【後編】理由



 そこまでひとしきり映像を見せた後で、テレビ画面は何事もなかったかのように、ゲームのリザルト表示に戻った。それでも、俺は今自分の目で見た映像を信じることができない。テレビに映っていたのは、過去の俺に見えた。でも、映った理由がまったく分からない。


「……何だったんだよ、今の」


 思わず声が漏れる。でも、横目で見たそいつはまったく動揺していなかった。あたかも当然といった顔をしていて、先ほどの驚きは影も形も見られない。


「ソートグラフ、だな」


 そいつが端的に言う。でも、俺はその単語に、まったく聞き覚えがなかった。


「ソートグラフ?」


「そう。日本語でいうところの念写だな。それも人工的な。俺のいた宇宙では人が考えたり、思い出したりしたことをモニターに映し出せる技術があんだよ」


 そいつの言うことは、やはり俺にはにわかに信じられなかった。でも、平気で五次元旅行ができるような技術のある宇宙だ。だったらそれくらいできてもおかしくはない。いや、でも。もしそうだったとしても。


「いや、百歩譲ってそういう技術があるのを認めるにしても、なんでここでそれができんだよ。これ、何の変哲もないただのテレビだぞ」


「そりゃ俺が金払って頼んだからな。もしお前の宇宙にモニターや、それに準ずるものがあったら、ソートグラフできるようにしてくださいって。これだって少なくない金がかかったんだぜ」


「そりゃ現象としてはそうかもしれないけど、でもやっぱ俺には分かんねぇよ。なんでこんなことすんだよ」


「そんなの、お前が本当のこと言うかどうか分かんねぇからじゃんか。どうせならお前の本当のことを知りたいしな。ソートグラフはごまかせねぇから」


「何だよ。じゃあ全部筒抜けじゃねぇか。俺に秘密やプライバシーはねぇのかよ」


「まあな」そいつは愉快そうに、喉を鳴らしてみせた。


 でも、何がおかしいのかは俺には分からない。こっちは知られたくない過去を明かされてしまっているのだ。俺だけが過去を暴露されるなんて、あまりにも不公平すぎる。


「じゃあさ、お前はどうなんだよ」


「どうなんだよって?」


「仕事。何してんのかよ」


 こっちは痛いところを突かれたのだから、同じ思いを味あわせてやる。俺は若干意地悪く訊く。


 でも、そいつは俺の醜い思惑をまったく気にすることなく答えた。


「仕事? そんなもんしてねぇよ」


 想像もしなかった返事に、思わず「はぁ?」という声が漏れる。俺はどの宇宙でも無職になる定めなのか。あまり信じたくはない運命だ。


「どういうことだよ?」


「だから、そのままの意味だよ。俺は仕事はしてねぇ。ていうか先月辞めたんだよ」


「はぁ? 辞めた? 何でだよ?」


「別に仕事がつまんなく感じたからだよ。俺ならもっと高度な、世の中にとって価値がある仕事できるなって。だから、あっさり辞めてやったんだよ。つうかこんなこと、それこそお前に関係ねぇだろ」


 そいつの口調は頑なで、それ以上言及されるのが本当に嫌な様子だった。俺に対してはずけずけ訊いてきたくせに、いざ自分のことになったら何も言わないでくれ、か。都合がよすぎる。


 だけれど、俺はそいつに仕事を辞めた理由を、それ以上尋ねることはしなかった。本当に嫌がっている表情を見せていたから、気が引けてしまっていた。


 俺が言葉を収めると、そいつは「じゃあ、もう一周しよっかな」と、再びゲームのコントローラーを手に取る。


 そのときだった。テレビが再びジーッという、壊れたかと錯覚するような音を上げたのだ。


 切り替わった画面はとある家のリビングを映し出している。いや、とある家というより、これは俺の家のリビングだ。家具の配置や壁紙の色で、瞬時に分かる。いくら科学や技術が進歩したとはいえ、人が暮らす家の基本構造は、目に見えるような変化はしていないらしい。


 リビングの中には一人の子供がいた。その姿は、見覚えがあるなんてもんじゃない。まさしく子供の頃の俺だ。


 これは俺なのか、それともそいつなのか。俺には一瞬判断がつきかねたが、画面から聞こえてきた声で、すぐにどちらかなのか察せられてしまう。


『何だよ! 全部俺が悪いってのかよ! うちが貧乏なのは、お前の稼ぎが悪いからもあるだろうが! 何でもかんでも俺のせいにすんじゃねぇよ!』


 聞こえてきた怒号は、間違いなく俺の父親のものだった。だけれど、俺はここまで声を荒らげている父親は記憶にない。俺の父親は温厚を絵に描いたような人で、いつも理由もなくニコニコと笑っていた。


