第2話 冬の竜帝

 甘いりんごの匂いがする。


 辺り一面がふわふわの雲に満たされていて、私は柔らかく包まれる。


 学院で支給される布団より手触りもいいし暖かい。


 気持ちいいなあ、不思議だなあ、と思っていると、何だか急に空腹が主張を始める。


 折角、苦しいことから解放されたのに、なんでお腹が空くのだろう。


 そこでようやく意識がはっきりしてきた。


 何やら神秘的な紋様の描かれた高い天井が目に映る。夜空のようにも見えるそれは、私の記憶にはない。


「………………あれ?」

「やっと目が覚めた! 大丈夫かい?」


 私を覗き込むように暗い影が覆う。

 目の前に現れたのは教会の鐘よりも大きな白い竜の顔。自分が包まれていたのは羽毛の生えた竜の身体で、その羽を布団代わりにしていたと気づく。


「ぴ」


 飛び上がって距離を取る。

 漏らすかと思った。いや実際ちょっと漏れたかも。


「元気がなかったみたいだから、ちょっとだけ竜気を分けたんだ。具合の悪いところはないかな?」

「ななななないです多分」


 竜気って、健康な人がもろに浴びると不死になるとかそういう類のものだった気がするのだが。知らない間にとんでもないものに漬けられていたようだ。


 ビロードのクッションに尻もちをついたまま、まともに動けないでいる私を見て、竜はのそのそと起き上がった。


「僕のことは覚えているかな?」

「えっ!? いやっ、喋る竜の知り合いはちょっと心当たりがないですね」


 学院で怒らせまくった竜は皆、言葉を解さない下位の種族だった。本当に知らない。


「ふふ、僕はオーウェン。君は?」


 何だかどこかで聞いたような名前だ。だけれども、上手く思い出せない。

 私は恐る恐る名乗った。


「私は……シア。シア・アンバーです」

「琥珀の子。良い名前だね。僕の瞳と同じ色だ」


 確かめようにも頭の位置が高すぎて目の色が分からない。


「シア。君の歌は僕にずっと聴こえていたよ」

「え?」


 途端、ふわりと風が吹き、ほどけるように彼の姿が消える。そして、後に残っていたのは爽やかな見た目をした白皙の青年だった。

 先程の竜と同じ白の髪に、琥珀色の瞳が煌々と輝いている。


「改めて自己紹介を。僕は冬の竜帝」


 ぽかんと口を開いたままの私を置き去りにして、彼は私へ手を差し出す。


「銀嶺のオーウェンだ。よろしく、僕の運命うたうたい


 座り込んだ私と、手を差し伸べる彼。水晶のような窓ガラスから、高く光が差し込んでいた。


「…………ええーーーーッッッ!?!?」


──────────────────────


 王国を治めているのは王家の人間だが、それとは別に土地を守護する五頭の偉大な竜がいることは誰でも知っている。


 中央を守護する太陽の竜帝。

 東を守護する春の竜帝。

 南を守護する夏の竜帝。

 西を守護する秋の竜帝。


 そして、北を守護する冬の竜帝。


 彼らは半ば土地と同化することで地脈を維持し、国に繁栄をもたらしてきた。


 誰もが敬意を以て遇し、その眠り────土地の管理を補助するために腕利きの『歌うたい』を派遣する。


 ここまで言えば分かると思うが、つまり竜帝は大変

偉いということだ。


 学院では出来損ない呼ばわりされていた私では拝謁することも叶わないような存在。それが、目の前にいて、しかも私はそれを布団代わりにした訳である。


 死ぬのか? 死にに来たんだったわ。


「あのっ…………大変なご無礼を…………」

「ははは、構わないさ。僕だって久々に暖かい思いができた訳だしね」


 笑いかけられながら言われて、顔が赤くなるのを感じる。それから、大きくお腹がなった。


「………………っ!」

「おやおや、食欲も湧いてきたみたいだね。時間も丁度いいし、ご飯にしようか」


 そう言うと彼は端に置かれた大きなテーブルに乗っていた、ベルをコロンコロンと鳴らした。


「ネフェルリリィ」

「はい、陛下」


 程なくして現れたのは、品のある穏やかそうなおばあさんだった。


「食事の支度を頼む。……彼女の分もね」

「ええ、お任せくださいな」


 ネフェルリリィと呼ばれたおばあさんが去っていった後、彼は私に囁くように言った。


「彼女は先代の『歌うたい』さ。もう随分な年だから、代わりに城の指示役をしてもらっているんだ」


 優しくて働き者な人だよ、と彼は微笑んだ。


「今、僕の城に実際歌える『歌うたい』はいない。君が僕の『歌うたい』になってくれると嬉しいんだけれど」

「あの、でも、私、『歌うたい』としては出来損ないで……」

「どうして?」

「何故か怒らせちゃうんです。みんな興奮して、暴れちゃって…………」


 綺麗な声をしているから、と王都から連れてこられたが、実習の成績は散々だった。眠らせようと思っても暴れて逃げ出されるし、落ち着かせようとすればするほど手がつけられなくなった。


 そう告げると、オーウェンは興味深げに頷いた。


「それは君が僕の運命だからだ」

「…………つまり?」

「詳しい説明は省くけど……あまりにも歌の力が強すぎて、下位の竜には逆効果なんだろう」


 僕くらいになれば、本当に心地好い歌声に聴こえるのさ、と優しく頭を撫でられる。慣れない感覚にもじもじとしてしまった。


「運命の歌うたいが生まれるなんて、この国が出来てから片手で数えられるくらいだ。それも、僕の運命だなんてね」

「その、運命って?」

「僕たち高位の竜だけに分かる、糸のようなものだよ。運命である君が歌えば、僕にだけは誰よりも強く効果を掛けられる」


 オーウェンは堪らずといった様子で私を強く抱き締めた。それから、どこか悲しげな声で言う。


「ずっと、君を探していたんだ。どこかから聴こえる、運命の歌声を」





 どうか、僕の『歌うたい』になってくれ。





 彼はそう言って更に強く腕に力を込めた。

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