第12話 出遅れ主人公は幼馴染に想い人を連れ去られる

 屋上辺りから、龍生を大声で呼ぶ声が聞こえた瞬間、桃花はビクッとして、思わず顔を上げた。


 だが、屋上を見ようとしても、龍生にしっかりと肩を抱かれているので、身動きが取れない。彼の体が大きな壁になってしまっていて、声の主を確認することは出来なかった。



(今の声……。なんだか、どこかで聞いたような……?)



 そんな気はしたが、誰だったかまでは思い出せない。

 確か『たつお』と、大きな声で叫んでいた気がするので、龍生の知り合いなのだろうか?



(たつお……って、秋月くんのことだよね?)



「……あの……秋月くん? 今、名前呼ばれ――」


『名前、呼ばれませんでした?』


 訊ねようとして、ふと龍生を見上げると、彼は軽く握った拳を口元に当て、ククッと微かに声を出し、愉快そうに笑っていた。

 その笑い方が、桃花には少し意外に思えた。


 普段の彼の笑い方は、〝微笑む〟とか〝クスッ〟とするとか、どこか上品さを感じさせるものだ。

 だが、今の笑い方は、表情と言い、〝フフッ〟とか〝クスッ〟じゃなく、〝ククッ〟だったことと言い……ほんのわずかな印象の差ではあるが、ごく普通の少年を思わせるものだった。


 無論、龍生とて、少々大人びて見えるにせよ、高校二年の少年であることに変わりはない。

 良家の御子息だからといって、いつでも上品に笑っていなければいけない理由など、どこにもありはしないのだが……。



(秋月くんって、みんなが抱いてる、〝完璧〟とか〝王子様〟ってイメージだけの人じゃ、ないのかもしれないなぁ……)



 今日一日、少しだけだが、龍生と接して来て、今までなんとなく抱いていた彼のイメージに、小さなほころびが生まれたような気がしていた。

 彼はもしかしたら、咲耶が言っていたように、『仮面王子』なのではあるまいか?


 そんなことを思いながら、ボーっと龍生を見上げていると、彼はすぐさま桃花の異変に気付き、


「ん?――どうかした?」


 いつもの上品な笑みを浮かべながら、穏やかに桃花を見返した。


『秋月くんって、いろいろ隠してるもの、ありますよね?』


 ――訊ねてみたい気もしたが、やめておくことにした。


 たとえ、本当にそうであったとしても、彼は決して認めはしないだろう。



(それに、彼がイメージ通りの人じゃなかったとしても、全然構わないし。……だって、ほんの少し印象が変わったところで、あの楠木くんが好きになった人なんだもの。悪い人であるわけがない)



 何故、『楠木くんが好きになった人』なら、悪い人ではないのだろう?

 どうして、そう思うのか?


 とりあえず、今の時点では、桃花はまだ、そう感じた理由を、意識してはいなかった。



「……いえ。なんでもありません」


 龍生の問い掛けに、桃花も笑顔で答える。


「……そう。それならいいけれど――」


 イマイチ納得していないような顔つきだったが、龍生は、それ以上深くは訊いて来なかった。

 桃花はホッとして、再び進行方向へ顔を向けたのだが……。


「あっ」


 気が付くと校門の前まで来ていて、その少し先に、黒い高級車が停まっていた。

 龍生は桃花の肩から手を離すと、今度は片手を取り、


「さあ、お姫様。馬車が迎えに参りました。どうぞ中へ。わが城へ御案内いたしましょう」


 芝居掛しばいがかった台詞を吐くと、うやうやしく一礼し、ニコリと笑った。




 ものすごい勢いで、屋上から二階まで階段を駆け下りた結太は、まず教室に行き、鞄に教科書などを突っ込んで、小脇こわきに抱えた。

 それから教室を出、数段飛びで一階まで下り、昇降口へと向かう。



(龍生のヤロウ、いったい何考えてんだ!? 告白の練習付き合ってくれたりしたから、てっきり、協力してくれるもんだと思ってたのに――!)



 結太はゼェハァと苦しげにあえぎながら、昇降口に辿たどり着いた。

 自分の靴箱まで行くのすら、もどかしくて堪らない。上履うわばきのまま飛び出して、龍生と桃花のいる場所まで、一直線に駆けて行きたいくらいだった。


 はやる気持ちをどうにかおさえ、靴箱から乱暴にスニーカーを取り出して下に放り投げると、つっかけるように履いて、表に出る。

 二人は既に校門前まで移動していて、門の外には、龍生を送り迎えするための高級車が、毎度のごとく、無駄むだに存在感を放っていた。


「ヤベー! ちょーど乗り込むとこじゃねーか!」


 結太は焦り、短距離の自己最速記録が出たのではないかと思われるスピードで、自転車置き場まで走った。

 自分の自転車を探し出し(クラスごとにスペースは区切られているものの、来た者順に端から置いて行く決まりなので、毎日置き場所が変わるのだ)、鞄をカゴに放り込んで、サドルにまたがる。


「チックショォオオオッ!! 龍生のヤロウ、許さぁあああーーーんッ!!」


 叫びつつペダルをみ込むと、荷台に誰かが座った気配がし、ギョッとなって振り返った。


「おまえ、今『龍生』と言っただろう? 秋月龍生の知り合いなのか?」


 出し抜けに訊ねられ、結太は一瞬混乱したが、よくよく見れば、桃花と一緒にいることの多い女生徒、保科咲耶だった。


「は!? 伊吹さんの友達!?……ってあんた、何勝手に、人の自転車乗ってんだよ!? 降りろよ! オレ、急いでんだから!!」

「私だって急いでるわ!! つべこべ言わずに、あの嫌味な黒塗りのところまで連れて行け! 発車してしまうだろうがッ!!」


 咲耶は異様に殺気立ち、結太を睨み付けながら、命令口調で言い放つ。

 結太は内心ビクつきながらも、咲耶の放った言葉の意味を考えた。



(嫌味な黒塗り?……ああ、龍生ん家の車のことか。けど、何でこの人が?)



「おいコラッ、聞こえんのか!? 大至急だいしきゅう、あの黒塗りを追えと言ってるんだ!!」


 咲耶は結太の背中をバシバシ叩き、車を追うよう催促さいそくする。

 結太は、『何で命令されてんだ?』と疑問に思いはしたが、自分とて、端から追うつもりでいたので、痛みとに落ちない感覚に顔を歪ませながら、自転車のペダルを思い切り踏み込んだ。


「クッソ! 言われなくても追うっつーのッ!!……ったく。余計なお荷物が増えたな。めんどくせえ」


 最後の方の台詞は、聞こえないように小声で言ったつもりだったが、聞こえてしまったらしい。『荷物で悪かったな! 私は電車通学なんだ。仕方なかろう!? いいから早く追え!!』などと、咲耶に噛み付かれてしまった。



(……ハァ。伊吹さんの友達でさえなかったら、蹴り落としてるとこだぜ)



 結太は大きなため息をつき、荷台に咲耶を嫌々乗せつつ、校門まで自転車を飛ばした。

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