第3話 登校は黒塗りの高級車で

 翌日。

 ほとんど眠れないまま朝を迎えた桃花は、身支度を整え、朝食を済ませると、あくびをみ殺しながら家を出た。


 結太と龍生は、あれからどうなったのだろう?

 結太の告白は、龍生に受け入れてもらえたのだろうか?

 それとも――……。


 などと考えていたら、なかなか寝付けなかったのだ。



(今日、教室で楠木くんに会ったら、わたし……変な態度取らずにいられるかな? 告白がうまく行ったのなら、『おめでとう』って言ってあげたいけど、他の人に聞かれたら、何のことかと思われちゃうもんね。余計なことは、言わない方がいいんだよね?……でも、振られちゃってたりしたら……)



 あれこれ思い悩みつつ、うつむいて歩いていたら、


「おはよう、伊吹さん」


 道路側から、さわやかな男性の声がした。

 驚いて顔を上げると、誰が見ても高級とわかる黒塗りの自動車が、桃花の歩くスピードに合わせて並走していた。

 半開きの車の窓からは、龍生の顔がのぞいている。


「あっ、秋月くん!?」


 心底ビックリしたからか、声が裏返ってしまった。

 桃花が恥ずかしさのあまりうつむくと、それには一切気に留める様子もなく、龍生はやわらかく微笑んだ。


「もしよかったら、学校まで乗って行かないか?――話があるんだ」



(話っ!?……って、やっぱり昨日のことだよね?……でも、こんなすごい車で、秋月くんと一緒に登校なんてしたら――)



 絶対その日の内に、うわさが校内中を駆けめぐることだろう。

 名家のお坊ちゃんである秋月と、付き合っているのかと疑われでもしたら、たまったものではない。


 桃花はおのれの周囲に巻き起こるであろう騒動を予測し、恐れおののいて、ふるふると首を振った。


「いっ、いえっ! 車で登校だなんて、とんでもないですっ! それに、駅で友達が待ってますからっ」


 龍生は、『そう? 残念だな』と言いつつも、さらに続ける。


「それじゃあ、駅まで送るよ。――それならいいだろう?」


 言い方は穏やかだったが、何故か断ってはいけないような〝あつ〟を感じ、桃花は無言でうなずいた。




 車中、龍生の隣で小さく体をちぢこませた桃花は、緊張のためか、妙な汗をいていた。


 駅まで、車なら五分と掛からない距離だ。

 そのくらいの時間なら、二人きり(運転手は当然いるが、前の席で、姿もあまり見えないので、数には入れないものとする)でも平気だろうと思っていたのだが、相手が完璧過ぎる龍生だからだろうか。桃花は、逃げ出したくなるほどの居心地いごこちの悪さを感じていた。


「昨日のことだけど――」


 しばし沈黙が続いた後、龍生が口を開いた。


「ひゃっ!?――ふぁ、ふぁいっ!?」


 ビクッと大きく肩を揺らし、桃花はあせって返事をする。

 極度の緊張のためか、妙な声が出た。桃花はたちまち顔を赤らめ、口元を両手でふさいだ。


 龍生は、ほんの少し眉を上げた程度。特に驚くでもなく、吹き出すでもなく、いつも通り落ち着いている。


「もしかして、緊張しているのかな?……そうか。狭い車中に、男と二人きりではね。緊張して……いや、怖くて当然か。すまない、そこまで気が回らなかった」



 口では謝罪し、申し訳なさそうな表情を浮かべてはいたが、正直言って、龍生はこの状況を楽しんでいた。


 結太とのやり取りからも窺えたように、この少年は、見た目通りの『完璧人間』ではない。

 『眉目秀麗』で『文武両道』で『頭脳明晰』で『泰然自若』――までは、その通りと言えるのだが、『品行方正』かと言われれば、そうでもなかった。

 性格に、やや難あり……なのだった。



「あ、いえっ。……き、緊張はしてます……けど、こ、怖いとか、そーゆーのじゃ……」


 慌てて否定する桃花だったが、龍生は小さく首を振り、どこまでも穏やかな声色で。


「いいんだよ、無理しなくても。同じ高校の生徒とは言え、よく知りもしない男の車に乗せられて、怖くないわけがないんだから。……本当に申し訳ない。僕の配慮はいりょが足りなかった」


 結太の前では『俺』だが、彼の本性を知らない者の前では、『僕』や『私』で通すのが龍生だった。


「でも、わかってほしい。君を怖がらせるつもりはなかった。早く昨日の話を聞いてもらいたくて、僕も焦っていたんだ。……内容がデリケートなものだから、人目も気になったしね」

「あ……っ」


 意味ありげに目を伏せる龍生に、桃花はハッとして。


「あ、あの……昨日の話って、やっぱりあのこと……です、よね?」

「……ああ、そうなんだ。君は、言いふらしたりする人間などではないと、信じてはいるけれど……やはり、少し心配でね」


 ここで、龍生はあえて車外に視線を移し、遠くを見つめる。


「わたしっ、昨日見たこと、聞いたこと、絶対誰にも言いませんっ! そんなの楠木くんに失礼だし、秋月くんにだって悪いしっ」


 桃花は思い切り首を振り、言いふらす気などないということを、態度で示した。


「……ありがとう。君なら、そう言ってくれると思っていたよ」


 ゆっくりと桃花に顔を向け、龍生は女性にしか向けることがないであろう、極上の笑顔を浮かべる。


「あと、勘違いしないでほしいんだけど……恋愛対象は女性だから。それだけは覚えておいて」


 やたら『僕の』という部分だけ強調し、龍生は『ね?』と念押しするように小首をかしげた。

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