第3話:エルフの勇者ヴェール

「ここが大森林か。立派な木だ」


 イオスは巨大な木々が立ち並ぶ森の入り口に立っていた。人の気配はなく、道も全く舗装されていない。最寄りの町からここに来るまでに結構な時間がかかっている。


「さて、大森林はエルフ以外は基本的には入れないんだよね確か。どうしたものかな」


 しばし考えたが、面倒になったので気にせず森に侵入を試みるイオス。魔術による阻害効果があったようだが、彼女は優れた魔術士なのでそんなものは通用しなった。気にせず森の奥へ進んでいく。しばらく進んだところで――。


「止まれ」


 イオスは声をかけられ、従う。おそらく樹上から、狙われている。


「何用だ。ここはエルフ以外進入禁止の森だ。そもそも普通ならば入ることすらできないはずだが……」


 姿は見えない、が声の聞こえる方角から大体の位置は分かった。そちらに向けて口を開く。


「まぁ、私はすごいからね。それで、要件なんだけど……ここに、エルフの勇者ヴェールがいたはずなんだが、ゆかりの場所とかあるかな? 案内してほしいんだけど」


「…………なぜだ。貴様、ヴェール様に何の用事がある」


「面倒だから明かすとね、私は昔、彼女とともに戦った勇者の一人なんだ。彼女の残したメッセージを聞きに来た。少しだけでいいから、縁のありそうな場所に連れて行ってくれないかな?」


「――名は」


「イオス。――羅針盤の、イオスだよ」


「……その名は、ヴェール様から伺ったことがある。何より気配が尋常な人のものではない。――信じよう。着いてこい」


 声だけしか聞こえなかったエルフは音もなくイオスの目の前に降り立ち、どこかへ進み始めた。見たところ二十歳前後のようだが、エルフは長命だ。見た目通りの年齢ではないだろう。イオスが一人で森を進んできたときは道がひどくわかりづらかったが、彼女の後に続くと足元に歩きやすい道が示されていた。


「エルフは認識を操る魔術が得意だとヴェールが言っていたね、そういえば。――彼女はどんな生を送ったのかな。楽しみだ」


「――――すぐに、わかるさ」


 イオスのつぶやきに、ポツリと、答えが返ってきた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ここが?」


「ヴェール様のお屋敷だ。こっちへ」


 おそらく自然物で造られているのだろう。木、草、蔦を主に用いて作られた巨大な屋敷。一見すると脆いようにも思えたが、強固な魔力で補強されていることが見て取れる。おそらく相当な衝撃でもびくともしないだろう。


 ブルーノの時の様に博物館になっているわけではない。人気はないが、普通に生活に使われているような感じだ。


「入ります」


 木製の、装飾がなされた扉を越えて一番奥の部屋に入る。そこには――。


「ヴェール?」


 あの時とほとんど姿の変わらない、エルフの女性がそこにいた。金の髪、緑の瞳。さすがに当時とは違い、ゆったりとした、それでいて高級そうな衣類を纏っている。


「生きていたんだね。エルフは長命と聞いていたけど、まさか会えるとは……嬉しいよ。来た甲斐があった」


 しかし、ヴェールはイオスの言葉には反応せず、ただ微笑んでこちらを見つめているだけだ。


「ヴェール? ……君、もしかして意識が……?」


「ヴェール様は、その……認知機能が低下してしまっている。肉体的にはまだ大丈夫なのだが、精神的に普通ではない状態なんだ。簡単な受け答えや最低限の日常動作はできるんだが、昔のことなどは一切覚えていない……おそらく、あなたのことも」


