月夜の俺たち

これ@12/1文学フリマ東京39い―46

【前編】遭遇



 天井照明が部屋を満遍なく照らしている。隅の隅まで行き届いた暖房が、俺に上下ジャージという格好でいさせる。床は服や漫画が散らばっていて、菓子やジュースの甘ったるい匂いが部屋の空気と混ざり合う。


 そんな中で、俺はテレビに向かっていた。手にはゲームのコントローラーが握られ、画面にはサーキット場の風景が映っている。凄まじいスピードで駆け抜けていくレーシングカー。


 俺はヘッドフォンをして、ゲームに熱中していた。今は部屋から一歩も出なくても、Wi―Fiさえあれば世界中のプレイヤーとレースで競うことができる。


 アルファベットで表示されるプレイヤーがどこの国や地域にいるかは、俺には分からない。もしかしたら画面の向こうは今は昼かもしれないし、仮に同じ日本だったら学校帰りの学生や仕事終わりのサラリーマンがいることだろう。


 俺はなるべく前者であることを願う。後者だったらまともな生活から今の俺が外れていることを思い知らされて、胸が痛むからだ。


「開生(かいせい)、ご飯ここに置いとくね」


 ヘッドフォンからゲーム音楽が流れる隙間で、母さんの声がした。でも、俺は返事をすることはない。ありがたく思っていないわけではないが、それでも今は感謝の言葉を言うよりも、このレースに勝利することの方が優先順位が高かった。


 一台追い抜いて順位を一つ上げる。まだ俺の前には三台の車がいる。いける。このままのペースだったら、俺が一位でゴールできる。


 俺は身を乗り出した。レースに勝つためには、全ての集中力を注ぎこまなければならなかった。


 だけれど、前の三台は全員俺よりもポイントが高いプレイヤーだったから、俺は一台も追い抜けずに、四位でレースを終えていた。


 レース結果を表示する画面をよそに、俺はクッションから立ち上がる。今日も一日何もしていないのに腹だけは減っていた。


 ドアを開けて夕食を確認する。ご丁寧にも、俺が好きな惣菜屋のメンチカツだった。


 ドアを閉めて、テーブルで夕食を食べようと俺は振り返る。


 すると、目を疑うような光景が飛びこんできた。ベッドの上に人が座っていたのだ。一瞬前まで、ここには誰もいなかったはずなのに。


 俺は驚きのあまり固まってしまう。だってそいつは……。


「よう」


 そう言って軽く右手を挙げていたのは、俺によく似た人間だった。いや、顔も体型も声も俺そのものだ。


 いったいどういうことだ。


 目の前にいるやつは夢や幻、ましてやホログラムにはまったく見えない。


「えっ、えっ、何これ。何なんだよ」


「まあ、いいからさ。とりあえずそのトレイ置こうぜ」


 変な奴がいる。そう一階にいる両親に報告するのは、俺にとっては簡単なはずだった。


 だけれど、両親とはもうここ二ヶ月ぐらい喋っていない。その状況でいきなり「変な奴がいる」なんて、それこそ本当に頭がどうかしたと思われかねない。


 俺の頭はぐちゃぐちゃにかき乱されていたけれど、変なところで冷静で、そいつの指示に従ってしまう。


 でも、トレイをテーブルに置いてもなお、腰を落ち着けて話すことは俺にはできなかった。


「お、お前。何だよ。警察呼ぶぞ」


「警察呼ぶぞとはご挨拶だな。お前だって分かるだろ? 俺はお前だよ」


「はぁ?」


「まぁすぐに理解できなくても、無理はねぇか。この宇宙にいたら、別の宇宙の自分同士が出会うなんて、まずありえねぇもんな」


「お、お前、何言ってんだよ」


「分かんねぇのかよ。だから俺は別の宇宙から来たお前なんだよ。つまり俺たちは同一人物ってことだ。暮らしてる宇宙の違いはあるけどよ」


 目の前のそいつが言っていることが、すぐに理解できない。とても現実の出来事とは思えない。


 だけれど、今ベッドに座っているそいつは、どこからどう見ても俺にしか見えない。いや、でも……。


「お、お前さ、名前は何て言うんだよ」


「そんなのお前だって知ってるだろ。落窪開生(おちくぼかいせい)だよ」


「せ、生年月日は……?」


「一九九五年八月二八日生まれ。二八歳」


「む、昔通ってた小学校の名前は……?」


「何だよ、そのパスワードを忘れたときに答える、秘密の質問みたいなやつはよ。明日野北小学校だろ。趣味はゲーム。好きな季節は秋。ポテトチップスはコンソメパンチ味が好きで、酒はほとんど飲めない。シコるのによく使うネタは……」


「いや、もういい。それ以上は言わなくていいから」


 そいつの言葉を遮りながらも、俺はますます焦ってしまう。どれも正解だ。両親ですら知らない性癖も、きっと言い当てられていたことだろう。あり得ない事態が現実味を帯びてきて、背中に冷や汗さえ流れてきそうだ。


