俺と妹と幼なじみの終わらない帰り道

なつの夕凪

校門の前で待ち合わせ

 高校生活最後の夏も終わり、来春の大学受験へ一直線となりつつある放課後のこと、もうすぐ十月だと言うのに残暑は続いている。汗で制服がべっとりするのが気持ち悪くて我慢ならない。教室の中はエアコンが付いているから快適空間が広がっているが、一歩でも廊下に出ればそこはまさに地獄……。


幸一こういち、彼女が廊下で今日も待ってるぞ」


 右斜め後ろの席に座る、矢口徹やぐちとおるは、俺、鈴野幸一すずのこういちに声をかけてきた。


「だから彼女じゃないって、ただの幼なじみ」


「彼女みたいなもんだろ、いつも一緒に登下校してて、たまに弁当を作ってもらったりしてるんだろ? ……ったくいいよな、あんな美人の幼なじみなんて」

 

「お前がそれを言うか矢口……一年に何人も彼女が変わるようなヤツが、今の彼女は大学生だったっけ?」


「あぁリカのこと? アイツとはもう別れた。今は二十四の保育士さん」


「マジか、あり得ないな……」


 矢口は金髪に近い茶髪と両耳ピアスの見た目通り、私生活がチャラい。家に帰らず彼女の家から登校することもあり、クラスのほとんどの女子から白い目で見られているが、全く悪びれる様子もない。

                                         

「俺の彼女がみなもとさんだったら悩むことないんだけどな、そういえばお前、いつもふたりで帰ってるんだよな?」


「そうだけど、どうかしたか?」


「いや……何でもない、呼び止めてわりぃ」


「おう、じゃあな矢口」


 締まりが悪くなった教室の後ろ扉から廊下に出ると、いつものように窓側に設置された消火器の横で源夕子みなもとゆうこが待っていた。

 家が二軒隣で、たまたま小中高一緒ってだけで俺のそばにいてくれる義理堅い幼なじみ。矢口以外からもよく聞かれるけど、俺と夕子は付き合ってはいない。何の取柄もない俺と夕子じゃどう考えても釣り合わないし……。


「待たせたな、夕子、じゃ帰ろうか」


 夕子は声も出さずコクっと頷き、腰の辺りまで伸びる黒髪を右手で掻き揚げると俺の後を付いてくる。矢口の言う事に同意するのはしゃくだけど、夕子は贔屓目ひいきめなしに美人だと思う。腰まである長い髪と切れ長の瞳と形の良い鼻、ほのかに赤い唇、クラスのヤローどもが、隣のクラスの夕子の話をしているの何度も聞いている。夕子は何度か告られてるみたいだが、恋愛の興味がないのか今のところ彼氏を作る気はないようだ。

 

 四階建ての校舎の最上階から螺旋階段を一階まで下ると校舎左端の昇降口にたどり着く。夕子は澄ました表情のまま変わらず喋らない。金属製の古ぼけた靴箱の前で上履きを脱ぎ、下から三段目の靴箱を開けようとした時――ほのかに香水のような香りがした。


「幸ちゃん、スマホ鳴ってない?」


 夕子がようやく口を開いた。


「いや、俺には何にも聞こえなかったけど……」


 リュックの中にスマホ入れておくと音が聞き取りにくい、俺には聞こえなかったが、後ろにいた夕子にはスマホの着信音が聞こえたのかもしれない。念のためリュックからスマホを取り出し、電話とSNSを確認する。

 

 妹の早絵さえからSNS宛にメッセージが入っていた。



『校門の前で待ってる』



 少し前のこと、近所で不審者情報が頻発して以来、放課後は夕子と一緒に早絵が通う中学まで迎えに行くのが日課になった。今日も迎えに行くつもりだったけど俺たちが遅かったから、早絵が逆に俺たちを迎えに来たようだ。

 

