見送り
そこでいつも目が覚める。
深矢はゆっくり体を起き上がらせ額に手を当てた。うっすらとだが汗をかいている。
寝覚めが悪い。
そして夢に出てきた人影の言葉を思い出した。
事故処理班、と呟いてみる。
最近よく聞くワードだ。
カメレオン暗殺の際も今回の事件でも、事件を調査し隠蔽工作したのは事故処理班だった。
事故処理班は確か、想定外の事故や事件により組織の秘密が外部に漏れる可能性が出た場合にのみ発動する部隊だったはずだ。
つまり、三年前の事件でも動いていた。
そうか。次は事故処理班を調べればいい。
しかしそう思いついたところで、自分の現状を思い出す。
カレンダーと時計を交互に見るが、日付は一日しか経っていないし時計の短針でさえ一周していない。どちらも進みはもどかしいほどにゆっくりだ。
まだ謹慎期間に入って二日目だった。外には四六時中、監察課の監視がある。大人しくせざるをえない。
ベッドから降り、洗面所で顔を洗う。タオルで顔を拭きながらまたベッドに戻り、リモコンに手を伸ばす。だがテレビを点けるのはやめた。
もう一度カレンダーに目をやる。謹慎から二日。そろそろあれがあってもいい頃だろう。
深矢はもう一度ベッドに倒れこんだ。深いため息を一つ吐く。
気が滅入りそうだ。たかだか一週間の自宅謹慎なんて、拷問対策の訓練に比べれば楽で仕方ないというのに。
訓練より辛い理由があるとすれば——
目を閉じると、この部屋によく出入りしていた長身の姿が浮かんだ。
もう、関係のないことだ。そう思うしかない。
その姿を掻き消すように目を開けた時、トントンと部屋のドアがノックされた。
重い足を引きずるようにドアを開けると、仮面のような笑顔を浮かべた団長が立っていた。
「やあ。元気かい?」
ドアを開けた瞬間、その隙間から見えた電柱の陰で何かがうごめいた。考えるまでもない、監視だ。
他にどれだけの監視がいるのか、部屋の中からでは把握するのは困難だった。
「……何か」
「おや、疲れているね?」
驚いたような、苦笑するような表情を浮かべた団長は、お邪魔するよーと有無を言わせない様子で、深矢を押し退けるように部屋に入ってきた。
「部屋に入るのは初めてだね。あれは圭くんの私物かい?」
団長が指す先にあるのは口を固く結ばれたビニール袋。
直視したくなくて、深矢は気まずさを感じて目を逸らした。
よく泊まりに来ていた圭は、私物をこの部屋に多く置いていた。今となっては全て遺品だ。
捨てていまいたい気もするが、いつか沙保が取りに来るかもなどと考えてしまって捨てられていない。もしそうなったら、その時は沙保にはどんな顔をして渡せばいいのだろう。
団長は深矢の考えを見透かしたように皮肉に笑った。
「実を言うとね、もう少し上手くやると思っていたんだよ」
やはり、団長は全て知っていたのだ。
知った上で深矢を遊ばせていた。
深矢はずっと、ただこの男の手のひらの上で転がされていただけだ——圭もそう。
「全て知っていたなら、こうなることも分かっていたんじゃないですか」
吐き捨てるように出た言葉はもはや愚痴だった。
「そうだよ。最悪の場合はこうなるんだろうなってね。けど君もそうじゃないのかい?分かって覚悟した上で隠していたんじゃないのかい?」
覚悟、と聞かれると答えられない。
そもそも、全て上手くいく、組織にも圭にも隠し通せるとしか考えていなかったのだ。
「自分を過信していたね」
団長が目を細めた。口元はいつも通り笑っているが目は笑っていない——細められた目の奥には失望のようなものが表れていた。
普段あまり触れることのない団長の感情。直に感じた深矢はどこか息苦しさを覚えた。
「ところで、ニュースは見ているかな?」
だがそれも一瞬で、次の瞬間には団長はリモコンを手に取ってテレビの方を向いていた。
深矢は反射的に眉をひそめたが、団長は構わずそれを点けた。画面では無機質な表情を浮かべた女子アナがニュースを読み上げていた。
『一昨日深夜二時ごろ、○○市内で大型トラックの横転事故がありました。横転時トラックからガソリンが漏れ、その火事によりトラックの下敷きとなった男子大学生一名が死亡しました。死亡したのは奥本圭君十九歳、当時奥本君は……』
——これだからテレビを点けたくなかったのだ。
「圭くんの妹……沙保ちゃん、だったかな?彼女は何を思っているだろうね」
団長の呟きには返答しなかった。できなかった。
沙保が兄の死を知ってどんなにショックを受けたか。そんなこと考えなくても分かる。しかも深矢と違い、突然目の前から消えたのだ。受ける傷は深矢よりずっと深いはず。
「加えて原因は兄貴の親友。真実を知ったら恨む他ないよね」
いっそのこと、恨めばいい。恨まれた方が深矢も救われる。恨まれるべきは自分なのだから。
団長は俯く深矢にちらりと目をやってからテレビを消した。
「それじゃあ、行こうか」
深矢が怪訝な顔で見上げると、団長は意味ありげにウインクしてみせた。
「監視の連中には話を通してあるよ。団長直々に監視すると言ったらやーっと許してくれてね」
「そうじゃなくて……どこに?」
「どこってもちろん……」
団長は当たり前とでも言うように、玄関に向かいながらニヤリと笑った。
「圭くんを見送りに行くのだよ」
***
参列人は少なかった。親戚と親しい友人だけのこじんまりとしたお通夜だった。
そこには突然の不幸について行けていないような浮ついた、だが重い空気が充満していた。
黒い喪服の集団に紛れるよう、深矢は団長に連れられて参列した。
圭が大学でよく一緒に行動している友人もいた。
圭が偶に「大学の奴らってつまんね」とボヤいていた奴らだ。彼らは戸惑いの表情を見せる者もいれば硬い表情で泣くのを堪えるような者もいた。
普通すぎてつまらないと言っていた圭だったが、普通でない人間(深矢)では、こんな時自由に悲しむこともできないのだ。
深矢が顔を上げることはなかった。
遺族に頭を下げる時、母親と沙保のすすり泣く声が重圧のようにのしかかった。
唇を噛みしめて頭を上げたら、沙保の真っ直ぐな視線が深矢を射抜いていた。
——この子は勘付いているのだろう。
兄がただの事故で死んだのではないことを。
そして兄が生前、友人である陽一と悪事を働いていて、それが原因だということを。
深矢はその子の痛いほどの視線を感じながら祭壇に向き直った。
棺の中は遺族の意向で開けられることはなかった。
事故に火傷で判別がつかないほどの顔など見て欲しくないのだろう。
事故処理班の拷問は苛烈を極める。その痕跡を残さないための全身火傷だ。
果たしてそこまでする必要があったのか。圭を拷問したところで何も情報は出てこなかったはずだ。圭は何も知らないのだから。なのに、
どうして俺じゃないんだ——
深矢は段々気が滅入ってきて、逃げるようにその場を後にした。
そんな自分を隣で見る団長は、作っているのか本音なのか、至極無表情だった。
これが君のしたことだ。
珍しいを通り越して嘘臭さも感じるその顔は、そう語っているようだった。
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