竜の修行は少女と一緒に
碧衣 奈美
第1話 落ちて来た竜
人間が大きな戦を起こす前、竜と人間は交流を持っていた……と伝えられている。
互いの存在を認め合い、自分達の文化や慣習を語り合い、良き友として行き来した。
竜は深い知識を持ち、人間にそれらや情報の多くを与えた。それが人間のためになるように、と。
それが、人間を変えてしまうとは知らずに。
竜が思うよりずっと、人間は欲深かった。持っていても、さらに欲しがるのだ。
やがて、人間は誰かの何かを奪おうとするようになった。
竜から得た知識を元に、人を傷付ける方法を考え出す。
竜は知らなかった。
優しい人間も、何かの拍子に突然変わってしまうことがあるのだ、と。
時として、非常に残虐になってしまうのだ、と。
人間はとうとう大きな戦を始めた。そして、いつしか竜のことを忘れた。
竜もまた、争い続ける人間から離れてしまった。
人間がようやく戦をやめ、平和な時代が再び訪れ、竜のことを思い出したのは、長い長い時が経ってからのこと。
しかし、人間が戦をしていた時間はあまりにも長すぎた。
戦によって付けられた傷が癒えるのもまた、長い長い時が必要だったのだ。
だから、竜のことを思い出しはしても、戦とともに竜のこともまた「昔のこと」だと考えるようになった。
昔は竜がいたそうだ、と。
その存在を信じるのは、今はほんの一部の人間だけ。
☆☆☆
暖かな春のある日。
リーベルは、魔法使いの父ジェダや他の魔法使い数人とルマリの山へ来ていた。
目的は、山に生える薬草の採取……というのは表向き。
ここ最近、大きな音がする、と山で仕事をする者達が訴え、魔法使い達が調査に来たのだ。
時間や聞こえる方角は特に決まっていないが、ほとんど毎日のように聞こえる。
一日に一度。日によっては、二度聞こえる時もある。
曇っている日もあるが、晴れの日の方が聞こえることは多いし、雷雲などはないので少なくとも雷ではない。だが、それに近いような音だ。
たまに木々がなぎ倒されているのでは? と思われるような音を聞いた者もいる。
なぜそんな音が聞こえるのか、どこから聞こえるのかわからない。
音は日によって聞こえる方向が違うし、木々が倒れる音がしても、実際に倒れた木を見た者はいない。
だから、その音が現実だったかどうかさえも怪しいのだ。
これは、魔法使いにゆだねるべきだろう。
普通の人間がへたに動き回っては、もし魔物の仕業だったりしたら命を落とす危険だってある。専門家に任せるべきだ。
という訳で、魔法使い達が調査に来たのだが、リーベルはそれを知らずに父の後をくっついて来た。
もちろん、ジェダ達はまだ十歳の彼女を連れて来る気はなかったが、気が付けばちゃっかり同行していたのだ。
「薬草を採るなら、あたしもお手伝いできると思ったんだけどなー」
魔物の調査、ということは
リーベルは本当に薬草の採取だと思ってるので「本当は別のことを調べる仕事もしてるんだよ」とあいまいに伝えておいた。
今のところは大きな魔物の目撃情報もないので、途中で一人帰すよりは安全だろう、ということで一緒にいるのだ。
絶対に父さんから離れるんじゃないよ、としっかり言い聞かせて。
「あ、これかな」
父に教えられた植物を見付け、リーベルはそれを摘み取った。
魔法使い達の本来の目的はともかく、リーベルは薬草採取がメインだ。来たからには、手ぶらで帰れない。
腰に下げた布袋に薬草を入れながら、リーベルの視線はすでに別の方向へ向けられていた。
目的の葉を見付けては手に取り、さらに前へ進みながら次を求めて濃い紫の瞳を大きく開き、視線を走らせる。作業の邪魔にならないように編んでいた金色の三つ編みは、すでにあちこちがほつれて。
そんなことなど気にしていないリーベルは、周囲の景色などまるで見てはいなかった。
「あ、あれ?」
ふと顔を上げ、辺りを見回してみると……自分一人になっている。
一緒に来ていた父も、その仲間の魔法使い達もいない。声すらも聞こえなかった。
この状態で間違いなくわかることは、はぐれたな、という事実。
「離れるなって言われてたのに。んー、どうしよっかなぁ」
持っているのは、今まで摘んだ植物と、ツルなどが切れなかった時のための小さなナイフ。
こんなナイフでも刃物には違いないから、もし獣が襲ってきたとしても多少の抵抗はできるだろう。十歳のかよわい少女では限界があるだろうが、ないよりはいい。
大きな声を出して、父さんを呼んだ方がいいかしら。でも、それで近くに獲物がいるってわかって、余計な動物が寄って来るのも困るし……。獣って、人間の言葉は話せないくせに、そういうことに限って何となくわかってるように思えるもんねぇ。こっちの不利をわざわざ教えることはないと思うけど、黙ってたら父さん達に見付けてもらえないなぁ。
困ったなぁ、とは思うものの、リーベルは実はあまり困ってもいなかった。
根拠というものは何一つないのだが、大丈夫だろう、となぜかそう思えるのだ。
そう楽天的に考えて、獣の腹に収まった人間も過去にはいただろうが……。
