親友の妹


 駅前のカフェで目の前のコーヒーを眺めながら、陽一はじっと圭のことを考えていた。

 団長は「圭のことで話があるそうだ」と言っていた。


 沙保は何を話したいのだろう。

 自分は何をすればいい?

 罪滅ぼし、それとも贖罪?


 田嶋陽一として考えると、どうにも脳内の混沌が収まらない。

 一度コーヒーから目を離し、小さくため息をつく。


『親友を不慮の事故で亡くした男』。そう単純に考えるなら、答えは簡単だ。

 沙保と一緒に悲しめばいい。手放しにただただ涙を流せばいい。


 しかしそんな安直な姿を偽れるほど、陽一と圭は単純な仲ではない。

 そこで嘘を吐くのは圭にも沙保にも失礼だ——などと考えるのはきっと、工作員スパイの思考ではあり得ないことだ。

 優秀な工作員スパイならきっと、冷静に割り切って安直な姿を偽るのだろう。


 だが残念なことに、深矢は優秀ではないらしい。先日も優秀な工作員スパイに情報を持ち逃げされたばかりである。


 ではいっそ、全てを話してしまおうか。終わったら部屋にある遺品も何もかも、捨て去ってしまおうか。そして家も引っ越して、親友を亡くした青年——田嶋陽一と決別してしまおうか。


「……陽一くん?」

 覗き込まれ、深矢は考えるのを断念した。

「……あぁ沙保。久しぶり……か?」

「お通夜以来です。なんだかすごく考え込んでそうだったけど……驚かせちゃいましたか?」

「まぁ、少しな」


 これは嘘だ。

 沙保が来たのは顔を上げた時に視界の端に映っていた。


 沙保は通りすがりの店員に、お水くださいと頼んでから席についた。それを待ってから、深矢は口を開いた。


「店長から聞いたよ。わざわざ店に来てくれたって」

「そうなんです。兄のことで、謝りたくて」


 ……謝ることなどあっただろうか。むしろ、こちらの方が謝ることでいっぱいだというのに。


 自責の念にかられる深矢とは反対に、沙保は言いにくそうに切り出した。


「兄の事故のこと、勝手に陽一くんが悪いだなんて疑っちゃって……」


『本当に事故なの』——あぁ、あのことか。


 あの事なら尚更、沙保が謝る必要などない。むしろ正しいのだから、責めてもらって構わない——しかし沙保にとっての事実は『事故』で、陽一は何も悪くないのだ。


 胸が痛んだ。絞られるような苦しさだ。

 ……上手く息が出来ない。


「あの時はどうかしてて。陽一くんだって突然のことで悲しいはずなのに、変なこと言って傷付けちゃって……本当に……」


「謝らなくていいよ」

 咄嗟に口走っていた。


「沙保が思った通りでいい。俺を責めたいならそうすればいい。そうすることで沙保が楽になれるならそれで」


 少しだけ、呼吸が楽になる。

 反対に、沙保の表情は複雑なものになった。


 ……今の言葉は逃げだろうか。間違いない。こんなこと言ったって沙保は救われない。自分を甘やかしたいだけだろ——

「ごめん、今の忘れて。何でもないんだ」


「……陽一くん」


 沙保はこちらをジッと見ながら言い出した。心配するかのような、そんな眼だ。


「この間、店長さんに言われたんです。『君がそうだと思ったことが、真実なんだ』って。ここ最近、ずっとその意味を考えてました」


 団長お得意の、一見意味の分からない言葉。

 沙保はどう解釈したのだろう。

 ふと、沙保は硬い表情を崩して笑ってみせた。


「お兄ちゃん、昔は毎日つまらなさそうな顔してたんです。それが陽一くんと友達になってから、毎日楽しそうな顔するようになって……店長さんの言葉に当てはめれば、きっとそれが、私にとっての真実なんだと思います」


 そう言って、沙保は穏やかに笑った。

 きっと沙保の記憶にある兄は、いつものように明るく笑っているのだろう。


 太陽のように、周りを明るく照らせる笑顔で。


「お兄ちゃんはきっと、楽しい人生を送れてたと思います。少なくとも陽一くんと出会ってからは。だから……」


 そこで一旦言葉を切り、沙保は様子を伺い見るように見上げた。その眼は先ほどのような心配するようなもので、深矢は固唾を呑んだ。


「だから、自分のことを責めないでください。私は全てを知ってるわけじゃないし、陽一くんとお兄ちゃんが何してたかなんて予想しか出来ません。

 けど、陽一くんと遊びに行くって言う時の、楽しそうなお兄ちゃんの顔が本音だってことは分かります」


 それは本当のことだろうか。

 圭は自分といて、楽しかっただろうか。

 嘘と秘密だらけの自分と一緒に過ごした時間は、本物だったのだろうか。


 ——本物と言っていいのなら、少しはこの苦しさから救われる気がした。


「きっとお兄ちゃんは、陽一くんと出会ったことを……陽一くんとしてきたことを、後悔なんてしていないと思います。

 だからお願いです。兄との楽しかった思い出を悔やまないであげてください。

 できることなら、忘れずに、楽しい思い出として残しておいてください……」


 最後の方は涙まじりの声だった。沙保はそれを隠すよう、俯いたまま陽一に向かって頭を下げた。


「兄と友達になってくれて、ありがとうございました……ッ」



 ***



 沙保が手洗いに席を立っている間、深矢の頭では沙保の言葉がずっとループしていた。


「……まったく、お前の妹は強いな」

 どこかにいる圭に向かって、そう言わざるを得なかった。


 深矢は一息ついてから、すっかり冷めたコーヒーを飲み干した。

 そして卓上のアンケート用紙を一枚広げ、記入用のボールペンを走らせる。


 ——圭と過ごした時間は紛れもなく楽しい時間だった。

 青嶋を追い出され、失意のドン底だった自分は、圭のお陰でこの三年間楽しく過ごせた。


 そんな大事なことを、沙保に言われて思い出せた。

 ただダラダラ書き連ねるのはダサいので、簡潔に、五文字だけ。

 全ては伝わらないだろうけど、少しくらいはカッコつけさせて欲しい。


 書いた紙を二つ折りにし、沙保の席に置く。

 そして泣き腫らした顔が戻ってくる前に、静かに店をあとにした。


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