結太と話すことがありますので」


 龍之助が承諾しょうだくしたのを確認すると、桃花と咲耶にニッコリと笑い掛ける。


「伊吹さん、今日は僕の我儘わがままを聞いてくれてありがとう。教室で話すつもりだったのに、結局、わざわざ家まで来てもらうことになってしまって、申し訳なかったね。……それから、保科さん。君の友人を、しばらくひとめしてしまったけれど、こちらにも、そうしなければならない事情があったんだ。でも、訳あって、その事情を話すことは出来ない。どうか許してほしい」


 咲耶は『何が事情だ。そんなもん知るか!』などと、龍生に噛み付いていたが、桃花になだめられ、龍之助に指示された赤城にともなわれて帰って行った。


 龍之助は、龍生と結太に気を利かせ、他の部屋へ移ろうとドアを開けたが、退室する寸前、


「お祖父様。おわかりのことと思いますが、また赤城に様子を探らせたり、僕達の話に聞き耳を立てたりするのは、おめくださいね?」


 笑顔でくぎされてしまい、ひょいと肩をすくめた後、後ろ手にドアを閉めた。

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