「早絵がすぐそこまで来ちゃったみたいだ」


「……じゃあ早く行こう」


「おう」


 俺たちは足早に校舎を後にした。運動部の元気な声が響くグラウンド横の並木道の先を抜けると、エンジ色のブレザーを着る早絵が校門前でにっこりと笑顔を浮かべて待っている。


「兄さんお疲れ様……」


「早絵もお疲れ、わざわざありがとう、でも中学で待ってろっていつも言ってるだろ」


「そうだけど……兄さんたちに早く会いたかったから」


 かわいい妹にそんなことを言われると何にも言えない。夕子に散々シスコンって言われてきたけど、「別にシスコンでもいいや」って思う。

 大切な妹の身を案じて「虎の威」ならぬ「夕子の威」を借りるとする。早絵も夕子には頭が上がらない。


「なぁ……夕子からも早絵にちゃんと中学で待ってるように言ってくれよ」


「……さーちゃん、幸ちゃんの言うこともちゃんと聞いてあげてね」


「はーい。兄さん、夕ちゃんに言い付けるの禁止だよぉ」


 早絵はほっぺをぷくっとして不満そうにする。

 夕子は、俺の事を「幸ちゃん」、早絵の事を「さーちゃん」、早絵は夕子のことを「夕ちゃん」と呼ぶ、ちなみに俺も小さい頃は夕子の事を「夕ちゃん」って呼んでた。今は恐れ多くて「夕ちゃん」なんて絶対に言えない。


 夕子と早絵のやり取りはいつも通りなのに、なぜかとても懐かしいような切ない気がする……。


 俺と夕子の通う都立世口谷双葉高校は家から徒歩ニ十分ほどにあり、早絵の通う公立中学は高校と家までの中間地点にある。地元なので通学は楽だが、この辺は建物が密集しており見渡しが悪く、死角も多い。

 高校から世口谷中央駅の北口商店街、踏切、小劇場前、南口商店街の順に進み、国道の先にある家へと続く。昔ながらの店が立ち並ぶ商店街は、普段から町おこしイベントを積極的に行っているため今も活気がある。踏切横の八百屋のおじさんの掛け声を聞きながら、俺たちは人と人の間をすり抜けていく。


「それでさぁ、セツナがわたしにはまだ早いっていうの……」


「まぁそれはセツナちゃんの言う通りじゃないか」


「ぶぅ……兄さんのバカ」


 セツナというのは早絵のクラスに来た転校生で、すぐに友達になったらしい。最近早絵はその子の話ばかりする。

 一方、俺と早絵が話している時も夕子は黙って聞いている事が多い。必要な時だけテレビのコメンテーターのように発言する。


 そう言えば、夕子はいつからこんなにも無口になったのだろう? 昔はもっと喋ってたのに……


◇◇◇

 

 国道交差点の歩行者向け信号が赤に変わる。道路を挟んで対抗側にはこの界隈でも最後の一件となった銭湯があり、タオルを頭に乗せた顔なじみの爺さんが「湯」の暖簾のれんの中に消えていく。俺は信号を気にしながら早絵と話を続けていた。

 夕子はポケットからスマホを出し、何かを確認している。


「あれ?」


 不意に俺の目から涙がこぼれた。


「どうしたの? 兄さん」


「いや何でもない、ちょっと涙が出ただけ」


「兄さん寝不足? あ~わかった~夜通しで夕ちゃんのことでも考えてたんでしょ~」

 

「ちげーよ、夕子も何か言え」  

 

「さーちゃん、あなたのお兄さんはそんな器用じゃないわ」

 

「そうだね。兄さんは……」


 早絵は寂しそうな笑みを浮かべる。


「早絵どうかしたか?」


「ううん、何でもないよ」


 二つ結びの髪を揺らしながら、早絵は俺が見えない方に顔を背けた。


 信号が赤から青に変わる。夕子はスマホをポケットにしまい歩き出す。俺も何か急かされるように横断歩道を渡る。そのまま銭湯裏手の小道に入り、二十メートルほど進んだところに夕子の家がある。