 ということは、この画面に映っているのはそいつの記憶か。


 俺はそいつの表情を横目で垣間見る。目を見開いて驚いているようにも、口を閉じて苦虫を嚙み潰しているようにも見えた。


『それだったら、あなたも仕事をすればいいでしょ』


『はぁ? 今なんか言ったか?』


『……いえ、言ってません。ごめんなさい』


『あぁもう、ふざけんじゃねぇよ! 胸糞悪ぃ!』


 そう言って父親は、俺の母親の側頭部に平手打ちを喰らわせた。鈍い音に、俺は目を背けたくなる。


 父親は、それからも母親を殴り続けていた。『お前が! ちゃんとしないから! いけないんだろうが!』身体を丸める母親に、謂れのない暴力をふるっていて、とても正視に耐えうる光景ではない。


 耐えかねた子供のそいつが『お父さん、やめて!』と止めに入っても、父親は『うるせぇんだよ!』とそいつに容赦のない拳を向けていて、惨たらしいことこの上なかった。無抵抗な二人に殴打を加える父親は、俺の父親とは同じ顔をしているが、似ても似つかない人間だった。


 俺は恐ろしくて、ベッドの上にいるそいつの表情を見ることができなかった。


 画面は切り替わる。物が少なく、窓が大きい見慣れない空間。でも、そこにいる人間が全員スーツを着ていたから、俺はそこがオフィスであることを察する。全員が立ち上がっていて、その中にはそいつの姿もある。


 窓を背にした年配の男が、苦渋に満ちた表情を浮かべていた。


『皆さんもご存知の通り、弊社は本日をもって営業を終了いたします。このような事態を招いてしまったのも、全て経営者である私の責任です。皆さん、本当に申し訳ありませんでした』


 年配の男は、深々と頭を下げていた。社員は誰も、その経営者である男に声をかけることはしない。ただ黙って、頭を下げている姿を見下ろしているだけだ。そいつの表情は後ろ姿に遮られて映ることはない。


 だけれど、悲しみと絶望感を湛えた表情をしているであろうことは、容易に想像がついた。


 再び画面が切り替わる。次に映ったのは、どこかのアパートのワンルームだった。窓の外は暗いのに照明はつけられていない。だけれど、うっすらと脱ぎ散らかした服や、弁当の空き容器といったゴミで散らかっているのが分かる。今の俺の部屋と同等の汚さだ。


 そして、その中を足の踏み場を探すように、そいつがゆっくりと歩いている。手に持っているものに、俺は慄然とした。


 そいつの手には、ホームセンターで売られているような太いロープが握られていた。何をしようとしているかは、俺だってバカじゃないから想像がついてしまう。


 そいつは案の定、ロープをカーテンレールに括りつけて輪っかを作った。その光景に悪い予感しかしない。


 すると、そいつは俺の想像通り輪っかに首を通すと、立っていた椅子を蹴って宙ぶらりんの状態になった。何をしているのか誰に説明されなくても分かって、俺は思わず目を背けたくなってしまう。


 でも、すぐにカーテンレールはそいつの体重を支え切れずに折れて、ドサッという音が画面内に広がった。ゆっくりと起き上がるそいつ。暗闇に包まれて、その表情はやはり見えなかった……。


「何だよ、これ……」


 テレビ画面がゲームのリザルト表示に戻っても、俺たちは絶句してしまっていた。絞り出したように言うそいつの声もか細く震えている。


 俺だって今しがた見た映像を、まだ咀嚼できているとは言い難い。だけれど、考えられる可能性は一つしかなかった。


「……いや、何だよってお前の記憶だろ、たぶん。少なくとも俺は今映った全てに、心当たりはまったくないわけだし」


「いや、でもなんで……。俺がソートグラフしてくれって頼んだのは、お前の記憶だけなのに……」


 何が起こったのかそいつはまだ把握できていない様子で、それは俺も同じだった。いったいどうして。見当もつかない。


 でも、テレビ画面に映った俺の記憶は、全部本当にあったことだった。ということは……。


「お前、これ本当なのか……?」


 そいつは小さくうなだれていた。だけれど、布団に落とされた視線から、俺はそいつの心のうちを察してしまう。否定しないということは、つまりそういうことだろう。


 俺はそいつにどんな言葉をかければいいのか分からない。「大変だったな」とか言って安易な同情を示すのは、少し違う気がした。


「本当、なんだな……?」


 見られてしまった以上、もうごまかしは利かないと思ったのかもしれない。そいつは小さく、それでも確かに頷いていた。


 その姿を見て、俺は胸が詰まる思いがする。こいつがテレビ画面に映ったような事情を抱えていたなんて、まったく思いもしなかった。


「……なあ、俺と同じお前だから言うんだけどさ」


 そいつの言葉に俺は息を呑む。悪い予感が強烈にした。


「俺、本当は単なる物見遊山でこの宇宙に来たわけじゃねぇんだわ」


「……どういうことだよ」悪い予感が当たりそうな感覚がしたから、訊き返す声も自ずと慎重になる。


 そいつが俺の目を見た。その瞳にこんなに灰色を帯びていたかと、俺は不安になってしまう。


「俺さ、本当はもう死のうと思ってたんだよな。親はクソだし、会社は倒産するし、俺の人生いいことなんて一個もねぇんだよ。きっとこれからも何もいいことは起こらず、苦しいことや辛いことばっかりなんだろうと思ったら、何か全部がどうでもよくなってさ」


