第88話 大切な人

 シャルルはすぐに通学路脇の小さな公園に駆け込み、ガゼボの下で雨宿りをした。マフラーは外して鞄の上に置き、コートは脱いで二、三度雨粒を振り払った後もう一度羽織り直した。コートの釦を掛けている間、シャルルはわけもなく、ふと途方もない落胆に襲われた。

 俺は一体何をやっているんだろう。せっかく傘を持っていくように声を掛けてもらったのに忘れてしまうし、レオやリリハにも心配を掛けた。

 シャルルはガゼボの入り口に突っ立ち、暗い空から落ちてくる雨粒を眺めた。手を出すと手のひらは透明な雨粒に冷たく濡れた。雨音が辺りに響いていた。

 咄嗟に屋根の下に駆け込んだものの、シャルルはすぐにその屋根の下から出て、ガゼボに上がるための階段に腰掛けた。雨を凌ぐものは何もない。髪からうなじ、背中、靴、体中が濡れていった。

 深く項垂れて濡れた手元を見ていると、誰かから声を掛けられた。

「シャルル、こんなところで何してるの?」

 視界がぱっと赤く染まり、雨粒が遮られた。驚いて顔を上げると、ダリアがシャルルの頭上に傘を掲げて立っていた。旅行の際に新調したという、例の赤い傘だった。

「濡れてるじゃない。傘はどうしたの?」

「……持ってくるの、忘れちゃって……」

 シャルルは困惑しながら答えた。

「あなた、高熱を出したばかりなんでしょう? また具合を悪くするわよ」

 ダリアは傘を折り畳んでシャルルの手を引っ張ると、ガゼボのベンチに並んで腰を掛けた。そうして鞄からタオルを出し、シャルルの頬や手を拭った。突然のことに戸惑いながら断ることもできず、シャルルはじっとダリアを見つめた。

「私、あなたに会えなくて、寂しかったの」

 ダリアは雫を拭いながらぽつりと言った。

「助けてもらったあの時から、ずっとあなたのことを考えてた。たまたま顔を合わせる瞬間があると、とても嬉しかった。ここしばらく学校を休んでたから心配してたのよ。……ずっと、会いたかった」

 シャルルは驚いてダリアを見た。

「ごめんなさい。急にこんなことを言われても困るわよね」

「いや、そうじゃないんだ。俺……」

 ダリアは微かに笑った。

「いいのよ。久し振り会えたから、勝手に言葉が出てきただけ。でも、こんなに雨に濡れて、また体を悪くされたら困るわ。あなたは私の大切な人だもの」

 思い掛けない言葉にシャルルは返事もできず、茫然とダリアを見つめた。

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