「じゃあ幸ちゃん、また明日」


「おう、じゃあな夕子」


 いつものように夕子に別れを告げ帰宅する。共働きの両親はこの時間はいない。俺は洗面所で手を洗い、自分の部屋にリュックを置いた後、リビング隣の和室にある仏壇に線香を立て、りんを一度鳴らし手を合わせる。


「ただいま……」


 和室には俺の声だけが響く……


◇◇◇


 高校に入学してしばらく経ったある日。わたしと幸ちゃんは、いつものように自分たちの母校でもある中学にさーちゃんを迎えに行こうとしていた。でも幸ちゃんが急遽掃除当番になったから下校が遅くなった。わたしは幸ちゃんの掃除当番が終わるのを待ち、昇降口で幸ちゃんと合流した。


――ピンポーン♪


『校門の前で待ってる』


 靴を履き替えてふたりで校舎から出ようとした時、さーちゃんから幸ちゃん宛にSNSメッセージが届いた。


……それがさーちゃんからの最後のメッセージとなった。


 メッセージを送った数秒後、歩道までオーバーランした居眠り運転の車にはねられ、さーちゃんは命を落とした。


 幸ちゃんは突然大切な妹を失い、これ以上ないくらい絶望し打ちのめされた。


「俺が少しでも早く早絵のところに向かっていれば……俺が少しでも早く早絵のところに向かっていれば……俺が少しでも早く早絵のところに向かっていれば……」


 さーちゃんのお葬式が終わり、一か月が過ぎても幸ちゃんは膝を抱えたまま、自室の隅でうわ言のように呟くだけ……学校にも行かず、部屋に閉じこもったまま一日を過ごすようになった。

 

 わたしは放課後、毎日幸ちゃんの家に寄り話しかけた。それでも沈んだ幸ちゃんは元に戻らない。

 スマホを見つめたまま、聞き取れないくらい小さな声でブツブツ呟いているだけ……幸ちゃんに元気になってほしいけど、今のままでは難しい。


 さーちゃんがあんなことに巻き込まれなければ……


 さーちゃんがそばにいてくれれば……

 

 さーちゃんがいれば……


 そっか、さーちゃんがいればいいんだ……

 

 いないけど、いることにすればいい……  

 

 わたしはある方法を試すことにした。

 

◇◇◇


こうちゃん、スマホ鳴ってない?」 


 その日も自室で塞ぎこむ幸ちゃんにクチナシの香水をこっそりふりかけた後、わたしは幸ちゃんの耳元で囁いた。

 幸ちゃんは虚ろな表情のまま、スマホを操作しSNSを開く、そして来るはずのないさーちゃんのメッセージを確認する。


『校門の前で待ってる』


 さーちゃんの最後のメッセージはあの日のまま残っていた。


「幸ちゃん、さーちゃんが校門で待っているよ、すぐに迎えに行こう」


「……早絵さえが?」


「そうだよ幸ちゃん」


「でも早絵は……」


「校門前にいるよ」


「早絵はもう……」


「さーちゃんは校門前にいる」


「早絵は死んだ……」


「さーちゃんは校門前にいる」


「早絵は死んだ……」


「さーちゃんは校門前にいる」


「早絵は死んだ……」


「さーちゃんは校門前にいる」


「早絵は死んだ……」


「さーちゃんは校門前にいる」


「早絵は死んだ……」


「さーちゃんは校門前にいる」


「早絵は死んだ……」


「さーちゃんは校門前にいる」


「早絵は死んだ……」


「さーちゃんは校門前にいる」


「早絵は死んだ……」

    

「さーちゃんは校門前にいる」

 

「早絵は死んだ……」


「さーちゃんは校門前にいる」


「早絵は死んだ……」

    

