第5話 気まずい二人の鉢合わせ

 駅でのひと騒動から、数十分後。

 咲耶の暴走を制止することに成功した桃花は、彼女と共に電車に飛び乗り、なんとか無事に、桜月高校に到着していた。


 咲耶とは別クラスなので、二年の教室のある、二階の階段前で別れたのだが、咲耶は廊下を数歩行ったところで振り向き、


「忘れていたが、桃花。朝、私と会う前に、あのしゃくさわるボンボンと何があったのか、教えてもらってないぞ。昼休みにしっかり説明してもらうから、そのつもりでいてくれよ?」


 それだけ言うと、自分のクラスに向かって行った。

 咲耶を見送った後、一人とぼとぼと歩きながら、桃花はひたすらに思い悩む。



(どーしよー。秋月くんと何があったかなんて、言えないよ。……だって、わたしは偶然知っちゃっただけで、もともとは、楠木くんと秋月くん、二人だけの秘密なんだし……)



 そうは言っても、咲耶に隠し事をするなど、可能なのだろうか?

 少なくとも、咲耶に対して秘密を持ったことなど、今まで一度もなかった。



 どうすればいいかわからないまま、教室の前まで来た桃花は、ドアの引手に手を伸ばした。

 だが、途中でピタリと静止し、



(……自信ないけど、やっぱり咲耶ちゃんには、嘘ついてごまかすしかないよね。秋月くんとも約束したし、勝手に秘密をバラしちゃうなんて、最低なことだもん)



 決意したようにうなずき、ギュッとこぶしを握る。

 その手を胸の中心に置いて目をつむると、桃花はそっとちかいを立てた。



(わたし、伊吹桃花は、絶対にこの秘密を守ります。他の誰にも――お友達の咲耶ちゃんにだって言いません。約束します!)



 ――うん!

 これできっと大丈夫!


 何が大丈夫なのかはさっぱりわからないが、誓いを立てたことで、心がいくらか軽くなったのだろう。

 桃花は満足げに微笑むと、教室のドアを開けた。


 ――すると。


「へっ?」

「え…っ?」


 いきなり男子の制服が目に入り、ギョッとして顔を上げる。

 目の前に、結太の顔があった。


「ぅわっ!?」

「きゃあっ!」


 あまりの顔の近さに驚き、二人同時に、後方へと飛びすさった。


 昨日、あんなことがあったばかりの、気まずい者同士である。

 さすがにこれは、心臓に悪い。


「あ、あの……えっと、その……」


 とりあえず、何か言わなくては。

 桃花は、まだドクドクと騒がしい心臓を静めるため、胸元に手をやると、口を開いた。


 しかし、その後の言葉が出て来ない。

 何か言おうと思っても、頭は真っ白。心臓は静まるどころか、ますます激しく暴れ出す始末。



(どっ、どーしよー? 何か言わなきゃ。……何か……何か……。何でもいいから言わなきゃ、変に思われちゃう……!)



 そうだ、挨拶。まずは『おはよう』って言おう。

 ようやくそこに思いいたり、桃花が再び口を開いた時だった。


「す…っ! すいませんっ!! ごめんなさいぃいーーーーーーーッ!!」


 結太は顔を真っ赤に染め、大声で謝罪すると、桃花の横をすり抜け、ものすごい勢いで廊下を駆け出して行く。

 そしてまたたく間に、姿が見えなくなった。



(え……、あれ……? 楠木、くん……?)



 予想外の出来事に、桃花は呆然とし、結太の走って行った方角を向いたまま、固まってしまった。

 ハッと我に返った時には、教室内では、生徒達が次々に着席し始めており、授業開始が近いことを、桃花に気付かせた。



(どーしよー、授業始まっちゃう。……楠木くん、どこ行っちゃったのかな? 先生来るまでに、戻って来てくれればいいんだけど……)



 結太のことが気掛かりだったが、いつまでも教室の前で突っ立っているわけにも行かない。

 桃花は何度も廊下に視線を送りつつ、自分の席に着いた。




 その頃。

 猛然もうぜんと突っ走って、姿を消したはずの結太の姿は、何故か屋上にあった。


 闇雲やみくもに走り続けていただけなので、どうして屋上にいるのかなど、結太にもよくわかっていないのだが。



(あぁあ~~~っ、ビックリしたビックリしたビックリした~~~っ! 伊吹さんのことを考えながら歩いてたら、突然本人の顔が目の前にあるんだもんなぁ。……いやぁ、マジで心臓止まるかと思った)



 全速力で走って来たことにもよるのだろうが、止まるかと思われた心臓は、今はバックンバックンと耳障みみざわりな音を響かせ、体内で躍動やくどうしている。

 深呼吸を何度か繰り返し、落ち着きを取り戻した後、結太はくずれるように腰を下ろした。



(あぁ、伊吹さん……。あんなに間近で顔見るの、初めてだったけど……めっちゃくちゃ可愛かったなぁ。……一瞬だったけど、フワッて良い香りもしたりして……)



 その時のことが頭に浮かび、結太の顔は、ふにゃりとだらしなくゆがんだ。

 だが、すぐさま我に返ると、自分の頬を両手でバシッとたたき、戒めるように言い聞かせる。



(ダメだダメだっ! 呑気のんきほうけてる場合じゃねーだろ!! まだ朝だし、龍生だって、誤解を解いてる暇なんかなかったはずだ。だから伊吹さんは、オレが龍生のことを好きなんだって、勘違いしたままに違いねー。そんな状態で、同じ教室内にいるのは辛いし……。龍生が誤解解いてくれるまで、今日はずっと、ここにいるしかねーな……)



 龍生が同性愛者ではないことは、とっくに桃花に伝わっている。

 そのことを、結太はまだ知らない。


 そして龍生が、ということにさえ、一切気付いていないのだった。

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