第96話 流浪の人

「若くて育ちのいいお前がポート街をどんなふうに感じているのか純粋に興味があった。この町は味わいのある不思議な町だ。ポート街や高等住居区という格差がありながら、全てを同じ色彩に溶かし込んで内包している。一年近くじっくり滞在して観察した甲斐があった。他の土地では得難い体験だった。――だが、俺ももうそろそろこの町を離れようと思っている。あの娘も息を引き取ったしな」

 シャルルは驚いて帽子の男を見たが、彼はその視線を軽く躱した。

「元々旅の途中で立ち寄っただけだからな。これでも長居しすぎたくらいだ」

「――お兄さんまでいなくなるなんて、寂しいよ」

「お前だってずっとこの町にいるわけじゃないんだろ? 高等住居区の子供はみんな留学に行くと聞いたぞ」

「そうだよ。俺もいったんこの町を出るよ。でも、帰ってくる」

「そこまで待つ義理はないな」

「それはそうだけど」

「この世は広いようで狭い。生きている限り、またどこかで会うかもしれない。ふとこの町を懐かしく思い出して、立ち寄ることもあるかもしれない。もし再会することがあるなら、俺は、お前の成長を楽しみにしている。どんな生意気な大人になるか、見届けてやる」

 シャルルは笑って頷いた。

「その時はまた、俺のことを試してね。絶対上手く切り抜けてみせるから」

 帽子の男は笑って立ち上がり、ロングコートを翻しながら窓辺に立った。女詩人の眠る墓石が夕日に輝いて見えた。

「あの娘もお前に会えるところに弔ってやれた。この家の整理も引き受けたが、あまり物を持たなかったらしく、遺品もほとんどない。娘に頼まれたこともお前に頼まれたこともこなした。もう、俺にできることは何もない。墓石の管理はカムリ達がしてくれるらしいから心配するな。お前もお前の人生を、しっかり歩け。あの娘も見守っているだろうからな」

 シャルルは頷いた。

「俺、留学はフィンラムに行こうと思ってるんだ。あのお姉さんが、ベリランダの言葉を教えてくれたから」

「――そうか」

 帽子の男は窓外を見ながら言った。

 シャルルはその姿を見ながら、ポート街が心を開いてくれるという彼の言葉は本当だったのだなと思った。

 夕日の中、ポート街で過ごす時間は、シャルルにとっても忘れられないものになった。

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