 まさか本当にこいつは……。


「……お前、本当に俺なのか?」


「だからそうだって言ってんだろ。どうしたら信じてくれるんだよ。あっ、そうだ。お前中学生のとき事故に遭って、頭を一五針縫う怪我してるよな。俺にもその痕はあるから、それ見たら信じてくれるか?」


「いや、いいよ。そこまでしねぇでも」おもむろに頭を見せようとしてきたそいつを、俺は何とか制止する。おそらくそいつの言う通り、頭には手術痕があるのだろう。


 突拍子もない出来事も、徐々に疑う余地がなくなっていく。俺は思わずそいつから目を逸らしていたけれど、そいつはどう解釈したのか、「信じてくれたか?」と訊いてきた。


「いや、まだ全然信じたわけじゃねぇけどよ。もし、もしだぞ、お前が本当に別の宇宙から来たなら、なんで俺のとこに来たんだよ。何か目的があるのか?」


「目的? そんなもんねぇよ。ただの物見遊山だよ。別の宇宙の俺はどこにいて何をしてるのかなって。まあ要するにただの興味本位だな」


「そ、そんな理由で来たのかよ」


「そうだよ。俺のいた次元はな、科学がこの次元とは比べ物にならないくらい発達していて、四次元旅行ぐらいなら、一般人でもできるようになってんだよ。まあ、さすがに宇宙間移動、つまり五次元旅行はそれなりの金を払わないと行けないけどな」


 そいつの話に、俺は再び耳を疑ってしまう。確かにこの次元では、四次元旅行なんて夢のまた夢の話だ。それなのに、別の宇宙では任意で宇宙間の移動ができるなんて。


 簡単には信じられなかったけれど、否定してしまえば、今こいつがここにいる理由が説明できない。


「で、でもさ大丈夫なのかよ」


「大丈夫って何が?」


「ほら、一つの宇宙に同じ人間が複数いると、時空のねじれ? とか色々ヤバいんだろ?」


「ああ、確かにその問題はあるけど、でも短時間なら特に大きな影響はねぇから。俺だってあと数時間したら、元の宇宙に戻るし」


「数時間ってどれくらいだよ?」


「うーん、まああと二時間くらいかな」


 その時間が長いのか短いのか、俺には分からない。だけれど、ベッドに座ったままで俺に興味深げな目を向けているそいつを見ると、今すぐに帰る気はないように思われた。


「さーて、こっから二時間どうすっかなぁ」


「どうすっかなぁって何も決めてねぇのかよ。どっか行きたい場所とか、見たいもんとかねぇのかよ」


「いや、全然。俺はお前にさえ会えればいいと思ってたから、会ってからどうしようとかは、全然考えてなかったなぁ」


 あけすけに言うそいつに、俺は若干呆れてしまう。まさか本当にそんなノープランで来たとは。それなりの金を払ったんじゃなかったのか。


「さっさと帰れよ」と言ったところで、俺はそいつがどうやって元の宇宙に帰るのかを知らない。部屋から出て両親と顔を合わせでもしたら面倒なことになるのは明らかで、本意でなくてもそいつをこの部屋に置いておくのが一番の得策だった。


「なあ、気になってたけどさっきからテレビに映ってるそれ、何だよ」


「何ってそりゃゲームだろ。レーシングゲーム」


「あぁ、そういえばなんか聞いたことあるかもしんねぇ」


「何だよ。お前のいた宇宙にもテレビやゲームはあんのかよ。科学が比べ物にならないくらい発達してるんじゃなかったのか?」


「別に、懐古趣味の人間の家にはまだ結構残ってるよ。俺としては目にすんのは初めてだけどな。なぁ、そのゲームって面白いのかよ」


「まあ、暇つぶしぐらいにはなるな」


「そっか。じゃあ、俺にもやらせてくれよ。ちょうどやることなくて困ってたんだしさ」


 そいつの言い草に、俺は顔をしかめそうになってしまう。一つしかないコントローラーを、別の宇宙から来たと主張している得体の知れない存在に触らせたくないと感じてしまう。


 だけれど、このまま何もせずにただ二人でいることはそれ以上に気味が悪すぎて、俺は仕方なく「分かったよ」と頷いた。オンライン対戦からCPU対戦へとモードを切り替え、一番の初心者向けコースを選んで、そいつにコントローラーを渡す。


 俺の見よう見まねでコントローラーを握ったそいつに、このボタンがアクセル、このボタンがブレーキ、ハンドル操作はこうやって、ギアはこう切り替えるといった一通りの説明をしてから、スタートボタンを押してポーズ画面を解除した。


 スタートの合図がなされても、そいつはまだ要領が掴めていない様子で、俺は「いいからアクセルを踏めよ」と指示を出す。すると、そいつはアクセルを踏み続け、その結果最初のカーブでコースアウトしてしまった。「ムズイな、これ」と言って笑うそいつに、俺は小さくため息をつく。ド素人のプレイを見て、面白いところなんて一つもない。


 だけれど、そいつはまだゲームを続けたがっていたから、俺はコンティニューボタンを押させて、再びレースをスタートさせた。口やかましく指示したくなる気持ちを抑えて、ただそいつのプレイを見守ることに徹する。どうせあと二時間の辛抱だ。