「さーちゃんは校門前にいる」


「早絵は……」


「さーちゃんは校門前にいる」






「……早絵は校門前にいるのか……早く迎えに行こう」


 幸ちゃんは引きつった笑みを浮かべると突然家を飛び出した。

 

 午後四時三十分、さーちゃんが亡くなった時とほぼ同じ時刻にわたしたちは校門の前にたどり着く。

 周囲に目もくれず、幸ちゃんは誰かと話でもするように一人で喋りはじめた。


「……まぁそれはセツナちゃんの言う通りじゃないか」


「……早絵もちゃんと俺のいう事を聞かないと駄目だぞ」


「……ちげーよ、夕子も何か言え」


 見えない何かと話をする幸ちゃんがわたしに意見を求めてくる。


「えぇ、わたしもそう思うわ」


 幸ちゃんはわたしに怪訝な表情を浮かべた後、また一人で楽しそうに話を続ける。


 ……良かったね幸ちゃん


 そのまま帰り道を進み、国道前の交差点に差し掛かった時、ふいにスマホが鳴ったような気がした。ポケットから取り出し確認しても連絡は何も届いていない。


 ところがスマホケースに付いている鏡には幸ちゃんといるはずのないさーちゃんが映っていた。


◇◇◇


 人は見たいものを見て、見たくないものを見ない。だったら見たいもの、望むものをだけを見てればいい。

 

 わたしは幸ちゃんに暗示をかけた。幸ちゃんが望むもの、さーちゃんと何事もなく学校から下校すること。それはもう絶対に叶わないもの、でも幸ちゃんが望むなら見せてあげればいい……心の弱った幸ちゃんに暗示をかけるのは素人のわたしでも難しくなかった。最低限の条件さえ揃っていればいい。


 一つは香りがするもの、幸ちゃんを都合の良い夢に誘導する道しるべとなるもの、わたしはクチナシの香水を幸ちゃんに嗅がせる。


 もう一つは幸ちゃんのスマホ、さーちゃんと繋がるもの、暗示のかかった幸ちゃんは、さーちゃんのメッセージが今届いたものと思い込み、校門で待つ見えないさーちゃんとの下校が始める。


 夢の中の幸ちゃんとさーちゃんは、いつも同じ話をしてるみたい。たまにわたしに意見を求めてくるけど、いつも同じ様に相づちを打つ。

 何度も同じことの繰り返しで気分は良くないけど、幸ちゃんが満足ならそれでいい。暗示にかかっている間の記憶は幸ちゃんには残らない。


 そして家の前で、幸ちゃんが自分の家の玄関をくぐった時点で暗示は解け、さーちゃんの夢は終わる。


 幸ちゃんは徐々にだけど、さーちゃんの死を受け入れてきている。いずれ暗示は必要なくなるだろう。今はまだ不安定なところがあるから、たまに暗示をかけてさーちゃんの夢を見せる。


 かれこれ二年近く、わたしはこんなことを繰り返している。


 おそらく高校を卒業するその日まで……


◇◇◇


 自室で椅子に座りながらスマホケースを開き、ケースに付いた鏡を部屋の窓側に向ける。


 そこにはまだ彼女が映っている。


 このケースは高一の誕生日にさーちゃんからプレゼントとして貰ったもの。


「さーちゃんそこにいるの?」


 返事はない。


「幸ちゃんを助けるためならわたしは何でもするよ。気にくわないなら恨むなり、呪い殺すなり好きにして」


 鏡の中の彼女は沈んだ表情のまま、笑うこともなければ怒る様子もない。


 わたしとさーちゃんは表面上は仲が良かったけど、さーちゃんが亡くなる少し前から上手くいってなかった。さーちゃんはわたしと幸ちゃんがふたりきりにならないように、ことある毎に邪魔をした。あの日もわざわざ高校まで来ようとしたのもきっと邪魔するため……幸ちゃんとわたしをふたりきりにしたくないから、今もわたしを見てる。


 ずっと


 ずっと


 見てる……。

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