弱者、強者Ⅱ


 女が戻ってから、今野は何事もなかったように談笑を再開した。女も自分が大事な落し物をしたとは気付かず終始上機嫌だった。


 そして頃合いを見計らい、二軒目に行こうと外へ出る。


 ちょうど店の前に止まっていたタクシーに乗り込み、運転手に大体の住所を告げる。タクシーが発進し、しばらくしてから、今野は上着のポケットから例の落し物を取り出した。


「あのさ……」


 話しかけられ、窓の外を眺めていた女がこちらを向く。

 今野の手元の物を認識すると、楽しそうな表情が一変した。


「なんで……ッ」


 女は息を呑み、恐怖に顔を歪めた。

 今野はにっこりと笑顔を浮かべ、落し物を取り返そうとする女の腕を掴んだ。

 そして顔を近付け、運転手には聞こえないよう小さく囁く。


「……これ、人に知られたらヤバいものだよね?」


 女はコクコクと怯えた顔で頷いた。

「お願い……誰にも言わないで……」


 震えてか細くなった声に、今野はニヤリと笑う。

 わかったよ、と宥めるように言ってから、女の腕を掴む手に力を込めた。


「その代わり、俺の言うこと聞いてくれるね?」


 女の表情が不安と恐怖が入り混じったものに変わったと同時に、タクシーが停車する。

 ちょうどいいタイミングだ。


 今野はすばやく精算を済ませ、女の腕を掴んだまま降車した。

 夜になるほど活気付くネオン街。その裏道に入り、潜むように建っている小さなビルに入る。


 女は大人しく付いてきた。怯えているのだろう。

 エレベーターで三階に上がると、そこはマンションのような間取りとなっている。

 外見と違って内装だけが高級感漂う雰囲気なのは、ここが『表立ってはいけない店』だからだ。


 廊下を奥へと進んでいると、手前の部屋の扉が突然開き、男が一人出てきた。

 先程連絡していた『悪友』だ。


「おう今野!なんだよお前、久しぶりに連絡寄越したと思ったら『イイ子見つけた』ってなぁ……」


 悪友の視線が背後の女へと向く。悪友は冷やかしのように口笛を吹いた。


「……カワイイじゃん。来いよ、今日は偶々みんな集まってんだ」


 一方の女は、悪友の背後に見えた部屋の光景に息を飲んでいるようだった。

 今野にとっては見慣れた光景だ。暗い目をした若い女達が、商品として使われるのをただ待っている姿など。


 今野は呆然としたような女を半ば引きずるように、一番奥の部屋へと連れて行く。


 女はこれからの展開が読めたのか、絶望したように俯いた。その表情は読めないが、なんとなく予想はつく。

 どうすることもできなくて、ただただ自分の無力さに泣きたくなっているのだ。

 今まで連れてきた女もそうだった。あの部屋にいた女達のことだ。


 悪い趣味だとは思わない。こういうビジネスだ。


 悪友が一番奥の部屋の扉を開け、先に女を部屋に押し込み今野が後ろ手で鍵をかける。


 広めの室内には三人の野郎どもが待っていた。みんな気味の悪い笑みを浮かべている。


「悪いね、ルナちゃん」


 今野は微動だにしない女の背中をせっついた。

 しかし女は動こうとしない。怯えてしまったのだろうか。


「諦めなよ、彼氏が来なかったのが不運だったんだ……」


 それでも女は動かない。

 背中を押したら、重りが付いているかのように『動かせ』なかった。


 変な感覚だ。そんなに体重があるとは思えない。


 痺れを切らした悪友が、女の腕を掴んで引っ張ろうとする——

 その刹那。


 その手は勢いよく弾かれた。


 悪友は反動で二、三歩退き、驚いた表情で女を見返す。



 ルナと名乗る女——もとい、茜は振り払った手で、顔にかかった前髪を掻き上げた。


「……ったく、いい趣味してんなアンタら」


 そう呟いた声は、『ルナ』とは別人のように低い。


「おいオッさん、いつまで触ってんだよ気持ちわりィ」


 今野を振り向き、呆然とした阿呆面を殴り飛ばす。

 呆気なく今野は扉に叩きつけられ目を回した。

 茜は体を正面に向け、残りの四人を見据える。


「力ずくでやりゃ何とかなると思ってんだろ。舐め腐ってんな」


 若い女を集団で軟禁し、男の性処理道具として商売に使う。

 女は男に敵わない。

 体格の差を利用した、残酷にもよくある商売だ。

 そして——茜がこの世で最も嫌いなやり口でもある。


「おいおい、お姉さんよ……どういう風の吹き回しだ?」


 茜に腕を振り払われた男が、その手をさすりながら茜に近づく。背後の今野も、呻きながら体を起こしたようだ。


「頭良さそうだし分かるだろ?この状況」


 茜は視線だけ動かして辺りを伺った。


 部屋のドアは施錠されていて、鍵は今野のスーツの上着の中。三階だし飛び降りることもできるが、窓の手前には男が四人。

 そう、つまり——


「……逆に、馬鹿なアンタらに状況分からせてやってもいいよ」


 どっちでも逃げられる、ということだ。


 茜のセリフに、男が小馬鹿にした笑みを浮かべて残りの三人に合図する。


 しかし今の茜の気分は、『逃げる』よりも『ぶちのめしたい』気分だった。

 そもそも、逃げるつもりならこの建物に入る前に逃げている。


『ちょうどいい』と海斗が形容した意味、そして茜を指名した理由。

 それを知りたかったから、わざわざ連れて来られてきたのだ。


 茜は念のためにクラッチバッグから手袋を取り出し、それからヒラついた袖を肩まで捲る。


 どれだけ暴れても、痕跡は残さない。

 髪を団子にまとめているのもその理由だ。


 ぶちのめす準備は出来た。


 そうとも知らず、のそり、のそりと、駄犬共が近付いてくる。

「……所詮女の価値なんて、男に媚びてその股開くことくらいだろ!」

 その見下した物言いに、茜の脳裏で何かが切れた。


「……一旦死ねばいい」


 茜が男共を文字通り『潰す』まで、五分もかからなかった。

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