復讐と追求と
『……それで、バイトを仮病で抜け出す必要はなくなったってわけか』
呆れたような海斗の口調が耳に入る。深矢は手元に意識を集中させたまま、芝居かかった団長の様子を思い出して苦笑いを浮かべた。
「そ、思ってもなかったよな。あの人は味方なんだか敵なんだか……」
『どっちにしろ、手間が省けたんだから得した気分になっときゃいいんじゃない?……こっちは準備完了。待機してる』
『こっちもセッティング完了。撤収するよ……得したって言っても、足元をすくわれるかもしれない』
『いや、それはないだろ。深矢を貶めるつもりなら、そもそも店番を頼んだりしない……と、思う』
「珍しく自信無さげだな?」
深矢は最後の作業に取り掛かりながら、海斗を揶揄いつつ尋ねる。
『団長のことを知らないからな。予測を立てようにもデータが少なきゃ正確な予測は立てられないだろ。それで言ったらお前の方が知ってるはずだ』
『そうだよ。ずっとバイトで一緒に働いてたんだし』
海斗と由奈に指摘され、店での団長の様子を思い出す。
「まぁ俺がずっと接してたのは『オーナーの面を被った団長』だけどな……けどそうだな、あれは多分……」
深矢は一回口を噤んで、言葉を選んで答えた。
「……気分だ」
『一番信用ならない解答をどうも』
「もしくは面白そうだから、とかな」
『つまりあの
「そういうこと」
各三人のため息が聞こえる中、深矢は手を一旦止め、一息吐く。
『おいおい、まーだ作業追えてないの?』
「すぐ終わるさ」
『早くしろよ。俺の予想だとあと十秒以内に……』
「そりゃあ急がないとだな」
深矢は焦ることもなく、止めた手を速やかに動かす。
『
黒く小さな箱を、目の前の頑丈な作りの金庫の中央に据え置く。深矢は思わずほくそ笑んだ。
黒い箱が埋もれているのは、サラリーマンの平均年収以上に相当するような額の札束の中。
今からこれらが全部、炭に変わるのだ。
何年もかけて集めてきた、松永の財産が全て——
『中に入ったぞ!急げ!』
焦る海斗の声と共に、深矢は金庫を閉める。
「準備完了」
そしてポケットから、一枚の写真を取り出した。
圭との写真だ。深矢の部屋にある遺品を漁っているうちに出てきた。
時期はおそらく、高校二年の夏。松永の仕事で得た大金で、二人で遠出した時に撮った写真だった。
身長の高い圭が、深矢の肩に腕を乗せ、満面の笑みで笑っている。
——あの頃は楽しかったな。こうなるだなんて、ちっとも……。
思うと同時に胸が締め付けられ、体の底から熱い炎が立ち上がる。
どうしてこうなった?どこで間違えた?
いくら考えても、明確な、正しいと思える答えは見つからなかった。
言えることがあるとするなら、それは一つだけ。
圭を貶めたのが、松永だということだ。
来たる復讐相手のため、写真を大事に丁寧にしまい、松永が現れるであろう扉に向き合う。
ガチャ、ガチャリと二重施錠が開かれ、ドアノブが回る——
「……おや、二度と目の前に現れるなと言ったのはお前の方ではなかったかな?」
予想だにしていなかったのだろう。驚いた松永の笑みは引きつっていた。反対に、その後ろについている拝島の表情は動かない。
「そうだったな」
一息吐くように言って、松永を射抜くように見据える。
松永は深矢のその只ならぬ雰囲気を感じとったのだろう。部屋に踏み入ろうとした足が止まった。
「……お前から来る時は、いつも何か悪い知らせがある」
「大袈裟だな」
警戒を見せる松永を、ハッと鼻で笑い飛ばす。しかし松永のその勘は正しい。
「今日はあいつの弔いをしに来たんだ」
「……弔い?あぁ、彼のことか。もう二週間経つのか、早いものだな……そろそろ気持ちの整理が出来てもいい頃だろう。お前だっていつまでも引きずっていたっ……ッ?!」
「黙れよ」
松永が気付いた頃にはもう、深矢はその胸ぐらを掴み拳を振り上げていた。
松永にどうこう言われる筋合いはなかった。
「離れ……ッ!」
拝島が止めに入るも間に合う筈がない。
次の瞬間には深矢は怒り任せに腕を振り切り、松永の体は背後の扉に強く打ち付けられていた。
まだだ。足りるか……!
