見送りⅡ
「陽一くん!」
式場を出たところで少女の声に呼び止められる。沙帆だった。
先に行っているよ、と団長は何かを悟って通り過ぎて行った。
「お兄ちゃんが死んだ理由って本当に……本当に事故なの」
泣き腫らした目をした沙保の口から出たのは、一番恐れていた質問だった。
「私、知ってたんだよ?お兄ちゃんが陽一くんと一緒に悪いことしてるの」
そう絞り出すように言う沙保の声は震えていた。その不安を掻き消すように、沙保は無理矢理に笑顔を作った。
「お兄ちゃんてば隠し事下手なんだもん。分かりやすいんだよ、バカだから」
そうか、知っていたのか。でも——
「だから、お兄ちゃんもしかして何かミスして悪い人達に……」
「沙保」
深矢はたまらなくなって、沙保の唇に人差し指を当てていた。「それ以上は言っちゃいけない」
深矢が言い聞かせると、沙保は笑顔を崩して泣きそうな表情を見せた。
「…………なんで?」
知りたいのに、分かるのに、言ってはいけない。
そのもどかしさは誰よりも分かるつもりだ。
深矢は直視できなくて、目を伏せながら手を沙保の頭に移動させる。
「……俺たちがやってたことは関係ないよ。お前の兄貴は本当に……ただ、運が悪かっただけなんだ」
嘘だ。
こんな、保身のためだけの嘘なんて吐いて、一体誰が救われるのだろう。
「……俺の所為にできたらいいのにな」
だが、真実を言ったところで生まれるのは深矢に対する恨みだけ。恨まれて満足するのも深矢だけだ。沙保の憎しみに満ちた表情なんて、圭は見たくないだろう。
嘘は時に人を救うのだ、皮肉なことに。
深矢の手の下で、沙保が静かに啜り泣いた。
圭の代わりに、深矢が沙保にしてやれること。それがあるとするならば——
天を仰ぐように顔を上げる。その途中で、葬儀場の窓から前の通りが見下ろせた。
反対車線に一台の黒塗りの車が停車する。どこかで見覚えのあるそれから出てきたのは、今最も憎い人間だった。
それはサングラス越しに葬儀場を見上げ、ニヤリと気味悪く笑った。
思わず沙保の頭に乗せた手に力が入る。
「……陽一くん?」
何かに気付いた沙保が、不安げに深矢を見上げる。深矢は咄嗟に安心させるよう、穏やかな笑みを浮かべた。
「俺と圭が秘密でやってたことは、誰にも言わないであげて。圭が隠してたのは、沙保を守りたかったからなんだ」
——今度は俺がこの子を守る。それが圭の代わりであり、償いだ。
「ほら、そろそろ戻りな。兄貴を笑顔で見送ってやるんだ」
深矢は決心し、沙保に背中を向けた。窓の外を一瞥し急ぎ足で階段を駆け下りた。
車に寄りかかって悠然と煙草を蒸す松永は、まるで深矢を待っているかのようだった。
深矢は脇目も振らず松永に近付き、向こうが深矢に気付く前にその胸ぐらを掴み上げた。
松永はワンテンポ遅れて驚いた顔をし、憎たらしく口元を歪める。
「これは偶然だな。新しい協力者とは上手くやっているのか?」
「お前、どうして圭を巻き込んだ」
貿易会社と武器商人の取引に圭を向かわせるため、沙保を使って脅したのは松永の仕組んだことだ。
「はて、何のことだろうな……おっとそうだ、この度はお悔やみ申し上げるよ。奥本圭くん、だったかな?実際に会うことはなかったが、実に良い子だったよ。残念だ」
そういう松永の声色は今にも声を上げて笑い出しそうだ。
襟元を掴む深矢の手に力が入る。
「彼はお前とは違う意味で扱い易かったね。ただやはりお前とは力の差が歴然としていた」
松永は失敗すると分かった上で圭を脅したのか。
深矢は本能的に辺りの状況を伺った。周囲の人気は少ない。見える所に団長のいる気配もない、つまり監視はない状況だ。
加えて松永のジャケットのポケットにはライターが入っているはず。それさえあれば、この男を殺すには十分だ。
深矢はそれだけを即座に考え、松永に詰め寄った。
「そもそも、取引のことはどこで知った?あいつ脅してまで、何がしたかった?」
それでもなお、松永は余裕を見せていた。
「元々今回の獲物はお前にやってもらうつもりだったんだよ。大きな仕事だからな。それが突然手を切ると言い出したもんだから、仕方なくお友達に手伝ってもらおうと思ったんだ」
「……あいつじゃなく、俺自身を脅せばよかっただろうが」
そう言うと、憐れみのような目をされた。
「簡単なことだ。こうするのが一番効くだろう?」
数日後に突然死なれちゃ、もうこの手は使えないがな。
呟きのように付け足された言葉に、深矢は殺意がこみ上げるのをはっきりと感じた。
自分の不甲斐なさも自己嫌悪も、松永に対する憎しみも怒りも全てひっくるめて、この男を殺したい。
思った次の瞬間には、深矢の左手は松永のジャケットのポケットの中でライターを掠めていた。
「うちの拝島は優秀でね。そういうことに聡いんだ」
そうと知らずにニヤリと笑う松永の首元にライターを近付ける——
謹慎どころじゃなくなるぞ。
松永の肩越し、車のサイドミラーに映った男の口が、そう動いた。
視界の焦点外からの忠告。しかしそれは意思に反して、ブレーキのように深矢の動きを止まらせた。あとコンマ三秒遅かったら、目の前の憎き男は悲鳴を上げていただろうに。
「…………チッ」
せめてでも松永をぶん殴りたい衝動を抑え込みながら、深矢は舌打ちを零して松永の襟元を乱暴に離した。
松永はよろめき背後の自車に片手をついたが、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
「君は少し、我々を舐めていたようだな」
——いつかその言葉、そっくりそのまま返してやる。
「……二度と俺の周辺に現れるな」
掠め取った左手を押し留めながら、深矢は松永を睨みつけた。
誰も見ていなかったら、ここでこいつを殺すのに。いつかは絶対に——
「まぁ、いい仕事が来たら連絡させてもらうよ」
勝ち誇ったように、松永が憐れな少年を嘲笑い、車の中に姿を消す。
深矢はその後姿を睨みながら、何故か恐ろしいほどに頭が冴えていくのを感じていた。
自己嫌悪や後悔、不甲斐なさに怒り。そういった蠢く感情は引潮のように引いていき、静けさだけが残される。
まるで人格が変わるように。
ずっと眠っていた別の人間が呼び覚まされるように。
深矢はただ静かに、狙いを定めるかのように、小さくなる松永の乗った車を見据えていた。
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