第21話 ロークォー
確認することもなく、リスタルドの名前を呼ぶ。低くソフトな声が、耳に心地いい。
「はじめまして、ロークォー。……おじいさん」
リスタルドもためらうことなく、相手の名を口にした。
「えっと、あの二人はその……」
「わかっている。お前がここへ来た理由も、彼女達のことも」
ロークォーに視線を向けられ、その場でリーベルは頭を下げた。
自分から近付いてちゃんと挨拶をした方がいいのか、呼ばれてからの方がいいのか、ちょっと迷う。
「初めまして、リーベル。今回は面倒な役をさせてしまって、すまなかったね」
「は、初めまして……って、え?」
自分達のことを知られていた、と聞いた時点で、名前もしっかりわかってるんだろうな、とは思っていた。そして、やっぱり名前を言われた。
だが、挨拶をしてから「あれ? あたし、何言われたの?」と思い返し、次の言葉が出なくなる。
今、何か謝られたような気がするのだが……。
「あの、おじいさん?」
リスタルドもロークォーの言葉に、首を傾げる。
リーベルとは初対面なのに、名前以上のことを知っている様子だ。
「お前はカルーサに言われて、竜珠を私から受け取りに来たのだろう?」
「は、はい。そうです、が……」
「そういうものはないから」
にっこり笑いながら出されたロークォーの言葉に、全員の目が点になる。その場に沈黙がおりた。
「ないって……ぼくが竜珠を持つにふさわしくない、から?」
ついさっきまで、竜珠をもらえるかどうかうんぬんの話をしていたが、それが現実になりそうな気配が漂う。
戸惑うリスタルドの言葉に、ロークォーはまた笑いながら首を横に振った。
「そうじゃないよ、リスタルド。竜珠なんて、最初から誰も持っていないんだ」
「え? あの……あの、意味がよくわからないんだけれど」
さすがに、リスタルドの頭も混乱した。
自分がここまで来たのは、竜珠をロークォーから受け取るためのはず。母のカルーサからそうしろと言われ、ここまで来たのだ。
それが「ない」と言われても、すぐには理解できない。
「誰かがそんなものを持っているところを、どこかで見たことがあるか? ないだろう。誰も持っていないのだから、見られるはずがない」
からかうようなロークォーの口調。リスタルドはただ、きょとんとするだけだ。
確かに竜珠なんて言葉も存在も初めて聞いたし、カルーサが持っている竜珠を見たことはない。
母は親子の間でも見せるものではないから、と話していたから、そうなんだ、と思い……。
「それじゃあ、ぼくは何のためにここへ……」
「竜珠の話は、カルーサがお前をここへよこすための口実だ」
「口実?」
「お前の魔力がなかなか上がらないことをカルーサは心配して、環境が変われば色々変わる部分も出て来るだろう、と考えたんだ。多少の緊張感や責任感が、精神にもあれこれ作用するだろうとな」
リスタルドが魔力向上を望んでいない訳ではない、ということは、カルーサにもわかっていた。
毎日のように、息子は飛ぶ練習をしている。時には、倒れてしまう程に。
しかし、実際のところ、息子の魔力はなかなか上がらない。もうひとふんばりが足りないのだ。
ここは誰かの力を借りるべきだろう、とカルーサは考えた。
カルーサが知っていて、リスタルドは知らない場所。そこへ向かわせ、いつもとは違う形で魔法を使う状況へ強制的にもってゆき、修行させる。
そういう条件に当てはまるのが、父ロークォーがいるニキスの山だった。
竜珠の話を出したのは、リスタルドにここへ向かわせるきっかけ。修行だと知ってリスタルドが気負わないようにする「ありえそうな嘘」をついたのだ。
「緊張感って、魔物が次々に出て来たあれのこと?」
「ああ。この山に棲む者達に、協力してもらった。致命傷を負わないようにはしてあったが、お前ができるだけ傷付けないようにしてくれたおかげで、その力が発動しなくて済んだよ」
そう言いながら、ロークォーはとても満足そうにうなずく。
「それじゃあ、責任感って……リーベルを早く家へ帰さないとって思ったこと、とか? まさか……リーベル、全部知っていたのっ?」
さっきロークォーは「面倒な役」とリーベルに言った。そして、責任感うんぬん。
と言うことは、彼女も今回の計画の一端を
振り向きざまリスタルドに問われ、リーベルは慌てて首を振った。
「し、知らないわよ、あたし。そんなこと、知ってるはずないでしょ。竜珠のことなんて、リスタルドから聞いて初めて知ったんだもん」
リスタルドを鍛えるために、カルーサがニキスの山へやった。
そんなことを知っていたら、もっと気楽に歩いていただろう。
リーベルは単に興味本位と、すぐに家へ帰りたくないから、という理由でリスタルドについて来ただけ。
自分がこの件に関わっている、なんて言われても、寝耳に水状態だ。
「本当に、知らなかったの?」
「知ってたら、もう話してるわよ。真相を話してもらったんだから、あたしがいつまでも黙ってる必要はないでしょ」
「それは……そうだね」
「リーベルは覚えていないだけだよ」
その言葉に、リスタルドとリーベルがロークォーを見た。
「冗談じゃないわっ」
その言葉と同時に、リーベルは首を羽交い締めされた。
起こったことにびっくりしすぎて、リーベルは抵抗できない。
「え……あの……」
「テーズ、何をするんだっ」
リスタルドの声を聞いて、リーベルはテーズに「捕まえられた」と遅ればせながら自覚した。
だが、なぜこんなことをされるのか、わからない。
さっきからロークォーの話で頭の中があれこれと混乱しすぎてしまい、さらに別の出来事が起きても身体がすぐには反応してくれなかった。
「単に竜の修行に付き合わされただけですって? そんなくだらないことで終わらされて、たまるもんですかっ」
「やっと本音を出したか、魔法使い」
テーズがわめく。対照的に、ロークォーの口調は静かだ。
「本音って……おじいさん、どういうこと?」
「この魔法使いは、街で人を傷付けてニキスの山へ逃げ込み、最初の結界にたまたま迷い込んでリスタルド達と会ったのだ」
「逃げ……? 旅に出たって話は、ウソだったのね」
「うるさいわね。黙ってなさい」
山へ入るにしろ、旅をするにしろ、やけに軽装だとは思ったのだ。女性なら、もう少し必要最低限の荷物がありそうなのに。
逃げたということなら、ほとんど何も持てずにいただけ、と言う方が正しい。
一方で、ずっと山にいたであろうロークォーが、彼女の事情を知っている、ということに驚かされた。
「何か引っ掛かる気はしてたのよ」
「うるさいっ。黙れって言ってるでしょ」
「で? リスタルドと行動を共にしようと思ったのは、なぜだ? 竜を味方につければ、追っ手が来ても楽に排除できる、とでも考えたのか?」
「ええ、そうよ。どうも頼りないらしいってわかって、一度は落胆したけどね」
その言葉に、リスタルドの表情は動かなかったが、リーベルの方はカチンとなった。
「だけど、竜珠というものの存在を知って、それを手にすればどこまでも逃げ切れると思ったのよ」
「愚かな。仮に竜珠が存在したとしても、それを竜から奪えるとでも?」
「リスタルドからなら、奪えると思ったわ。飛ぶことさえ、まともにできない竜からならね」
テーズの言葉を聞いて、リーベルは怒りを覚えると同時にあきれた。
いくら飛べなくても、リスタルドの魔力は人間のずっと上だ。そう簡単に対抗できるはずがない。
「テーズ、あなたって魔法使いなのに、竜のことを全然わかってないのね。ちゃんと勉強しなかったの?」
「生意気なことを言うんじゃないわよ、小娘が。うるさいって何度言えばわかるの」
言葉と同時に、テーズの腕が首を圧迫した。その体型に見合わず、テーズの腕力は強い。それに、やはり大人と子どもでは力の差がある。
「やめるんだ、テーズ。リーベルを離せ」
「だったら、竜珠を渡しなさい。ないって言うなら、それに近いものくらい、竜なら持ってるでしょ」
「何もないよ。ぼくは何も持っていない。仮にそんなものがあったとして、それで自分の魔力を上げるつもり? テーズ、きみには魔法使いとしての、プライドはないの? リーベルの父さんや他の魔法使い達は、もっと誇り高いよ」
「プライドだの何だの、そんなもので腕は上がらないわ。魔物もまともに殺せないような竜の子どもが、偉そうなこと言わないで」
「リスタルド、彼女には何を言っても無駄だ。誇りも、聞く耳も持たない」
ロークォーに言われ、リスタルドは小さなため息をついた。
およそ一日半程の時間だが、一緒に行動した仲だ。あまり悪く言いたくない。
だから、時々彼女の口から棘のある言葉が出ても、聞いてない振りをしていた。少々きつい物言いをする性格なのだろう、と思うようにして。
でも、今は。
何もない顔はしていられない。テーズは自分ではなく、リーベルを傷付けようとしているのだ。
こちらがテーズの要求に応じられるものを持たないと知れば、彼女はためらいなくリーベルをどうかしてしまう。
テーズの手に武器はなくても、魔法でいくらでもリーベルを傷付けることができるのだ。自分の望むものを、リスタルドが渡すまで。
「時々意地悪な言い方するって思ってたけど、本当に意地悪だったのねっ。リスタルドをバカにしたようなことを言っても、あたしの受け取り方が悪いんだって思ってた。だけど、テーズは本当にリスタルドをバカにしてたのね。竜を何だと思ってるのよ。魔物を殺さなかったのだって、リスタルドが優しいからじゃない。魔物のためだけじゃなくて、殺された魔物の仲間が仕返しをしないように、あたし達が少しでも危険な目に遭わないようにってつもりだったのよ。そのために、余計な力を使いすぎて倒れちゃって……」
「リーベル、もういいよ」
リスタルドのフォローを叫んでいるうちに、リーベルは悔しくて涙が浮かんできた。
それを、彼は優しい口調で止める。
「だけどっ」
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