第2話 侵入した敵と戦闘になった。
壁面にびっしりと張り付いている様子は、まるで餌に集るゴキブリのようだ。集団恐怖症の人が見たら思わず卒倒するだろう。
さっきまで見えていた宇宙の様子は見えない。窓に大量のスプリガンが張り付いているからだ。スプリガンの肌が灰色だから、元々そこには窓などなく、無骨な灰色のコンクリートが塗りたくられていたのではないかと錯覚する。
灰色が動いた。窓が割れる。空気が無重力空間に一気に流れるが、AEスーツを着用している僕達に影響はない。
灰色がこっちに何かを伸ばす。それは腕だった。
「伏せろ!」
と周りに言って僕は回避行動を取る。腕は二本伸びて、一本は僕に目掛けて伸びてきた。前転してそれを避ける。
もう一本の腕はベスに伸びていた。ベスは腕から逃げることができなかった。手のひらに頭を掴まれている。
「ああ」
ベスが諦めに近い感情を込めたため息を漏らす。その瞬間、ベスの頭部は四方に爆散した。
AEスーツは並のライフルの銃弾なら傷一つ付けずに跳ね返す頑丈さを誇る。そのスーツの頭部ヘルメットを簡単に握りつぶすほどの膂力を持つ相手が、僕達の敵だ。
他のヴァンガードが一斉に銃を構え、灰色目掛けて撃った。プラズマライフルの銃口から青白い稲光が発し、対象に命中する。灰色の群集から赤色の血液が流れる。血はポタポタと滴らず、フワフワと浮いている。
僕は咄嗟に床に伏せて銃撃を回避したが、もし後一歩遅かったら銃撃に巻き込まれたベスのようになっていただろう。頭が潰れたベスの死体はプラズマライフルの餌食となり、強力なエネルギー弾を何発も喰らって細切れになった。
浮いているもののほとんどはかつてベスだったものだ。このたった数秒のうちにベスは死に、僕は二度も死にかけた。
近くにいたヴァンガードの手を借りて起き上がる。
「さっきは災難だったな」
「本当だよ」
任務は失敗し、仲間も死亡。失態もいいところだ。帰ったら社長に怒鳴り付けられるだろうな。
ここに長居しても意味はない。船は致命的損傷、おまけに敵の襲撃を受けている状況。オルタ採掘の再開など不可能だ。
『総員に告ぐ。本艦は致命的損傷を受け、航行が不可能な状態だ。よって艦隊を破棄する。十分後に緊急脱出用ポッドに集合せよ』
人口音声による無機質な指示が下る。これは僕達傭兵に与えられた命令ではない。これは非戦闘員に対して向けられたものだ。
この瞬間、僕達の仕事は採掘品の運搬ではなく、非戦闘員の保護に切り替わったのだ。
この戦いは僕達の負けだ。これからはその負けの規模をどれだけ減らすかという戦いだ。
僕達は大部屋を出て、各々が割り振られた区画へ向かう。
事前のブリーフィングでこの可能性についての言及はされていた。先遣隊が全滅し、後方支援組にまで被害が及ぶ。そして艦が航行不能な損傷を被り、艦を放棄せざるをえなくなるという最悪の可能性。
当初予期していた中で最悪の可能性が現実のものとなった。
僕は七人のヴァンガードと避難区画に向かう。脱出ポッドの確保と生存者の救助。これが僕とベスに割り振られた役割だった。ベスが死んだ今、チームは既に一人減の状態だ。
避難区画には既に十数人の非戦闘員がいた。運良くスプリガンと鉢合わずに済んだ幸運の持ち主。逆を言えば六百人乗っている乗組員の内、十人程度しかここに辿りついていないということになる。スプリガンが既に艦内の至る所に入り込んでいるということだ。
その時突然、天井が崩落した。そして降り立ったのは一体のスプリガン。
全長2・5メートル、日本足の直立歩行、灰色で筋肉質な肉体、鰻のような頭部、目や鼻が無い代わりに大きく剥き出しになった口、それは僕達が恐れるスプリガンの中で一番個体数の多い、僕達がハンターと呼ぶ個体だった。
上の階から降り立ったハンターは一番近くにいた僕に殴り掛かってきた。ハンターの拳は、AEスーツを着用していても即死するほどの威力を持つ。
僕はそれを避け、左手を腰に当てる。腰のホルスターからナイフを引き抜き、ハンターの首元に付ける。そしてそれを力任せに振り切る。
首の骨を割る感触を感じる。ハンターの頭部は真っ二つに割れた。
頭部と胴体が分断されたスプリガンは活動を停止した。僕はそれに一喜することなく、再びライフルを構え、銃口を空いた天井に向ける。
予想した通りだ。三体のスプリガンが天井から降ってきた。降りてきたハンター一体ずつに的を絞り、冷静に引き金を絞る。
プラズマライフルの銃口からマズルフラッシュが迸る。銃撃で身体の大部分を欠損した三体のハンターは地面に伏して活動を沈黙。僕は瞬く間に四体の化け物を倒してみせた。
だがこれでぬか喜びするほど僕は間抜けじゃない。スプリガンの一番の恐ろしさは強靭な肉体でも殺傷能力でもない。それは数に物を言わせた物量作戦だ。
スプリガンの数はこれだけではない。これはまだほんの序章に過ぎない。
メインゲートから銃声が聞こえる。僕達は急いでそっちに向かう。
脱出用ポッドに繋がるメインゲートには四人のヴァンガードと防護服を着た非戦闘員がこっちに向かって走っていた。そしてその背後に、夥しい数のスプリガンが迫ってきていた。奴らは壁や天井にも張り付いていて、その数は数百にも下回らない。
彼等は脱出ポッドに目掛けてこっちに向かってくる。彼等を援護する、それすなわち、大量のスプリガンも迎え入れるということだ。僕達の手元に奴らを撃退するほどの武器があるわけではない。仮に戦うことになった場合、結果は間違いなく全滅だ。
誰かがボタンを押した。それはメインゲートを封鎖するボタンだ。メインゲートを閉じる隔壁が天井から出てきて、ゆっくりと下に降りていく。そして隔壁は完璧に閉じた。
閉じられたメインゲートに残された人達の、声にもならない叫びがこっちにも響き渡る。そして声は聞こえなくなった。
ボタンを押した者を責める人はいなかった。誰かがやらないと僕達は全滅し、脱出ポッドは使えなくなり、結果的に全滅する可能性があった。
僕達はこうやって、いつも命を切り捨てている。まだ助かる見込みがあるかもしれない人を見殺しにしている。これに善も悪もない。ただ順番の話だ。そうやって数少ない命を間引いている。
次に間引かれるのは僕かもしれない。そんな諦観に似た恐怖を胸の裡に仕舞いながら、メインゲートを後にした。
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