「ところでさ、お前仕事は何やってんの?」


 そいつがそう訊いてきたのは、ゲームの操作にも慣れ始め、依然ビリだが、レースを初めて最後まで走り終えた頃だった。予想だにしない角度から飛んできた質問に、俺は一瞬たじろいでしまう。


「何だよ。今、それ関係あんのかよ」


 言い返す声に、どこか動揺が含まれているのが自分でも分かる。そいつはニヤついた目で俺を見てきていて、なかなかいい性格をしていると感じられた。


 俺はそいつの顔に張り付いた笑みが少し腹立たしくて、「別に事務だよ、事務。小っちゃなメーカーの事務」と現実とは違うことを口走る。


 でも、そいつは「それならそうと最初から言えやいいのに」と言っていて、俺が口から出まかせを言ったことも見抜いているようだった。どこか見透かしたような態度に、俺は改めて「早く帰ってくれよ」と思う。


 その瞬間だった。


 テレビがジーッと今日日聞かないような音を上げたかと思うと、画面がゲームのリザルト表示からぱっと切り替わった。


 そこにいたのはスーツを着た俺だった。背景から以前勤めていた会社であることが分かる。机の前に立つ俺を、定点カメラで捉えているような映像。


 机に座っているのはかつて上司だった解良(けら)さんだ。いったい何が起こっているのか、俺はすぐに理解できない。


『落窪。お前これ、一二行目と三七行目のコード間違ってたんだけど』


『す、すいません。すぐに書き直します』


 画面の中の俺は怒られていた。会社で働いていたころには、よくあった光景だ。でも、それ以外は何も分からない。


 そいつなら何か知っているかもしれないと思って横を見たけれど、そいつも口をぽかんと開けていて、何がなんだか分かっていない様子だった。


『いや、それは当然なんだけど、俺が聞きたいのは、どうしてこんな初歩的な間違いしたかって話で。お前だってもうここに勤めて一年半経つんだよな? 普通そんだけ勤めてれば、ちょっとは仕事にも慣れそうなもんなんだけどな』


『それは、はい……。ちょっと注意力や集中力を欠いていたかもしれないです』


『何それ。クライアントから依頼された重要な仕事なんだぞ。お前、仕事ナメてんだろ』


 画面の中の俺は、首を横に振っていた。だけれど、解良さんの目は冷たく威圧感を放っている。その光景に、俺は思い出したくないことを思い出してしまう。


 解良さんは他の企業から社長がヘッドハンティングしてきた人材で、俺が新卒で働き始めて二年目の夏に、退職した上司の後釜を継いでいた。


 だけれど解良さんは、物腰が柔らかで怒ることのなかった前任の上司とは違い、仕事のためなら厳しいことも平気で言うタイプの人間だった。『あのさ、ウチはこれからもっと大きくなろうとしてるわけ。そのためにはお前にももっと力つけてくんないと困るんだわ。少なくともこんな初歩的なことでつまずいてるような場合じゃないんだよ』と言われて、画面の中の俺は、小声でしか返事ができていない。


 解良さんのねめつけるような視線は、まるで今の俺にも刺さってくるようで、心臓の鼓動が嫌でも速くなってしまう。


 画面が切り替わる。次に映ったのは、布団にくるまっている俺の姿だった。部屋は今よりも大分整然としているから、どうやら過去のことらしい。


 俺はなかなか起きられていなかった。母親から『開生ー、早く起きないと遅刻するよー』との声を受けても、布団に縛りつけられたように、起き上がれないでいる。


 俺は、画面の中の俺の心情が分かる気がした。起きたくないのではない。起きて会社に行かなければ分かっているのに、布団から起き上がれないのだ。


 それはかつて俺が経験した状態で、どう見てもまともな状態からは程遠かった。


 画面は再び切り替わる。編集された映像を流すかのように。画面の中の俺は、再び解良さんの机の前に立っていた。俯いているその表情に、どんな場面か俺にはすぐに察せられる。


 解良さんの手に握られた書類。その一番上には「休職届」と書かれていた。


『そうか。しばらく休むか』


 残念そうに言う解良さんに、俺は言葉少なに頷くことしかできていない。もはや理由を説明する元気もない様子だ。


『体調のことなら仕方ないな。今日だって辛いのに無理して出てきてくれたんだろ?』


 俺は黙って頷いている。人形みたいに。


『まあお前がウチに必要なのは変わりないから。ゆっくり休んでまた元気に出てこいよ。お前の席はちゃんと確保しといてやるから』


 こんな事態になったのは、解良さんにも理由がある。そんなこと、俺には言えるはずもなかった。気遣う言葉が、胸を突き刺してくる。


 俺はただ頷くしかなくて、『ありがとうございます。失礼します』と、俺たち以外には聞き取れないような小声で挨拶を述べて、解良さんの前を後にしていた。


 オフィスを去っていく後ろ姿が映る。この会社に、俺は二度と戻ってくることはなかった……。



(続く)

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