第4話:ᚱᚤᚢᛣᛟᚴᚢの勇者イオス
――長い、夢を見ていた。
瞼は開かない。意識だけが薄く覚醒している。ひとまずゆっくりと、体に血を巡らすことを意識する。呼吸のペースを少し上げ、数時間が経ってようやく瞼が開く。暗い。そして静かだ。仕方がないので体が動くまで目を閉じておくことにした。
覚醒してから三日。ようやく魔術も使えるくらいになったので、外に出る。洞窟のようなところに閉じこもっていた。――魔王との戦いで力を使い果たし、眠りについてから何年経っただろうか。魔術を用いて、周囲の環境変化を探る。ついでに、久しぶりに声を出そう。
「――三百年、か。随分と、かかったね」
かすれた声で呟いて、イオスはぼんやりと、空を見上げる。三百年ぶりに見た青空は、あの頃と何も変わっていない。
「でも、もう、誰もいない」
彼女の感覚では、数日前まで共に在った仲間たちは、もうこの世にいないだろう。長命な何人かはもしかしたら永らえているかもしれないが、ほとんどは影も形もなくなってしまったはずだ。
「――予想はしていた。覚悟も決めていた。でも……思った以上に、寂しいものだね」
自分の感情に、イオスは驚いていた。手に入れたものが失われる感覚。それは、初めての経験だ。
「十年か。私の生からしたら、一瞬でしかないはずなのにね」
魔王を倒すために、勇者たちと過ごした日々。本当に、瞬く間だ。力を使い果たし、眠っていた期間から考えてもごくわずかな時間。――だけど。
「それでも、とても大事な時間だったんだね。今、ようやくわかった」
あの時、自分はどんな風に彼らと過ごしていただろう。――最後の日まで、後悔することはなかっただろうか。
「――いや、後悔だらけだ。もっと話したかったし、色々なところに行きたかった」
他の勇者たちと積極的なコミュニケーションを取ろうともしていなかったし、お互いのことを話すようなこともなかった。――もちろん信頼関係はあったし、まぎれもなく仲間ではあったが、もっと、やれることはあったはずだ。
「全く、終わってから気づくなんて、情けない限りだ。でも――」
羅針盤のイオスなら、まだ、やれることはある。
「数年……下手したら数十年単位の眠りかな? ……意識を飛ばして私の身体を操作するなら、コストはそこまでかからないと思いたいけど、丸一日だとすると……」
しばし考えた後、イオスは祈るように両手を合わせた。
「――まぁ、いいさ。代償のことは後で考えよう。今はただ、もう一度、彼らに会って、やりたいことがある」
過去改変。それは歴史を歪める重大行為。本来なら許されることではない。――だが、それでも。
「私がその力をもらったのだから、好きに使うさ。魔王を倒したご褒美に、楽しく一日を過ごすくらい、世界もきっと見逃してくれる。何せ私は勇者だからね。――運命転換、過去を辿れ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それは、魔王との決戦の前日のこと。
既に準備は整っている。もしかしたら最後の一日になるかもしれない。だから、その日は皆、自由に過ごしていいということになっていた。――その早朝。勇者たちが泊っている宿にて。
「はーい、全員、起床ー。準備ができたら一階に降りてきて」
大きな声ではないが耳元で響く、少女の声。イオスは魔術を使い、勇者たち全員を無理やりに起こした。
「なんだよイオス……俺は今日最後かもしれない惰眠を貪ると決めてたのに……」
「私はゆっくりと朝食を取る予定だったのに……」
「……なんなんだ、いつもはこんなことしないだろう。どういう心境だ」
十人を超える他の勇者たちも戸惑いの声を上げている、が――イオスは無視して話し始める。
「突然悪いね。――率直に言うと、みんな、今日一日を私にくれないかな? やりたいことがあるんだ。楽しいかは……まぁわからないんだけど、最善は尽くすよ」
「……イオス? 本当にどうしたんだ? 普段、君はそんなに俺たちに関わってこなかったのに」