「……こんにちは、どなた?」


 ゆっくりと、言葉を紡ぐヴェール。見た目の雰囲気は大きく変わっていないが、なんとなく、違和感がある。具体的には、知性を感じないように思えた。


「――エルフにとっても、私が眠っている時間は、長すぎたのか」


「……いや。エルフは、年をとってもしばらくは外見はほとんど変わらない。死が近づくと一気に老化する。ヴェール様はまだその段階にはないのだが……彼女は、勇者としての魔王の戦いを経て、様々な刺激を受けすぎてしまった。結果、ここの緩やかな生活に耐えられなかったんだ。――エルフは、本来この森から出ることは許されない。でも、ヴェール様は何度も外に出たいと願った。仲間たちがいなくなってしまう前に、せめて一度会わせてくれと。――だが、当時の長はそれを許さなかった。ヴェール様は長い間、とある場所に幽閉された」


「――残酷なことをするね」


「本来、エルフにとっては大した罰にはならないんだ。寿命は長いし、書物や、娯楽、望むものはおおむね提供される。だが、外を知る彼女には耐えられなかった。そして、心を病んでしまった……もしかしたら、別の要因もあったかもしれないが……いや、それはいい。とにかく、それ以来ずっとこうして暮らしている。……勇者としての功績があるから、お付きの人はいて、不自由のない暮らしはしている。……ただ、時折、空を、遠くを、ぼうっと見ていらっしゃる……まるで、閉じ込められた鳥のように」


 イオスは、ヴェールに近づき、彼女の目線に合わせてしゃがみこんだ。


「ヴェール。久しぶりだね。覚えているかい? …………なるほど」


 声に反応はない。イオスはしばしヴェールの様子をじっ、と見つめた後、立ち上がって振り向いた。


「……ねぇ、君。彼女が閉じ込められていたという場所に連れて行ってくれないかな?」


「え……? あ、ああ。わかった」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「なるほど、あまり趣味のいい場所ではないね。一応それなりに広いし、色々と置いてあるのは分かるんだけど。――さて、少し確認したいことがある。変なことはしないから、少し外へ出ていてくれない? ヴェールのためなんだ」


 その言葉にうなずいて、案内してくれたエルフは去った。


「さて。じゃあ、やろうか。――記憶を映せ」


 現れたのは、憔悴した様子のヴェール。今の様子とは違い、そこには知性の光が感じられる。


「イオス。ごめんなさいね。こんなところで。でも、今残さないと、私が私でなくなってしまいそうだったから。……イオス。エルフはね、とても閉鎖的な生活をしているの。勇者として魔王討伐に手を貸したことさえ、普通ならあり得ないことだった。それだけ、切羽詰まっていたということなんでしょうけど。でも、それで私は知ってしまった。――世界の広さと、面白さを」


 ヴェールの美しい顔が、複雑な表情を描く。


「色々な景色が、食事が、娯楽が。……そして、人が、世界には溢れている。それを知ったら、もうこんなところに籠る生活はしたくなかった。だから、出ていこうとした。……その結果が、これ。この部屋、村にあるものは何でも揃っているわ。何も不自由はない。でも、自由もない」


 ヴェールは少し目を伏せ、しかしその後、強い意志を感じる瞳で、口を開いた。


「――私は、諦めないわ。説得が無理なら、力ずくでも出て行く。……さすがに今、暴れてもどうにもならないから、せめて魔術の研究を進めているけれど……解放されたら、行動を起こすつもり。だからこの記録は、もしかしたらイオスには届かないかもしれないわね。でも、これが私の決意表明だから。……もしかしたら、あなたにもまた会えるかしら。楽しみにしているわ、イオス」


 今の彼女の状況とは全く違う姿。……きっと、何かあったのだろう。次の記憶があるので、映し出す。


「……イオス。やられたわ。長老を、古参のエルフたちを甘く見ていた。いえ、まさかここまでするとは思っていなかった……。私は、少しずつ魔術による洗脳を受けている。幽閉されて既に五年、段々、自我が失われてきているわ。――勇者として戦った時の記憶も、段々と薄れてきている。このまま、何もかも忘れて、他のエルフたちのように、従順に生きていくことになってしまうのかしら……。もうすぐ、脱出のための魔術も、完成しそうなのに……。イオス。会いたいわ。カーマインにも、ブルーノにも。会って、話がしたい。できるならもう一度、共に旅をしたい。何とか、耐えて……そうしたら、ここを……」


