もう揺るがない
準備は静かに、着実に、しかし迅速に行われた。
その間、深矢は言いつけられた通りつつがなく店番を執り行っていた。
そして——
「そういえば、明日ヒマ?」
カウンター席でカレーを食べる茜が、ふと思い出したように聞いてきた。
ランチの繁忙時間を超え、店内の客は茜しかいない。
あぁ、と深矢は洗い物の片手間に相槌を打つ。
「おや、デートかい?」
ちょうど茜の脇を通った団長が口を挟んだ。それに対して、茜がはぁ?と無言でガンを飛ばす。いつしか見たやり取りだ。
「海斗が、お前がヒマにしてるとどっかで『盗難事件』が起きそうだからって」
——今日、決行する。
「ルナさんに『ルリア』ってブランドの新作ピアスせがまれたから、」
——今夜十二時。
「本物そっくりに『作って』ほしいんだと」
——実行作戦はA案。
「……全く、人使いが荒いな」
深矢は面倒くさそうに差し出された紙片を受け取り、ポケットに入れた。
茜がカレーを平らげ、ごちそうさま、と手を合わせる。
「今日も海斗につけるか?」
「いや、今日はちゃんと払……」
「ふーむなるほどなるほど。今晩作戦を実行するんだね?」
深矢はほんの一瞬、誰にも気付かれないほど一瞬、顔を顰めた。
……なぜ分かる。
茜の背後。団長が顎に手を当て、気味悪くニヤついていた。
「何の作戦ですか」
茜がなんてことないというように返す。
すると団長はパッと顔を明るくさせた。
「おや、勘が当たったみたいだね?」
茜があからさまに眉をひそめる。ウザい、とその顔には書いてあった。
そんな茜の反応を見て団長はニヤリと口を歪める。
「気にする必要はないよ?君たちを止めるつもりはないからね」
「それなら、」
おい、と開き直った深矢を茜が低く制する。そして茜は背後の団長を睨み上げた。
「わぁ、蛇に睨まれた蛙の気分だよ」
団長は冗談を言いながらわざとらしく目を丸くさせる。
「言ったろう?止めるつもりはないんだよ。ただね、一つ君たちには考えて欲しいんだ」
三年前の事件の真相を知って、君たちはどうしたい?
試すような視線を向けられる。
その視線に、深矢は圭のお通夜の日、団長が部屋に来た時のことを思い出した。
——全てを、団長は知っている。
直感だが、団長の様子からそう確信できた。
そして団長は聞いているのだ。覚悟はあるのか、と。
……臨むところだ。
「どうするつもりもありません。でも、覚悟ならあります」
ほう、と団長は片眉を上げる。茜が怪訝な表情を見せるが、気にせず続ける。
「団長に……いやSIGにどれだけ足止めを食らったって、何に邪魔をされたって、俺は三年前に何があったのか知りたい。その為ならどんなことでも厭わない」
もう二度と、中途半端な覚悟で何かを失わないために。
全ては望まない。望みは一つだけ。
団長は深矢の覚悟を図っているかのように、片眉を上げたまま微動だにしない。
その表情からは何も読み取れなかった。
沈黙が横たわる。
三年前のあの日、深矢は事件の真相を知るために自分を捨てたはずだった。『田嶋陽一』として生きる覚悟をしたはずだった。
ここ最近の一連の不祥事は、深矢のその覚悟が揺らいだ結果だ。
……それも今晩、全て断ち切ってやる。
深矢は一直線に団長を見据える。その視線は万物を射抜くかのように鋭い。
ふと、団長の表情が緩んだ。
「……飼い犬には向いていないね」
微かな呟きは、二人には聞こえなかった。
団長は一歩後ろに下がると、ニッコリと仮面のような笑顔を茜に向けた。
「深矢君には全てを捨てる覚悟はあるようだね。今まで散々振り回されてきた君はどう思う?」
茜はチラリと横目で深矢を見てから、小さくため息を吐いた。
「確かにこれ以上振り回されるのはゴメンだよ。正直面倒臭い……けど、今のこいつは昔と同じ眼をしてる。信用する根拠にしては十分だ」
それに、と茜はもう一度深矢を見て、挑むように笑った。
「生憎、真実を知りたいのは私も同じなんだよね。振り回される覚悟は悲しいことに出来てるんだ」
それを聞いて、ふと、先日の海斗の言葉を思い出した。
『面倒くさそうにしてるけど、茜も本当は知りたがってるんだ』
「……凄いな。海斗の言った通りだ」
「あ?あいつが何だって?」
思ったことを言っただけだが、茜は機嫌を損ねたように眉をひそめた。
そのやり取りを見た団長が、ほーう、と感心したように呟く。そして低く真面目そうな声色で深矢に尋ねた。
「……そうとなったら早速、君には一つ捨ててもらおうじゃあないか」
深矢は睨んでくる茜から団長へ視線を移し、身構えた。
団長は人差し指を立て、片目を瞑ってみせる。
「君がまず捨てるもの。それは……」
深矢は固唾を飲んで続きを待つ。
何を捨てろと言うのか。
しかし団長は一転して、揶揄うようにニヤリと笑ってみせた。
「閉店までのシフト、じゃないのかい?」
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