第89話 傘
ダリアの言う、『助けてもらったあの時』というのは、期末試験前にノートの纏めを手伝った時のことだろう。確かにあの時からお互い警戒心が解けたような気がする。
ダリアからタオルを受け取り、シャルルは自ら髪を拭いた。
「シャルル、傘がないなら一緒に帰りましょう」
「でも、二人で傘に入るとダリアも濡れるよね」
「一緒に帰ってくださらないならこの傘をここに置いて、わたくしが濡れて帰ります」
「それは駄目だよ」
ダリアは笑った。
「じゃあ、一緒に帰りましょう。それとも、もう少しここで休む?」
「……もう少しだけ、待ってくれる?」
ダリアは頷いて、シャルルの手から使い終わったタオルを受け取り、鞄に仕舞った。洗濯などの気遣いは不要ということだろう。
二人はしばらくガゼボの下で雨音を聞いていた。ダリアは余計な詮索を一切しなかった。彼女の隣に座りながら、シャルルはいつだったか女詩人に、あなたに会うと元気が出るのだと言われたことを思い出した。
自分が誰かからそんなふうに思われていることに、シャルルは時折大きな戸惑いと驚きを覚えた。期待されても応えられるような人間ではないし、立派な人なんてごまんといる。みんな何かを勘違いしているのではないかと内心疑うこともあった。変な期待のせいで誰かを裏切って傷付けてしまうこともあるかもしれない。そんな恐怖心もあった。
洗いざらい全部吐き出したい気持ちがどこかにありながら、シャルルはただぼんやりと雨音を聞いていた。一人の人間として何かしらの敬愛を向けられることが嫌なわけではない。ただ、弱いところや醜いところがあることも、分かってもらいたい気がした。
「あのさ、ダリア」
シャルルはかすれ声で言った。
「迷惑掛けて、ごめん。寒くない?」
ダリアは笑った。
「迷惑はお互い様よ。そろそろ行きましょ。私は寒くないけれど、あなたは早く暖を取った方がいいわ」
シャルルは頷いた。
二人はダリアの広げた傘に入り、公園を出た。
ダリアの傘は雨の中でも鮮やかに赤く輝いていた。その傘の下、ダリアの体温をほのかに感じながら、綺麗な色だな、とシャルルは思った。
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