 まるで自分を傷つけるかのように言うそいつに、俺は耳を塞ぎたくなる。


 だけれど、今この部屋には俺たち二人しかいない。そいつの声を聞くべきだと、俺は心で感じた。


「そんなときに、ふと俺には違う人生があったんじゃないかって思ってさ。別の宇宙の俺は、どんな人生を送ってんだろうって。死ぬ前に、別のありえたかもしれない俺の姿を見ておきたいと思ってさ。それで安くない金を払って、五次元旅行に申しこんだんだ」


「……悪ぃ。こんなうだつの上がらない姿で。もっといい人生があったかもしれないっていうお前の期待に応えられなくて、本当にごめんな」


「いいよ。別に大した期待はしてなかったし。どの宇宙でも俺は俺だからな。でも、おかげで吹っ切れたよ」


「吹っ切れた? 何でだよ?」


「俺はどこかで願ってたんだと思う。もっといい人生があったはずだって。でも、今のお前を見て、そんなものはないんだって分かったよ。俺は俺でしかない。このくそったれな人生を、受け入れるしかないってな」


「それ、俺のことバカにしてる? お前ほど大変な思いをしたわけじゃないのに、こんなことになってる俺のことを」


「まさか。お前はお前で大変だったんだろうし、俺がとやかく言えることじゃねぇよ。俺はただ諦めがついただけだ。これが俺に与えられた人生なんだってな」


「……お前、帰んなよ」


「何だよ、俺のこと心配してくれてんのか? 俺が元の宇宙に戻ったら、すぐにでも死ぬと思ってんのか?」


 俺はうまく答えを返せない。胸に芽生えた心配は、一〇〇パーセントそいつの言う通りだった。


「心配しなくても、俺は死なねぇよ。もうそういうこと考えるのはやめにする。この人生しかないって分かったら、ちょっとは気も楽になったしな。人生に過度に期待することなく、ただ一日一日を乗り切っていけばいいんだって」


 それを人は、絶望とか開き直りと呼ぶのではないか。そう俺は思ったけれど、口には出さなかった。別の宇宙にいるとはいえ、自分が死ぬところなんて考えたくもない。そいつは間違いなく俺なのだ。


 生きてさえいれればいい。柄にもなくそんな人の良いことを考えていた。


「だからさ、俺も何とか生きてくから、お前もどうにか生きていってくれよな。とりあえず俺は、俯いて部屋にこもってる俺自身は見たくねぇから。まあ色々大変なことも多いけど、お互い頑張ろうぜ。一度きりの人生、どうせなら少しでもマシにしていかねぇとな」


 押しつけがましい。上から目線。何様のつもりだ。普段の俺なら間違いなくそう感じていただろう。


 だけれど、俺はそいつが言ったことを否定しなかった。疑いようのない正論が、時には人を救うことを実感する。


 俺は「ああ」と頷いた。そいつも澄ました顔をして頷く。俺たちの間に、余計な言葉はもう必要なかった。


「じゃあ、そろそろ時間だし、俺元の宇宙に帰るわ。元気でやれよ、俺」


「ああ、お前こそ元気でやれよ。俺たちは紛れもない落窪開生っていう、一人の大事な人間なんだからな」


「そうだな」俺たちは視線を合わす。心がつながっているかのように、この期に及んで発する言葉はなかった。


 そいつはドアを開けると、部屋の外に出ていった。俺は気になって、すぐドアの外をのぞく。


 だけれど、たった一瞬の間だったのに、廊下にもどこにもそいつの姿はなかった。元の宇宙に帰ったのだろう。


 そいつが自分がいた宇宙で、これからどうするかは俺には分からない。でも、きっと生きていてくれるのだろう。クソみたいな人生でも、どうにか生き続けてくれるのだろう。


 はっきりとそいつの口から聞いたこともあって、俺は確信めいた思いを抱いていた。もう会うことはないと分かっていても、俺はそいつといた時間に揺るぎない価値を感じていた。


 俺は部屋の中を見つめる。相変わらず部屋は目を覆いたくなるくらい散らかっていて、気分が滅入る。この部屋で、俺はまた新しい朝を迎えるのだろう。当たり前だと思っていたことが、今はとても大切なことのように思える。


 明日が来ることが、気づけばそれほど嫌ではなくなっていた。


 俺は今何をすべきなのか。それはきっとゲームをすることでも、漫画を読むことでもないだろう。俺は一つ息を吐いてから立ち上がった。


 部屋の外に向かう。階段を下りている間も心臓はけたたましくなっていたけれど、俺は立ち止まるわけにはいかなかった。ここで引き返してしまったら、そいつに会わせる顔がないと感じた。


 ゆっくりとドアを押して、外に出る。三年ぶりの外だ。


 風は身を切るように冷たくて、遠くから車の走行音が聞こえて、電灯には数匹の蛾が群がっているのが見える。俺を取り巻く全ての物が、俺は今生きていると知らしめていて、それは少しも悪い心地ではなかった。


 ふと空を見上げる。夜空に出ていた月は、少しも欠けることのない見事な満月だった。



(完)

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月夜の俺たち これ@5/19文フリ東京38う-14 @Ritalin203

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