第4話 傷だらけの竜

 王国の北の山脈を越えた更に上には、軍事国家の大国が構えている。


 王国とは違い、寒すぎて竜が住むことはできないが、その代わり天馬に乗って戦うのだ。


 そして、極寒の中で暮らす彼らは、虎視眈々と王国の豊かな土地を狙っていた。


 そんなある日、大国の情報部は重要な秘密を手に入れた。


 国境越えの弊害である冬の竜帝には、今、『歌うたい』がいないというのだ。


 これは好機だった。


 いくら竜帝と言えど、『歌うたい』さえいなければ、数と火力で押し切れる。


 大国の上層部は笑いが止まらない。


 こうして、王国と大国の国境に兵が続々と集められていた。


「うう、寒…………」


 一人の兵が首を竦めて呟いた。


「昼だっつーのになんだか暗いな……」


 というより、急激に陽光が遮られたようだ。

 厚い雲でもかかったのだろうか。


「太陽さんはどこ行っちまったんだっての…………お?」


 ふと顔を上げた彼らの目に、大きく翼を広げた巨竜の姿が焼き付いた。


──────────────────────


 昼過ぎに目が覚める。また眠ってしまっていたのか、と起き上がり、周囲を見るとオーウェンはいなくなっていた。


「………………?」


 なんだか外が騒がしい。渡り廊下に出て、外を見る。


 すると、アーチ状にくり抜かれた窓から、数枚の羽根が舞い込んでくる。白い羽根。それと、染み込んだ鮮血。


「──────っ!」


 嫌な予感がして、天を仰ぐ。


 天高く白竜が飛んでいる。オーウェンだ。が、様子がおかしい。宙空で身をよじり、尾を廻し、何かを振り払おうとしているようだ。


 目を凝らすと、竜の周りに小さな影がいくつも見える。羽の生えた馬に、銃器を持った人が乗っている。


 彼らは蝿のようにまとわりついて、オーウェンの身体を撃ち抜こうとしている。


 私は血の気が引く感触を覚えた。


「オーウェン…………!」


 城の階段を駆け下り、外へ飛び出す。雪を踏みつけ、庭の一番広いところに出ると、城の他の人々も不安げに空を見上げているところだった。


「ネフェルリリィさん!」

「ああ、シアちゃん!」

「これは……、何なんですか……!?」


 おばあさんの姿を見つけ、慌てて声をかける。


「大国の連中が攻めてきたの。動ける『歌うたい』がいないのが、知られてしまったんでしょう」

「そんな…………」


 竜の咆哮が大地を鳴らす。


 天馬を何頭も撃墜しているが、それでも次から次へと上がってくる。


 その巨体からは信じられないほどの速度でオーウェンは振り切ろうとするが、移動に長けた天馬の疾さには敵わない。


 放たれた弾丸の一発が羽の根本を貫き、オーウェンの高度が下がる。


「ど、どうしよう…………!」


 そう呟いた瞬間、目の前の新雪を黒いべったりとした血が降って汚す。


「……私、私は…………っ」


 歌うべきなのだろうか。


 今まで、成功したことがなかったのに。


 役立たずのシア・アンバー。


 呪われた娘シア・アンバー。


 私が歌えば、竜を苦しませてしまうのに。


 オーウェンは「それは僕の運命だからだ」と言ってくれた。


 これは彼を救える力だと教えてくれた。


 その言葉を信じていいのだろうか。


 まだ会って一日も経っていない彼を。


「いや…………」


 違う。


 信じなきゃ、いけないんだ。


 誰も信じてくれなかった私に、初めて手を差し伸べてくれたひとなんだから。


 そんな相手を信じなくて、これから誰が信じられるというんだろう。


 今、彼はこうして戦っている。


 それはきっと、この国のためであり、私たち、城にいる人間のためでもある。


 それが彼の望みなら、私は手伝うだけだ。




 息を吸う。




 学院で教わったことを思い出して。


「………ッ、───────────────!!!」


 響かせる。私の、魂の紋様を。


 私は、あなたの『歌うたい』になれるだろうか。


──────────────────────


 竜の鼓動に、寄り添うように響くささやかな音色が届いた。

 それは、ずっとどこかから聴こえていた運命の声。


 朝を告げるひばりのように。

 時を告げる鐘の音のように。

 少しも変わらず聞こえていた。


 応えるように竜は吼える。


 君のためにここにいる、と宣言する。


 たちまち竜の身体からエネルギーが放たれた。

 勇猛心に満ちた竜気が敵を圧倒する。


「…………ッ、回避! 回避しろ!」


 一際輝く天馬に乗った、指揮官らしき男が叫ぶ。それを唸り声一つで叩き落とす。


 はばたきの風で何人もの兵が仰け反った。


「馬鹿な…………次の『歌うたい』はまだ派遣されていないはず…………!」


 荒れた陣地から戦いを見ていた司令官が呆然とした様子で言う。


 それもそのはず、大国の人間は誰ひとりとして今の状況が分かっていない。初めこそ強襲されたとはいえ、優位に立っていたはずの自分たちが、いつの間にか逆転されていたのだ。


 竜帝の力を見くびっていた、と司令官は力なく退却を命じる。


 這々の体で逃げていく彼らを一瞥してから、オーウェンはふらふらと帰路についた。

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