深矢はそのままの勢いで倒れ込んだ松永に跨る。
止めに入る拝島を一瞥すれば、凍ったようにその動きが止まる。
それでいい。気が済むまでぶん殴ってや——
深矢、と制止の声がかかったのと、圭と沙保の顔が過ぎったのは同時だった。
「……ッ、ははっ」
一拍置いて、喉の奥から乾いた笑いが漏れた。
……何してんだ。こんなことしたって何も実らないってのに。
深矢は頭に手をやり、勢い任せの憎悪を鎮めるように松永から距離を取った。
そして、ゆっくりと息を吐く。
その間松永も拝島も何も言わず、微動だにしなかった。むしろ腫れ物に触れるかのような目で深矢を見つめている。
「…………何か臭わないか、この部屋」
数秒経ってから、ボソリと呟く。
深矢は頭にやった手の指の隙間から、途端に松永の表情が変わるのを見ていた。
「……何かが燃える臭いだ」
松永は深矢に言われて気付いたのか、一瞬だけ顔を顰め、すぐに焦りを浮かべた。
「拝島!金庫を開けろ、中を確かめろ!」
弾かれたように拝島が金庫の解錠に取り掛かる。
「開けない方が得策だと思うがなぁ」
焦る松永を横目に、わざとらしくのんびりとした口調で呟く。
そして拝島が金庫を解錠すると——同時に爆発音が金庫内に響いた。
松永の表情が固まる。
深矢の心の中の悪魔が笑う。
拝島がゆっくりと金庫の扉を開けると、中から紙幣の燃えかすが舞い散った。
「……お、おいどういうことだ…………私の金が……」
驚きと絶望に枯れた声を出す松永。そのまま恨みのこもった視線が深矢に向けられた。
「俺が仕組んだとでも?そんな証拠どこにある」
たかだか金庫一つでその反応か。これはほんの序の口だというのに——
松永の睨みを鼻であしらったと同時にドアがノックされ、手下が恐る恐る入ってくる。
「会長、こんなものが……」
その手には大量の封筒。銀行や保険会社、クレジットカード会社の名前が連なっている。
松永がそれを受け取る手は震えていた。開けて中を確かめると、咄嗟に顔を青くさせた。
「何だこの請求額は……何をした……?」
絵に描いたような反応に、思わずクククと喉から笑いが漏れた。
ここ数日間の仕込み。それは単に金庫を開けるための準備だけではなかった。
「ローン返済にしろ保険金支払いにしろ、ちゃんと毎月、金は振り込まないとな」
「……なぜ、未払いになっている……?」
「そんなの、支払った経歴が無いから、だろ?俺の知ったことじゃない」
深矢の意図する所が読めたのか、松永は憤怒の色を浮かべた。
大層なことはしていない。ただ、松永の名前で組まれているローンやら保険やらの支払い履歴や入金記録を全て消去した——それだけだ。
「この調子じゃあ、明日にでも財産差し留めの通達でも届きそうだな?」
「貴様ッ……!」
松永は怒りと絶望のあまり青白くなった顔のまま、悠々とする深矢を睨む。見るからに滑稽だ。いい気味だった。
「……拝島、この外道から目を離すな。準備が出来次第連絡する」
「畏まりました」
松永はとうとう掠れた声で拝島に命じ、手下を連れて——というより、手下に支えられるようにして部屋を出て行った。
その背中は、つい一週間前に深矢を嘲笑っていた男とはまるで別人のものだ。
「ハッ、荷物まとめてとんずらしようってか」
そうはさせるかよ。
由奈、とインカムで合図を送る。
すると三秒後、もう一度爆発音が聞こえ、松永の絶叫が響き渡る。
松永の全財産が詰まった金庫が、銀行に預け切れない程の金銭が、今まで深矢が『田嶋陽一』として奥本圭と共に盗んできた数々の金目のものが、ただの炭に成り代った瞬間だった。
ざま見ろと思った。当然の報いだ、とも。
しかし同時に、心の隅を寂しさが過った。
深矢の中で記憶が一つ——『田嶋陽一』が持つ、圭との思い出達が——消え去った気がしたのだった。
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