第2話 誤解を解かなきゃ始まらない!

 桃花が猛スピードで廊下を走って行くのを見送った後。

 体から一気に力が抜けてしまったかのごとく、結太はガクリと床にひざをついた。


 まさか、あの場に桃花が現れるとは。


 想像しえなかったハプニングに、結太はどう対処していいのかわからず、沈黙したまま桃花の言葉を聞いてしまっていたが、あれからして、失敗だったのではないだろうか。


 桃花が言葉を発する前に――いや、桃花の言葉をさえぎってでも、『誤解だ』と伝えるべきではなかったか?


「あれ……完全に誤解してたよな……?」


 膝をついたまま、結太が弱々しくつぶやく。


「ああ、だろうな」


 すかさず龍生が同意すると、結太は両手をも床に着き、深々と頭を垂れた。


「なんで……なんであんなとこに伊吹さんが?……ああ……。俺、よりにもよって……よりにもよって伊吹さんに……」

「思いっきり〝同性愛者〟だと思われたな」

「そう、同性愛者と……。同性――……って、なに冷静に返してんだよっ!? おまえが『告白するなら予行練習が必要だな』とかゆーからっ、嫌だったけど、ゆーとーりにしてやったんじゃねーかッ!!」



 そうなのだ。

 結太は同性愛者ではない。


 そして龍生も、同性愛者ではなかった。


 今結太が言ったように、龍生相手に『告白の予行練習』をしていただけだったのだ。

 しかも、その〝告白の相手〟は、たった今逃げるように去って行った、伊吹桃花なのだった。



「ああ……伊吹さん……。入学式で一目惚れしてからというもの、ずっとずっと、告白するタイミングをうかがってたのに……。二年で同じクラスになって、これで告白する機会が増えるって、舞い上がるほど嬉しかったのに! なぜ…っ、どーしてこんなことにっ!」


 床に両手両膝をつき、なげき続ける結太を見下ろし、龍生は素知そしらぬ顔で言い放った。


「まあ、おまえの恋は、花開く前に見事散った――ということだな」


 ドスドスッと矢が突き刺さったような衝撃が、結太の胸をつらぬいた。

 顔を上げ、うっすらと涙のにじむ目で、龍生をにらみつける。


「おまえなぁっ! どーしてそーゆーこと…っ、そーゆー無神経なことゆーんだよ!? それが幼馴染に向かってゆー台詞せりふかっ!?」



 桃花には〝ぼっち〟と思われていた結太だが、唯一ゆいいつ友人と言える人間がいた。

 それがこの、幼馴染の龍生だった。


 小学校中学校、共に私立のエスカレーター式名門校に通っていた龍生と、普通の公立校に通っていた結太が、なぜ幼馴染になり得るのかと言うと――と語り出すと、かなり長くなってしまうので、ここでは省略することとする。



「バカだな。幼馴染だからこそ言えるんだろうが。気の置けない仲、というやつだな」

「気の……置けない? 油断ならない……え~っと、信じ合えない仲ってことか?」


 〝信じ合えない仲〟だから、好き勝手言える――と言いたいのだろうか。


 結太がイマイチ納得なっとくできないという顔で首をかしげていると、龍生はあきれ顔でため息をつく。


「違う。〝気の置けない〟は、〝気をつかう必要がない〟という意味だ。遠慮せず言い合える仲ってのが、幼馴染ってもんだろう? 違うか?」

「……あ?……あ、いや――。違わねーと思う……けど……」

「まったく。この程度のことを知らないようでは、伊吹さんにも呆れられるぞ。彼女、現国は得意だそうだからな」

「うっせーな! いちいちバカにすんじゃねー!……って、おい待て。なんでおまえが、伊吹さんの得意科目なんて知ってんだ?」


 龍生と桃花は、同じクラスになったことはない。

 部活も家の方向も違う。共通の知り合いだっていないはずだ。

 それなのに何故、そんな個人情報を知っているのだ?


「何故って、彼女のことはいろいろと調査済みだからな。知っていて当然だろう?」

「は!? 調査済み――って、なんだよそれっ?」



(……まさか、『探偵をやとって調べさせた』なんて言わねーだろーな?)



 そんなことまでするわけがないと思いつつも、龍生であれば、そのくらいやりかねない……という気もする。


 結太の探るような視線も意にかいさず、龍生はどこまでも涼しい顔で。


「調査は調査だ。家の者数人に調べさせたから、その情報に間違いはないぞ」


 悪びれもせず、キッパリと言ってのける龍生に、結太は思わずカッとなった。


「情報が正しい正しくないって、そーゆーこと言ってんじゃねーよ! どーしてそんな、コソコソぎ回るような真似まねすんだよ、ってことが言ーてーんだっ!!」



(伊吹さんは、オレの好きな人だぞ!? なのにどーして、龍生がそこまでする必要があるんだ!?)



 もともと、何を考えているのかよくわからない奴ではあったが、今回の行動は、いくらなんでも常軌じょうきいっしている。


 自分の結婚相手の――ならば、まだわかる気もするが、幼馴染の好きな人の調査を、わざわざ人を使ってまでやるなどとは、いったいどういう了見りょうけんなのだ?



「コソコソとは心外だな。堂々と、彼女の周囲の者に聞き込みなどして集めた情報だぞ。ありがたく思えよ」

「――って思えねーよ! 余計なお世話だ、そんなもん!」


 龍生はふぅ、と再びため息をつき。


「……そうか。余計なお世話だったか」

「ああっ、そーだよっ!!」

「なら、この調査書はいらないんだな?」


 結太の目の前で、いつの間に、どこから取り出したのかわからぬ、十数枚ほどがたばねられた書面らしき物体が、ヒラヒラと振られた。


「あたりめーだろっ!! いるかそんなもんっ!!」


 即座に言い返す結太に、龍生は書面をペラペラとめくりながら、


「そうか。それは残念だな。彼女の家族構成、生年月日、血液型はもちろんのこと、好きなもの嫌いなもの、得意なもの不得手ふえてなもの、好みの異性のタイプ、好きな有名人、幼い頃から今までの間に、好きになった異性全ての氏名、特徴などまで、事細かく調べ上げたさせたのに」

「――すっ、好きになった異性の氏名に、特徴っ!?」


 そんなものまで!?――と驚く結太に、龍生は更にたたみ掛ける。


「そうだ。彼女の好きなタイプや、今まで、実際に好きになった男のことがわかれば、何も知らないよりは、攻略するヒントが得られるだろうと思ってな。――おまえとは幼い頃からの付き合いだ。そんなおまえの初恋を実らせるため、少しでも役に立てればと思ってしたことだったんだが……そうか、余計なお世話だったか」

「う…っ」


 そういう風に言われてしまうと、自分の方が悪いことをしてしまったような気になってしまうではないか。


 結太が強く出られないでいると、


「おまけに彼女のスリーサイズと、今なら、0歳から高校の入学式までの生写真付き……だったんだが、これもいらないか。ならばこれは、俺がもらっておくことにし――」

「わーーーッ!! もらうもらうっ!! オレがもらうっ!! もらえばいーんだろコンチクショウっ!!」



(伊吹さんのスリーサイズ……って、それはともかく。彼女の生写真なんて、龍生にやってたまるかっ!!)



 慌てて結太が両手を挙げると、龍生は口の端を上げ、ポツリとつぶやいた。


「――毎度あり」


 龍生から渡された調査書とやらを、素早くかばん仕舞しまい込むと、結太はハァ、と小さく息をついた。


 もし、これを落として誰かに見られたりしたら、桃花に迷惑が掛かる。

 絶対、他の者の目に触れさせてはならない。


「なんだ、内容を確認しないのか?……ああ。家に帰って、一人でニヤつきながら、じっくり目を通そうってわけか」

「ニヤつきながらってなんだよ!? べつにニヤつかねーよっ! これは家に帰ったら処分する! 決まってんだろ!」


 結太は龍生を睨みつけて断言した。

 龍生は意外そうに目を見張り。


「処分?……おまえ、俺の苦労を台無しにするつもりか?」


 当たり前だと言うように龍生を見据みすえ、結太は大きな声で言い返す。


「何が苦労だ! おまえは指図さしずしただけじゃねーか! 苦労したのはおまえじゃなく、命じられた人達だけだろ!?」


 龍生は顔色ひとつ変えず、数秒間、黙って結太を見返していた。

 それから、フッと皮肉シニカルな笑みをこぼすと。


「確かに、俺自身が訊き回ったわけではないな。……で? それが何だと言うんだ? 誰がどう調べようと、それがおまえの役に立つものだということに、変わりはないはずだ」

「役になんか立つかよっ! コソコソとだか堂々とだか知んねーが、オレのいねーとこで勝手に調べた情報なんか、当てにしてたまるか! 本当に必要な情報なら、自分で調べるっつーの! だからもう、ほっといてくれ!」


 そう言い放つと、結太は鞄を引っつかみ、教室から出て行こうとした。

 龍生は止めはしなかった。ただ、彼の背に向かって、静かに問う。


「放っておくのは構わんが……本当にいいんだな?」

「――はっ? 何が?」

「伊吹さんに、でも、いいんだな?」

「――っ!」



(そっ、そーだった! まだ、その問題が解決してねーんだったぁああああッ!!)



 一気に顔面蒼白がんめんそうはくになり、結太は後ろの引き戸の前で足を止めた。


 自分一人の力で、彼女について調べるまではいいとしよう。

 しかし、告白する気なら、何よりもまず、誤解を解かなくてはならない。それが最優先事項だ。

 同性愛者だと思っている相手から告白されても、彼女は戸惑とまどうだけだろうから。


「そ――っ、……そ、そーだよ。そーなんだよな。……誤解を解かなきゃ、何も始まらねー。始められねーんだ。……誤解……誤解を解かなきゃ……。でも、いったいどーやって……」


 蒼い顔のまま、その場でブツブツとつぶやく結太の肩に、龍生はポンと片手を置く。


「まあ、落ち着け。誤解を解けばいいだけの話だろう?」

「――へっ?」


 龍生の言葉を心の内で反芻はんすうした後、結太はハッと顔を上げた。



(誤解を解けばいいだけ……って、まさか)



「……もしかして龍生、誤解、解いてくれんのか?」


 恐る恐る訊ねる結太に、龍生は微笑して。


「当然だろう? 誤解は解くさ」


 龍生の言葉を聞いたとたん、結太の目は大きく見開かれ、次に、ホッとしたように顔をほころばせた。


「サンキュー、龍生! 恩に着るぜ!……あ~よかった~! 誤解、解いてくれんだな!」

「ああ、もちろん」

「そっかー! これで何の問題もねーな!……ホントにありがとな、龍生。やっぱ持つべきものは、頼りになる幼馴染だ!」


 龍生の言葉をすっかり信じ込み、しきりに感謝している結太だったが……。

 不安が解消し、浮かれきっている彼は知らなかった。


「……まあ、解くと言っても……俺の誤解だけだが、な」


 などと、龍生が小さくつぶやいたことを――。

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