第5話 あなたの『歌うたい』

 血に汚れた白竜がよろめくように降りてくる。もはや墜落といっても過言ではない。


 私は思わず駆け出すと、その着地点に向かった。


「オーウェン…………!」

「シア…………」


 地に脚を着けた瞬間に竜が人の姿に変わる。こんなに傷ついているのに、まだ周りの人を気遣っているのだ。


 倒れそうになる彼を、一生懸命抱きかかえ、踏ん張って支えた。


「ありがとう、オーウェン」

「こちらこそ。君の声が助けてくれた」


 すると、頬に軽くキスを落とされる。

 思わず手を離すところだった。


「…………もう、余裕ですね」

「ふふ、竜帝だからね」


 オーウェンに肩を貸し、城の中へ連れて行く。沢山の人の手を借りて寝室まで運び、竜の姿に戻ってもらった。


 巨大な身体を数人がかりで治療する。私は彼の傍に座って、小さく癒やしの歌を歌い続けた。


「出血は止まった。あとは安静にしていれば大事はないだろうね」


 城付きの医師がそう告げて、私もひと安心する。


 疲れ果てて眠る彼の顔は、実に穏やかなものだった。汗を拭きながら医師が言う。


「『歌うたい』のお嬢さん、もし良かったらしばらくここにいて、歌を歌ってくれないかい? そのほうが治りも早くなる」

「分かりました」


 どれほどの間、そうしていただろう。目覚めた彼は掠れた声で私にねだった。


「シア……もっとこっちに来て」

「はい」


 彼は鼻先で私の様子を窺っているようだった。


「僕は戦うのに必死だった……怪我はない?」

「ありません」

「『歌うたい』の力を使って、疲れなかった?」

「平気です」


 怪我がなかったのは本当だし、疲れたといってもオーウェンほどではない。それでも、彼は私のことを見透かしているようだった。


「きっと君は、大丈夫じゃなくても大丈夫だって言うね」

「……そう、かもしれません」


 私は話を逸らそうと、ネフェルリリィさんが持ってきてくれたいちごの皿を差し出した。


「いちご、食べますか」


 彼が首を少し上げる。

 口を開いて、待っているようだ。


「食べさせてくれるかい?」

「しょうがないですね……」


 手のひらに乗せて、ころりと転がし入れると、オーウェンは満足げに目を細めた。


「もう一個」

「はい」


 言われた通りにもうひと粒食べさせる。


 彼は幸せそうだ。

 いちごが美味しいからなのか、それとも────私が食べさせたからなのか。


 私は、彼の何なのだろう。


 私は自然と、心の中の疑問を零していた。


「私……本当に、あなたの『歌うたい』になっていいんでしょうか」


 オーウェンは柔らかく喉を鳴らして答えた。


「なっていい、んじゃなくて、なってほしい、んだ。他の誰でもない、君に」


 他の誰でもない、私。

 そんなことを言われたのは当然初めてで、私は心がむずむずした。


「……私、信じちゃいますよ」


 少し意地悪っぽく言うと、彼はくすくすと笑う。


「竜は嘘なんて吐かないよ」


 すり、と顔を擦り寄せられて、私は彼の羽根に頬を埋める。身体を預け、耳元に囁いた。


「じゃあ、私、あなたのものになりますよ?」


 竜の瞳孔が細くなる。


「大切に、してくださいね」


 私には何もない。だから、彼に渡せるものは自分しかない。そう告げると、彼は羽毛をふるわせて喜んだ。


「嬉しいな、僕の宝物」


──────────────────────


 歌の力もあるとはいえ、竜の回復力は驚くべきもので、オーウェンは次の日には仕事を再開した。


 再開したのだが…………。


「あの…………」

「どうしたのかな?」


 オーウェンが玉座に座り、地脈の乱れの報告を聞いている間中、何故か私は彼の膝の上に乗せられていた。

 周りの優しい視線が心に痛い。


「重くない、ですか?」

「雲のように軽いよ?」


 ささやかな抗議のつもりだったが、全く通じなかった。


 彼は私の頬を手の甲で撫でると、爽やかな笑みを浮かべて言った。


「こうでもしないとシア不足で頭が回らなくて仕事にならないんだ」

「オ、オーウェン!!」


 耳まで熱くなる。

 私不足ってなんだ。空気か何かか。


 結局私は小さなぬいぐるみのように抱き締められて動けない。彼は言い訳のように続ける。


「それに、いつまた傷の具合が悪くなるか分からないしね」

「そ、それは……そうですけど……」


 それならそれで、傍に控えているというものを。こんな至近距離にいる必要はない。


「だからね、シア。僕の膝にいてくれる?」

「ひえ……」


 …………問答無用の気配を感じる。上位存在特有の圧がある。竜コワイ。


 しわしわの顔で恥ずかしさを諦めている私のことを見ながら、彼は子どもの思いつきのように話し始めた。


「あ、そういえば」


 何だろう、と顔を上げると、彼の屈託のない笑みが目に入る。眩しい。


「君のお披露目会をしたいんだけど、どうかな?」

「へえっ!?」

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