「お前の『羅針盤』で何かが見えたのか……?」
ざわざわと、不安の声を上げる勇者たち。それを遮るようにイオスは口を開いた。
「――大丈夫、皆は必ず無事に帰れる。『羅針盤のイオス』が保証するよ。これは……なんていうのかな、最後くらい、楽しい思い出を作るのも悪くないかな、と思ったんだ。どうだい? 強制はしないけど、一生に一度の経験になること請け合いだよ」
勇者たちは、言葉に含まれた何かを感じたのか、多少の不平を漏らしながらも、イオスの提案に同意した。
「じゃあ、町の外に行こう。……広いところでないと、危ないからね。あ、トイレは済ませておいて」
勇者たちを引き連れて、イオスは町の外へ向かった。広い草原。青い空。
「――いいね、旅行日和だ。じゃあ……少し離れていて。元の姿に戻るから」
言葉と同時、イオスは全身から光を放ち――その姿を変貌させた。
「……久しぶりに見たな、イオスのこの姿」
勇者たちの前に佇むのは、巨大な紫色の、竜。
――これは『竜族の勇者』イオスの、本来の姿だ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「こりゃすげぇ! ……まさか、竜の背中に乗れる日が来るなんて……!」
「確かに、これは『一生に一度の経験』だな……」
「これ、羽で飛んでるわけじゃない……。やっぱり魔術ね。興味深いわ」
他のみんなも、思い思いに歓声を上げている。そう。勇者たちは今、竜となったイオスの背に乗って、大空を飛んでいた。
地上は遥か遠く、本来であれば風が過酷な状況も、竜の魔術によってか、地上にいる時と何ら変わらない状況で、竜の背に乗ることができている。
幸い勇者たちの中に高所に恐怖を覚えるものはいなかったため、空中散歩を楽しんだのち、とある巨大な山の中腹にイオスは着陸した。凄まじく高い山で、地上から昇るとなれば相当な苦労を強いられることは間違いない。
勇者たちが地上に降りると、イオスは元の姿に戻った。
「イオス、ここはどこなんだ? 正直移動が速すぎてどこに向かっていたのかもさっぱりわからなかったんだが……」
カーマインの言葉にイオスは笑みを浮かべた。
「決まっているだろう? ――仲のいい相手は、家に招くと聞いたからね。ここは私の故郷、『竜の住む山』さ。人が訪れるのは初めてのはずだよ」
絶句する勇者たちを尻目に、イオスは竜の住処に向かう。山を切り開いて広場が作られており、大小さまざまな家が乱立している。統一感の全くない、人から見れば不思議な光景だった。
「――イオス!? あんた何突然……え? 人? なんで連れてきたのあんた」
「やあパイロープ。紹介するよ。私の仲間にして友人の勇者たちだ。一人ずつの説明は割愛するよ」
パイロープ、と呼ばれたのは、長い赤毛に角と尾の生えた、やや大柄な女性だった。――おそらくは、竜。
「いやいやいや。ダメでしょ、勝手に。長には話し通してるの?」
「大丈夫だよ。どうせ起きない。すぐに戻るから……ああ、そうだ。パイロープ。君、料理得意だったろう? 何か食べ物用意してくれないかな。朝食がまだなんだ」
「……いきなり来て、何を」
「まぁそういわずに、頼むよ。……今日が、最後なんだ。明日、魔王と戦いに行く予定でね」
「――――そう。そっか。ならまあ許してあげる。大したもの出せないけど、適当にその辺回ったら家来て、準備しとくから」
「助かるよ。持つべきものは友人だね」
「――よかったわね。友達がたくさんできて」
「うん。本当に」
パイロープは軽く勇者たちに会釈すると、そのまま家の方向に向かっていった。勇者たちはそのやり取りを見て呆然としている。
「……あれは、竜なのか?」
「うん。火竜のパイロープ。私よりよっぽど強いから、怒らせないようにね」
「……とんでもない魔力量……イオスも人間とは比較にならないけど、それ以上ね」
「竜だからね。……じゃあ、色々見て回った後に、パイロープの食事をご馳走になろうか」