 苦しそうなヴェールの声を最後に、ぷつり、と映像が途切れた。――それで、終わり。きっと、彼女はここで、いなくなってしまった。


「……ヴェール。なんてことだろうね。全く、愚かな連中もいたものだ。こんな村、なくなってしまえばいいとさえ思うけれど……平和主義者だった君は望まないだろう。――だから、私が君に、外の世界をもう一度見せてあげるよ。井の中ではなく、大海原に出ようじゃないか。――『羅針盤』として、路を示そう」


 そうして、イオスは手を組み、呟く。


「運命転換――過去を辿れ」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ヴェールは、窓から外を見ると、ため息をついた。幽閉されてからそれなりの時間が経過しているのだろう、彼女の瞳に諦めの色が浮かんでいる。


「やあヴェール。相変わらず美しいね」


 イオスはそんなヴェールにいきなり声をかけた。


「イ、イオス……!? どうやって……実体ではない? どこか別の次元から? なんて高度な、魔術……いえ、魔法? 何が起こっているの?」


「さすがだね、魔術に関する知識は勇者の誰よりも長けていた。今も磨き続けているようだしね……でも時間がないんだ、説明は省くよ。……ただ、君の場合、私が届けるべきなのは言葉ではないね。――ヴェール、君はもうすぐ、人格を奪われる」


「……魔術で? ……エルフの魔術は秘匿されるべきと常に言ってはいるけど、まさかそこまでするなんて……」


「でも大丈夫。私が防御の術をかける。では、解除どころか気づくこともできないと思うよ。あとは、君の思うままに行動すればいい。すでに定まっている道を補強するのが『羅針盤』としての私の役目だ。――あぁ、そうだ。とりあえず……カーマインとブルーノの住む村の名前と場所を教えておくよ。……二人とも、まだ存命だ。君に会いたがっていた、よかったら、訪れてみるといい」


「イオス。……ありがとう。この規模の魔法、いくらあなたでも、大きな反動があるでしょうに……」


「なに、多少の時間が奪われるだけさ。私にとっては些細なことだよ。――ヴェール。君とはまた会える。だからその時に、ゆっくりと話そう。あぁ、ちゃんと、二人と会って話して、その結果を聞かせてくれよ。私からの命令だ」


「……相変わらず、偉そうね」


「偉いからね。……じゃあ、また」


「ええ、また。あ、そうだ。――私に会ったとき、ちゃんと、名前を名乗ってね。お願いよ」


 ヴェールの最後の言葉を刻み、イオスはその場から姿を消した。あるべき彼女との再会を願って。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「もう終わったのか?」


「うん。もういいよ。もう一回、ヴェールと会いたいんだけど、いいかな」


「……構わないが、何も変わらないと思うぞ」


「いいんだ。頼むよ」


 そうして、再びヴェールの屋敷の部屋で、イオスは彼女と対面する。案内のエルフには、席を外してもらった。


「やあ、ヴェール。……イオスだよ、わかるかい」


 その言葉を聞いたヴェールは、ぴたり、と静止し……にこり、と笑った。


「――イオス。あなたがこれを聞いているということは、、ということね。ありがとう、あなたのおかげだわ」


「――礼には及ばないよ、ヴェール。……いや、その、、と呼ぶべきかな」


 ――そう。このヴェールは、本人ではない。魔術により造られた幻想の人形。術者と遜色のない容姿に簡単な受け答えと振る舞いを可能とし、完璧に本人であると誤認させる、おそらく数百年規模で編まれた彼女の最高傑作。


「エルフの長老たちも、そして私にもすぐには気付かせなかったくらいだ。血のにじむような努力と研鑽の成果なのだろうね。……今、本当のヴェールはどこに?」


「……私は、ここではない、どこか、遠くで、旅をしているはず。――きっといつか、巡り合うことでしょう」


「――そうだね、その日を楽しみにしよう」


 そうして、イオスは再び旅に出る。かつての旧友との再会を祈りながら。









 



 

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