第6話 彼が曲者だということを、彼女はまだ知らない

 一時限目の授業が終わっても、結太は教室に戻って来なかった。


 クラスの数人に、『何かに対して大声で謝りながら、ものすごい勢いで走り去った』と証言されてしまったので、担任の教師に、『気分が悪いらしくて、保健室へ……』などと嘘をつくわけにもいかず、結局は〝サボり〟認定されてしまった。



(楠木くん、もしかして……秘密を知っちゃったわたしと、同じ室内にいるのが耐えられなくて、逃げてっちゃったのかな?……だとしたら、わたしが教室にいる限り、戻って来てくれないの?)



 誰が悪いという話でもないのだが、それでも、自分のせいのような気がして、桃花の気持ちは暗く沈んだ。



(でも……楠木くんのことも心配だけど、咲耶ちゃんの方はどーしよー? ごまかすって言っても、どーやって……?)



 咲耶を見ていれば、誰しもすぐにわかることだが、彼女が他人に与える圧――プレッシャーはすさまじい。


 常に堂々どうどうと胸を張り、自信に満ちあふれ、口調も態度もハッキリしていて、何よりあの美しさだ。

 彼女が意見を述べるだけで、周囲は勝手に気後れし、おのれが発言したところでかなうわけがないと、早々に白旗しらはたかかげてしまう。


 桃花だってそうだ。

 咲耶にあの圧で訊ねられたら、はたして、秘密を守り切ること出来るかどうか……。

 正直なところ、自信はなかった。


 自信はない、が。


 結太の秘密だけは、絶対にらすわけにはいかない。

 人の恋心を勝手にバラすなど、他の誰が許そうが、桃花の良心が許さないからだ。



 ……というわけで。

 桃花は、結太の秘密を知っているもう一人の人物、龍生に協力をあおぐことにした。


 頭脳明晰な龍生ならば、咲耶でさえ納得させられるような、素晴らしい(?)嘘を考えてくれるに違いない。

 頭の良い人は、嘘をつくのだってうまいはずだ。


 なかば当然のように思い込んだ桃花は、龍生のいる二年一組を目指し、黙々と歩いていた。

 三組から一組まで、ほんの数十メートルなので、一分と掛からずに着いてしまったが。



 一組の前まで来たものの、どうやって呼び出せばいいのだろう?

 悩みつつ、教室の入り口付近で、しばらくオロオロと中を窺っていると。

 背後から、


「もしかして、僕に用があって来たの?」


 いきなり話し掛けられ、桃花の肩はビクッと跳ねた。

 慌てて振り向くと龍生がいて、桃花と目が合ったとたん、ニコリと笑う。


「僕に用があるから、わざわざ他の教室まで、足を運んでくれたんだろう?――違ったかな?」


 桃花はハッと目を見張った後、肯定こうていの意を示すかのように、何度も深くうなずいた。

 龍生はクスリと笑い、


「やはりね。――では、急ごう。休み時間が終わらないうちに、話を済まさなくては」


 それだけ言うと、『ついて来て』と言うように、視線を進行方向に向け、桃花の先に立って歩き出す。

 再びハッとした桃花は、慌てて龍生の後を追った。




「つまり、そのお友達……保科さん、だったかな? 彼女が納得してくれるような嘘を、僕に考えてほしい――と。そういうこと?」


 校舎の別棟とをつなぐ、渡り廊下のすみまで連れて来られた桃花は、龍生の問いに無言でうなずいた。


「あの……すごく勝手なお願いだって、わかってはいるんですけど……。でも、あの……わたしじゃ、咲耶ちゃんに納得してもらえるだけの嘘を、考える自信、なくて……」


 周りからの好奇な視線にさらされながら、桃花は小さな体を更に小さく縮こませ、必死に言葉をつむぐ。


 同学年に限らず、学校全体――教師達からも、日頃から注目されている龍生だ。女子と二人きりで話し込んでいるとあっては、放って置かれるはずもなかった。


 先ほどから、(特に女生徒からの嫉妬しっとめいた)視線が突き刺さり、桃花は生きた心地がしなかった。

 それでも、頼れる人は龍生しかいないのだからと、懸命に自分をはげまし、やっとの思いで踏み止まっていたのだ。


 龍生の方は、そういう視線には慣れっこなのだろう。特に気にする風もなく。


「なるほどね。……でも、相手が保科さんとなると、少し厳しいかもしれないな。彼女が納得してくれるような嘘を、僕が思いつけるかどうか」

「えっ? 咲耶ちゃんのこと、ご存じなんですか?」


 二人は、同じクラスになったことはなかったはずだ。

 桃花は少し驚いて、龍生を振り仰いだ。(龍生とは身長差がありすぎるため、顔を見ながら話すと、首を痛めてしまいそうだ)


「もちろん。保科さんは、入学当初から注目の的だったからね。美人でスタイルも良くて、活発で聡明で――。これだけ揃っていれば、噂にならないはずがないだろう?」


 言われてみればその通りだ。桃花はこくこくとうなずいた。

 それから改めて、『やっぱり咲耶ちゃんはすごいなぁ』と感動するのだった。


「――ああ。そろそろ、次の授業が始まる。戻らないと。とにかく、君のお願いの内容は理解したよ。僕もいろいろと考えておくから、その話はまた、昼休みにでもすることにしよう。今度は僕が、君のクラスに行く。それでいいかな?」


 授業の時間が迫っているからか、龍生は少し早口になっていた。

 桃花は、龍生が協力してくれるとわかり、ホッとした後、小さくうなずいた。



(よかったぁ。わたし一人だったら、どうなってたか……。秋月くんが協力してくれるなら、もう、何の心配もいらないよね?)



 龍生を頼ったことにより、話は、更にややこしくなるのだが……。


 桃花は、龍生をすっかり信用してしまっていた。

 彼が何か企んでいるなどとは、想像すらしていなかった。


 よって、この後に襲い来る怒涛どとうの展開のことなど、少しも知るよしはないのだった。

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