イオスは集落の中の色々な場所を案内した。彼女の生まれた家。よく遊んだ場所、いつもいた場所、そして、友人。竜の作る食事は、人間のものとは多少違ってはいたもののとてもおいしく、勇者たちは食事を楽しんだ。
◆◇◆◇◆◇
「ふぅ、おいしかった。時間もないし、そろそろ出発しようか。ありがとうね、パイロープ」
「はいはい。外まで送る」
先頭に立って進んでいくイオス。それについていきながら、パイロープは人間の勇者、カーマインに声を掛けた。
「イオスと仲良くしてくれて、ありがとう。あの子、変わってるから、心配だったんだ」
「いや……実際はどうなのかな。俺は、彼女に色々助けてもらっているし、何より友人だと思ってはいるけど、彼女はどう思っているのか……」
「とても大事に思ってるはず。そうじゃなきゃ、こんなところ連れてこないし、そもそも背中になんか乗せないから。――イオス、最初は勇者になること嫌がっていたから、まさかこんな風に変わるなんてね。驚きだし、嬉しい」
「――なら、よかった。彼女がこんな風に心をひらいてくれたのは、たぶん初めてなんだ。明日、魔王との決戦だから。……誰か、死ぬかもしれないから、なのかもしれないけど……」
「大丈夫。イオスがいれば、誰も死なない。――あなた達は、大丈夫。私が保証する」
「――そうか。なら今日を、精いっぱい楽しむとするか」
「それがいいよ。彼女が一生懸命考えたプランなんだろうから、楽しんであげて」
そうして、イオスは故郷の山を離れ、飛んで行った。――きっとこれは、彼女なりの別れの儀式なんだろう。せめて、彼女が今日一日楽しめるようにと、パイロープは祈った。
◆◇◆◇◆◇
それから。様々な場所を巡った。とある島にある、謎の部族の村を訪れたり、そこで海を満喫したり、かと思えば、空高く、雲の上にある天の国を訪れてみたり。様々な絶景を巡ったり。様々な場所の名物料理を食べ比べたり。……楽しい時間は、残酷なほど早く過ぎていった。
「――夕暮れだ。そろそろ、戻らないとね」
竜の背から見る空は、悲しくなるほど美しかった。イオス自身の鱗にもよく似た、菫色の空。皆無言で、暮れ行く陽を眺める。いつの間にか空には、星が瞬き始めていた。
朝、出発した町の前に戻ってきた。すっかり日は暮れ、あとはゆっくりと体を休め、明日に備える時間だ。
「みんな、どうだったかな。いや――聞くのは野暮だね。私は、とても楽しかったよ。最初で、最後の、旅行」
イオスは、勇者たちの顔を一人一人、見た。それを瞳に、心に、焼き付けた。
「今日一日、付き合ってくれてありがとう。――きっと、明日はうまくいくよ。私が保証する。だからみんな」
そこで、言葉を区切る。――あぁ、これが、涙か。
「どうか。どうかこの先も、幸せに――」
祈るように、イオスは言った。
「――まぁ、もし道を間違えたら、私が導きに行ってあげるよ。何せ私は『羅針盤のイオス』だからね」
そういって、笑みを浮かべる。それが――最後の、言葉。その直後、彼女の意識は復旧した。
◆◇◆◇◆◇
――魔王を倒した勇者たちは、様々な種族の集まりだったこともあり、心を通わせることは無かったのではと言われていた。実際に、魔王を倒した後、大半は故郷へ戻ってしまい、その後の交流も多くはなかった。
だが、つい先日、勇者たちの功績を讃え、作られた資料館に、匿名で一つの絵が届けられた。
――そこに描かれていたのは、紫色の竜の背に乗り、笑い合いながら旅をする勇者たちの姿。この絵によって、勇者たちが信頼で結ばれた、本当の仲間であったことが証明された。実際にこの旅で訪れた地には、その様子が伝えられていたという。
魔王退治の前日に行われたと言われる、この旅のきっかけを作ったのは『羅針盤のイオス』。
彼らの中で最も大きく、最も強く、そして――最も孤独だった『竜族の勇者』イオスだったと伝えられている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます