第1話:人族の勇者カーマイン
激しい戦闘の末、魔王は倒され、魔族たちは魔界に退いた。勇者たちは喜びを讃えあったが、その中で最も活躍したとされる『羅針盤のイオス』の消耗は激しく、通常の生活に戻ることは困難だった。イオスは体を休めるため、永い眠りにつくこととなった。その直前、イオスはその場にいた勇者たちにこう言った。
――おそらく、次に私が目覚めたとき、君達の大半は死んでいるだろう。ただ、それで終わりなのはさすがに味気ない。
そこでお願いだ。私に向けて、どんなことがあったかを報告してほしい。口頭で構わないし頻度は任せるよ。ただ、毎回決まった場所で、必ず私の名前を呼んでから頼むね。あとで記憶を辿れるように。
……もうそろそろ限界が近いな。では、君たちがどんな生を送ったか、それを知ることを楽しみにしているよ。
――さようなら、私の仲間たち。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ふぁ……ねむい」
街道を、一人の少女が歩いている。
「久しぶりだからあんまり覚えてないけど……道はだいぶ舗装されているね。ずいぶんと技術は進歩したらしい」
それから少女は昼夜を問わず歩き続けた。特に消耗する様子もなく、淡々と歩を進めた。明かりも必要とせず、獣や虫が寄り付くこともない。汗一つかかず、まるで時間から切り取られているかのように、一定のペースで歩き続けた。
「ここか」
少女がたどり着いたのは、山間にある小さな村だった。入口に小さな石碑があり『勇者カーマイン生没の地』と記されている。
少女は村で一人の老人を見つけ、声をかけた。
「おじいさん。ここ、勇者カーマインが生まれた場所って聞いたんだけど、何かゆかりの場所とか、住んでいた家とか残っている?」
老人は少女を見て、少し驚いた後、何かに納得したように頷いた。
「おや。……懐かしい名前を聞きましたな。彼を目当てに訪れた人は何十年ぶりでしょうか……。今残っているのは、入口の石碑と、お墓くらいです。住んでいた家も長い年月の中で崩れ落ちて、今その場所には彼に縁のある品を展示した、小さな小屋が建っております」
「なるほど。じゃあその小屋に案内してもらってもいいかな?」
「ええ、こちらです」
少女は老人のゆっくりとした歩みに着いていきながら、村の中を見渡す少女。特筆すべきものは特にない、穏やかな村。……とても、世界を救った勇者が生まれ、暮らし、死んでいったとは思えないくらいだ。
(それだけの月日が経った、ということなんだろうね……)
少女が案内されたのは、様々な品が陳列された部屋だった。埃が積もらないように定期的に掃除はしているということだが、貴重ともいえる品の大半は特に何かに覆われることもなく、無造作ともいえる状態で置かれている。とはいえ、武器や装備品の類はない。簡単な手記や、手紙、晩年の肖像画や、使っていた日用品など。多くはボロボロで、文字はかろうじて判別できる程度だ。肖像画もかなりダメージを受けていて、人相はよくわからない。
「あと、もう一つあります。これは特別な魔術がかけられているようなので、普段は開放していないのですが」
老人が箱から取り出したのは、多くの人物が描かれた絵だった。先ほどの肖像画とは異なり、それぞれの顔まではっきりと見て取れる。
「これは、魔王との戦いに挑む前の勇者たちの絵だと言われていましてな。カーマイン様がお持ちだったものの大半は風化してしまっているのですが……これだけは、全く状態が変わらず、残っているのです。この、赤毛の方が、勇者カーマイン様だと言われています」
老人が指したのは、少し鋭い目つきの赤毛の青年。
「そうだね。懐かしい顔だ」
老人は、少女の方をじっと目を向け、その次に、肖像画のある一点を見る。
――そこには、菫色の髪と瞳を持つ、少女が描かれていた。
「しばらく、見ていかれますか?」
「そうだね。――少し、一人にしてもらってもいいかな」
「ええ、構いません。ごゆっくり」
老人が去ったあと、少女はゆっくりと部屋を見渡し、右手を掲げて呟いた。
「――記憶を映せ」
少女の声と同時に、部屋の中に人影が現れる。――それは、人族の勇者カーマイン。
「――イオス。久しぶり。元気か? 俺は見ての通りだ」
そういって笑みを浮かべるカーマイン。その様子を見て、少女――羅針盤のイオスは微笑んだ。
「ちゃんと、残してくれたんだね。助かるよ、カーマイン」
◇◆◇◆◇◆
――それは、何気ない日常の風景だった。
カーマインは、魔王を倒したのち、国へ戻り、様々な式典や祭りに参加し、当時の状況の報告などを行った。それらがひと段落したのち、故郷に戻り、村での生活を始めた。とはいっても、家が村にあるだけで、勇者として様々な場所へ飛び回り、人助けや冒険に明け暮れていたらしい。一つ目の報告は、魔王を倒した後の祭りの話や、そのあとの様々な冒険の話だった。
「毎日忙しいけどな、充実してるよ。勇者連中のなかにはそれぞれの種族の中で偉くなったり、大きなことをしているやつもいるらしいけど、俺はこうして、人助けや冒険をするのが性に合ってる。騎士とか、色々誘われはしたけどな」
一つ目の記憶を見終わり、イオスは微笑んだ。彼女は人間とは全く異なる尺度で生きてはいるものの、共に在った仲間の幸運を願うくらいの情緒はあるのだ。そして、二つ目。
「よう、イオス。見てくれ。――これが、俺の息子だ。かわいいだろ」
少し貫禄のついたカーマインが映る。その手には、すやすやと眠る赤子が抱かれていた。傍らには優しそうな女性が立ってる。
「そうか、結婚して、子供を作ったんだね」
そして、数年に一度の報告で、子供は少しずつ大きくなっていった。同時に、傍らの女性に、疲労の色が見えていることも気づく。そして――。
「……イオス。久しぶりだな。だいぶ時間が空いた。――色々あってな、今は一人で暮らしてる。妻と子供は、出て行っちまった。……俺はずっと、手に届く人たちを助けたいと思って生きてきた。だから、家を空けて旅をしていることが多かった。――妻も子も、それを良しとしてくれていると思ってたんだ。金は魔王を倒したときにもらったのが結構残ってたし、不自由はないと思っていた。でも……残念ながら違った。なぁ、イオス。俺はどこで間違ったんだろうな」
すっかり老け込んだカーマインの姿。それから、報告はめっきり少なくなった。そして……最後の時が来た。
「イオス……ゴホッ、はぁ。すまんな、もう起き上がることも難しい。ベッドの上からで悪いが、聞いてくれ。――俺は、もう長くない。ここのところずっと、魔王と戦った日々を思い出していたよ。大体、十年間くらいか。思ったより、長かった。あっという間だったようにも思えるけどな。――今思えば、あの日々は楽しかった。何のしがらみもなく、ただ魔王を倒すという目的のために必死に戦った。思えばめちゃくちゃなメンバーだったし、別に気の合うやつらばかりでもなかった。喧嘩も言い合いもたくさんしたが、最後には分かり合えた。かけがえのない、仲間だった……」
髭が生え、白髪になり、やせ衰えた男が、うわごとの様に呟く。
「なぁ、イオス。この死の間際になって、あの日々が一番だったと思ってしまうのは、間違っているのかな……勇者なんて呼ばれて、自分なりに頑張ってきたつもりだったが……結局俺はこうして一人、死んでいく。みんな、今どうしてるんだろうなぁ……会いたいな……会いに行けば良かったな。何度かあったやつもいたが、大半はあれっきりだ。イオス。お前の魔術で、教えてくれよ。みんな、どうなったんだ? 幸せに、暮らしてんのかな。……あぁ、会いたいなぁ、あの頃に、戻りたいよ……」
カーマインの弱々しい言葉の記録を聞きながら、イオスは口を開く。
「カーマイン、君は間違っているよ。あの頃が一番だったんじゃない。単に君が、それ以降の人生において、幸せな瞬間がなかっただけだ。――だから、過去の輝きに、栄光にすがっている。……悲しいね。勇者とまで呼ばれた男の最期が、これとは」
皮肉ではない。淡々とした口調ではあるが、心からイオスはカーマインの最期を悲しんでいた。
「――だからね、カーマイン。昔の仲間のよしみだ。せめて君の運命に、別の道を示そう。何せ私は『羅針盤のイオス』だからね。道に迷ったのなら、導いてあげなくては」
言葉と同時、カーマインは目を閉じ、両手を胸の前で組んだ。――祈るように。
「運命転換――過去を辿れ」
◇◆◇◆◇◆
――次の瞬間、イオスの目に飛び込んできたのは、若い頃のカーマイン。そして彼に向かって怒りの言葉をぶつける女性。それを見て泣く、子供。
しかしカーマインはそれらを無視して家を出ていこうとする。そこへ。
「カーマイン。随分と自分勝手になったものだね。口は悪いが誰よりも優しかった君が」
ぴたり、とカーマインが足を止め、振り返った。女性と子供も、目を丸くしてこちらを見つめている。
「――イオス!? お前、なんでこんなところに!? 眠ってるはずじゃあ」
「知らなかったのかい、私は魔法使いだよ。まぁ、細かい事情は省略する。あまり時間がないから単刀直入に」
イオスはそこで言葉を区切り、カーマインを正面から見据えた。
「カーマイン。君が今、やりたいことは何だい?」
「そ、それは。困ってる人を助けに行くんだよ。世の中には苦しんでいる人がたくさんいる。旅をするたびに思う。魔王はいなくなっても、まだまだ世界は混乱してるんだ。だから――俺は、せめて手の届く範囲の人を救いたい」
イオスはその言葉を聞いて、ため息をついた。
「――そう。でもカーマイン。なのに君はなぜ、目の前で困っている人たちを見捨てようとしているんだい?」
「……目の前で?」
「そう。君の奥さんも、お子さんも、君がいなくなることで苦しんでいるよ。なぜ、いちばん身近な救うべき人を無視するんだい? そして――何より君自身は、それで幸せ?」
「――イオス、それは」
「家族だから例外? 違うだろうカーマイン。むしろ他の誰よりも救うべきなのは家族だ。君の妻と子だ。何より、君だ。優先順位をはき違えるな。偽善行為に身を委ねるな。――自分と家族も救えないような奴は、勇者である資格はないよ。いいからきちんと話し合うんだ。さもなくば、君は悲惨な最期を迎えるよ」
淡々とした、辛辣な、指摘。カーマインは反論しようとして……涙を浮かべる家族の姿を目にし、黙った。
「『羅針盤』ができることは道を示すことだけだ。――カーマイン。どちらに向かって進むかは、君が選ぶことだ。きっと君はこのことを忘れる。でも選択肢は増えた。まずは逃げずに、言葉を交わし、声を聞くんだ。恥ずかしくとも、照れくさくとも、情けなくても。そこからが始まりだよ。――昔、魔王を倒すために集まった皆が、そうしたようにね」
「……………あぁ、ありがとう、イオス」
「偉そうだ、って思ったろう。その通りさ、私は偉いからね」
昔何度も交わしたやり取り。どちらともなくにやりと笑い、別れの言葉の代わりとした。
――次の瞬間、何事もなかったかの様に、そこからイオスの姿は掻き消えた。一瞬の夢、白昼夢。けれど、船は方角を示された。あとの舵取りは、船乗りの仕事だ。
◇◆◇◆◇◆
「……ふぅ……さすがに……疲れた。またしばらく眠らないとダメだな、これ」
ふらふらと、小屋を出ていこうとするイオスのもとに、先ほど案内してくれた老人が慌てたように現れた。
「あぁ、よかった。まだいらっしゃいましたか」
「うん、そろそろ、お暇しようかと思っていたけれど。どうかした?」
「実は先ほど、ある方がいらっしゃいまして。その人が言うには、自分はカーマイン様の血を引いている、と」
「へぇ。それはそれは」
「それで、この町にこれを寄贈したいと、持ってこられたんです」
老人は、一抱えほどの薄い箱を手にしていた。
「――中を見ても?」
「はい、ぜひ」
――そこにあったのは、一枚の絵画。年老いたカーマインと、その家族。妻、息子に孫、それに親戚だろうか。色々な人に囲まれて幸せそうに微笑む彼の姿が、描かれていた。
「――いい絵だね」
「はい。……カーマイン様は、晩年とても寂しい日々を送っていたとされていましたが……間違っていたようですな」
「――真実がどちらかは、わからないけれど、でも。少なくともこの絵の彼は、幸せそうだね。何よりだ」
何かが変わったのかもしれない。何も変わらなかったのかもしれない。――イオスの使う魔法は、ただの妄想なのかもしれない。けれど。
「うん、最後にいいものを見れた。ありがとう。余計なお世話かもしれないけれど、その絵は大切に保存して、飾っておいてほしいな」
「――はい、わかりました。他でもない、勇者様のお仲間の申し出とあれば」
そうして、イオスはまた旅に出る。人族の勇者カーマインの、幸せな最期を思い描きながら。
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