こういう場合、あまり動き回らない方がいいのだろうが、リーベルはまた歩き出した。
別にアテがあるのでもなかったし、歩いていれば父達と合流できるのでは、と都合良く考えた訳でもない。
単にその場に立ち尽くしているのもどうか、と思っただけだ。今頃、ジェダ達が青くなっているだろうが、もちろんリーベルはそんなことなど知らない。
「わーっ」
特に焦ることもなく歩いていたリーベルの耳に、突然叫び声が飛び込んできた。獣に襲われているような声……ではない。
いや、これまでリーベルは獣に襲われた人の悲鳴なんて聞いたことがないので、絶対にそうじゃないとは言い切れない。
が、何となく声の主が命の危険にさらされているとは思えなかった。
しかし、それなりに切羽詰まった声。
それから、次の瞬間。
「どいてっ」
自分に言われた、と直感的にわかったが、どけと言われてもどこへ行けばいいのかリーベルも迷う。だいたい、声がどこから聞こえたのかも掴みきれてないのだ。
振り仰いだのは、たぶん本能。
たまたまその周囲には木がほとんどなく、上を向けば空がよく見えた。
だが、その空に何か影がある。
鳥にしては形がちょっと違うようだし、雲でもない。そもそも鳥も雲もしゃべらない……はず。人の声まねをする鳥はたまに見掛けるが、絶対にサイズが違う。
それは見る間に大きくなり、リーベルはようやく声は上から聞こえたのだと悟った。
空から何か(誰か?)が落ちて来ている。ここから逃げなければ、間違いなく下敷きだ。
何やかやと理解したと同時に、慌てて走り出す。
瞬時に反応したおかげで、リーベルは命拾いした。その場から走り出したと同時に、今まで立っていた場所へその影が地面に落ちたのだ。
間違っても軽いとは言えない地響き。舞い上がる土埃と、落ちた衝撃で千切れたらしい草の切れ端。
何なのよ、今のは?
あまりに大きな音で、耳がどうかなるかと思った。土埃にむせそうになる。足の裏に伝わった振動が、地震で感じるものとはまた違う。
見なくても、地面の揺れは落ちてきたモノの大きさをしっかり物語っていた。
「……いたた」
かすかに小さな声が聞こえたが、落ちてきたモノの正体がわからず、リーベルはとりあえず少し離れた所で観察することにした。
近くにいて何かの巻き添えを食うのはゴメンだし、そもそも土埃が舞い上がってるので近付けない。
どいてって言ってたから、岩とかが落ちて来た訳じゃないわよね。魔物が襲って来たって言うなら、どけって警告するのもおかしいし。ゆっくり動いているみたいだけど……。
冷静な判断をしながら、リーベルは土埃が収まるのを待った。
今のうちに逃げるべきか、とも思ったが、正体を確認せずに立ち去ったら後々気になってしまう。
黒い? 影で黒いと思ったけど、本当に黒いのね。
砂埃がようやく収まってきて、落ちて来たそれは黒色をしているとわかった。
光に当たると、表面がきらきらと輝くのだ。今は埃をかぶっているので少々くすんだ感じだが、洗い流せば黒曜石のように美しいだろう、とは容易に想像がついた。
妖精、じゃないわよね。こんなに大きい妖精、見たことないもん。あ、探せばいたりするのかしら。あたしが知らないだけかも。
まだ安全が確認できた訳ではないが、土埃もほとんどなくなってきたようなので、リーベルはゆっくりそちらへ近付いた。
黒い塊は、牛二頭……いや、三頭分の大きさを軽く越えるだろう。近付くにつれて、その表面に鱗のようなものが見えた。しかし、全体の形がまだよくわからない。
巨大魚が跳ねて落ちてきた、とか?
これだけ大きければ、魚だってしゃべりそうな気がする。ただ、この付近に巨大魚が棲めるような湖はなかったはずだ。
川はあったように記憶しているが、それだってそんなに深くない。これが魚なら、身体が半分以上川から出てしまいそうだ。
「……ふぅ。今日の風向き、ちょっと悪かったかな」
さっきとは違い、はっきり声がした。リーベルはその声を聞いて、そちらへ向かっていた足を止める。
だが、恐怖心はない。その声はまだ子ども……少年のようだった。
「あの……大丈夫?」
空から落ちて「大丈夫」な訳はないと思ったが、他にかける言葉が見付からなかった。
声をかけることで、自分の存在を知らしめるのは危険かも知れない……ということをリーベルは考えていない。
「う……うん、何とか」
黒い塊と思ったが、ゆっくりと伸びてゆく。一抱え以上ある太い身体は黒い大蛇にも思えたが、ちゃんと脚がある。身体が長いので、前と後ろの脚がずいぶん離れていた。
一瞬、ばかでかいマントが広がったように思えたが、どうやら翼らしい。顔は細長く、頭には枝分かれした角が二本ある。
その姿は、リーベルも本で見た覚えがあり……。
尋ねられたことに答えながら動いたそれを見て、リーベルは今度こそ言葉を失う。
ちょっと、これって……これって竜じゃないのっ?
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