お前を助ける余裕くらいあるⅢ
波止場の方は騒がしかった。さっきよりも人が増えているようだった。それがみんな消えたコソ泥を血眼になって探していると思うと背筋に悪寒が走る。その中に紛れて船に近付くのも無理そうだ。となると——
「海から船に近付こう」
陽一は倉庫の裏で声を潜めた。
「船に乗り込んだら、圭は船を停めてる縄を外すんだ。俺が操縦する」
「海からって……潜るのか?」
圭は思わず目下の黒い海を見つめた。この倉庫の裏からあの船まで息継ぎ無しで潜るのは正直厳しい。
陽一はそれを汲み取ったように、小さく笑みを浮かべて圭の足元を指差した。
「そのバケツなんか使えるんじゃないか。黒くて紛れやすいし、一見すればただの漂流物だ」
圭のすぐ側にあった黒いバケツ。手に取ってみると潮風に長い間晒されてベタついていた。
「陸であれだけ騒いでるんだ、海に浮いてるバケツなんて誰も気に留めないよ」
陽一の言うことももっともだが、圭の気はあまり進まなかった。これに頭を突っ込んだら明らかに臭そうだからだ。
「よっちはどうすんだ?」
圭は意を決した頃には既に、陽一は海に飛び込もうとしていた。
「俺?俺はいらない。それ臭そうだしな」
そう言って飛び込み、浮かび上がってきた陽一は前髪をかきあげ、得意気な笑みを浮かべた。「行こう」
こんな時、陽一は一体何者なんだろうと不思議になる。思いもよらない発想をするし、常人にはできないことをあっさりとやってのけるのだ。
陽一は一体、どこでそんな知識と能力を身につけたのだろう。とても同じ義務教育を受けてきたようには思えないのだった。
「このロープを握ってろ。船に近付いたら俺がこれを引く。それが合図だ」
陽一の指示通り、圭はバケツを被り精一杯漂流物のフリをしながら陽一の腰に括られた手綱を辿った。
バケツの中はやはり異臭が篭っていて、それはそれで窒息死しそうだった。気を紛らせるよう、外の音に耳を傾ける。音が篭る所為なのか、波止場の騒ぎはさっきよりも大きくなっている気がした。
しばらくして異臭に圭の頭がクラクラしてきた時、手元のロープを握る感覚が変わった。張られていた糸が切れたように、引く感触がなくなったのだ。
おかしいな、と不安が過る。
しかし直ぐにバケツを軽く叩かれた。
陽一に近付いたから、ロープが緩んだらしい。
そう考えた圭はバケツから顔を出した——その瞬間。
何者かに腕を掴まれて凄まじい力で水中から引っこ抜かれたかと思うと、硬い床の上にねじ伏せられた。
「ぃいってぇーー!!!!離せ!離せ!」
貿易会社の奴ら見つかったかと思って暴れまわるも全く身動きが取れず、もがくようにして顔だけ前に向けると。
「……よっち?」
船に乗り上がろうとする陽一と、その正面に立ちはだかるように陽一を見下ろす男が睨み合っていた。男の顔は暗くてはっきりとは見えなかったが、誰かによく似ていた。あれは、そう——最近店によく来て、チキンカレーを毎回頼む大学生だ。
「……え、なんで……?」
何が起きているのかは分からない。けど、とにかくヤバイ雰囲気なことだけは分かる。そして何か見てはいけないものを見ている、ということも。
圭が混乱している間に、男は冷淡な表情をして手に持っているものを陽一の額に向ける——拳銃だった。
それを睨み上げる陽一の顔にはいつもの優しさの隠れたクールな表情は面影もなく、見たことないくらいの、別人のような険しく鋭い目をしていた。
息が詰まるような張り詰めた空気の中、男が陽一に向かって宣告する。
「深矢、どうしてお前が大金を横取りしようとしてんのか……説明してくれるよな」
しんや。男は確かに陽一をそう呼んだ。
——誰のことだ?よっちは田嶋陽一だ。しんやって一体……どこかで使った偽名とか?
「任務途中放棄までして、タダで済むと思うなよ」
任務。途中放棄。まるでついさっきまで陽一とこの男が一緒にいたような言い草だ。
けど——
その時、圭は混乱する頭で一つ疑問を思い当たった。
どうしてよっちは、オレがここにいることを知っていたんだ?
一つ浮かぶと、連鎖するように疑問が浮かんできた。
ここに来る前、よっちはこの男と一緒にいたのか?
そもそも、この男とよっちは知り合いだったのか?だから最近よく店に来てたのか?でも会話してるとこなんて見たことがない。一体どんな関係なんだ……?
疑問が浮かぶ度、不安が増していく。
陽一は男を睨み上げたまま何も言わない。
それが余計に圭を不安にさせた。
「……よっち、どういうこと?任務って、なんのこと……?」
振り絞った自分の声は驚くほど弱々しかった。
陽一に、大丈夫だよと笑って欲しかった。
「任務って、そんな、スパイみたいな……」
冗談のつもりで言ったら、陽一が傷付いたような、怯えたような目で圭を振り向く。圭の知る陽一はそんな顔をしない。
目の前に居るのは本当によっちなのか……?
「一般人まで巻きこみやがって」
そう男が吐き捨て、こちらを向き自分を押さえ込んでいる人物に目配せをした。
同時に後頭部に強い衝撃が走り、目の前が真っ暗になった。
暗闇の中で、男の声がなぜか圭の脳に重く響いていた——
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