お前を助ける余裕くらいあるⅡ
それは五日前、陽一に「盗みをやめる」と打ち明けられた直後の話だった。
「君が奥本圭くん……田嶋陽一の協力者、だな?」
そう威圧的に話しかけてきたのは、松永組の男だった。
男は一枚の写真を圭の目の前でひらつかせた。
圭はそれに大きく目を見開く。
「頼みごとがある。聞いてもらえるな?」
その写真の持つ意味を聞かなければ分からないほど馬鹿でもなかった。
圭には頷く以外の選択肢はなかった。
しかし——
無理に決まっていたのだ。一人での仕事なんて。
今までは陽一の仕事を手伝っていたようなものなのだから。
一人で盗みなんて、できるわけがなかった——
圭は己の無力さに唇を噛み締めた。いくら後悔してもどうしようもなかった。手足をパイプ椅子に縛り付けられ身動きが全く取れない状態だ。
目の前では貿易会社の社長とかいう男とその秘書の女、そして中国人の武器商人らしき男が何やら取引をしている。
松永組の男に命令されたのは、この貿易会社と武器商人との取引の大金を横取りしろというものだった。
しかし素人当然の圭に上手くできるはずもなく、こうして見つかり、取引が行われている倉庫で縛り上げられて取引を指をくわえて眺めている状況だ。
こうなることは薄々分かっていた。だから陽一に相談しようかとも迷ったが——沙保のことを考えたらできなかった。
社長の男が中国人に紙を渡し、中国人がそれに書き込む。
「取引成立だな」
社長の言葉を秘書の女が訳し、中国人が笑顔で頷いた。そして三人の目が同時に圭を向く。
「……さて、このコソ泥はどうするかな」
冷たい目に、圭の背筋が凍った。恐怖で足が震えている。よっち、俺は一体どうなるんだ……?
中国人がニヤリと笑って何か喋った。
「持ち帰って人売りに売る?確かに、若い日本人は売れそうだな」
二人揃って笑い声を上げた時、外から手下のような男が一人入ってきた。
「……社長、荷積と代金の確認をお願いします」
手下の進言に社長は頷き、秘書と共に倉庫から出て行った。中国人と圭だけが残される。
すると突然、中国人が圭に近付き荒々しくその胸ぐらを掴んで凄んだ。「……ドコデ、コノコト、知ッタ」
只ならぬ雰囲気に圭は怯んで何も言えなかったが、中国人の表情は、怒りというより恐怖が混じっているようだった。
「奴ラカ……?脅シ、ナノカ?……答エロ!」
訳も分からず至近距離で怒鳴られ、圭は縮み上がる。とにかく首を振って否定する。しかし中国人は収まらなかった。
「脅シ!アナタ、奴ラノ仲間ネ!裏切ッタカラ、ワタシ殺ストネ!」
何を叫んでいるのかも分からなかった。必死に首を振るも中国人には伝わらず、狂ったように中国人は腰元からナイフを取り出した。
「殺ラレル前ニ殺ル、コレ世界ノ常識ネ!」
ナイフが振り上げられる。天井の照明に反射して白く光り、圭は恐怖で目を固く瞑り——
刺される。そう思ったと同時にバチン、と大きな音がして、すぐ近くで呻き声、続いて倒れる音がした。
薄っすらと目を開けると倉庫内は暗くなっていて、目の前の中国人の姿がなかった。何事かと思っている内に手足の拘束が解かれ、腕を強い力で引っ張られた。「走れ!」
一声だけで誰か分かった。暗闇に目が慣れる頃には倉庫外に出ていて、その姿が月光に照らされる。
「よっち……」
安心で涙ぐんだ圭の声は気に留めず、陽一は腰のベルトを弄りながら圭に手を差し伸べた。「捕まれ」
そして陽一の腕を掴むと同時に足が地上を離れ、気がつくと倉庫の屋根上に辿り着いていた。
何がどうなったか状況を把握するより早く右頬を強い痛みが走り、そして胸ぐらを掴まれた。
「お前こんなとこで何してる!」
陽一に殴られたと理解するのに数秒かかった。
「あともう少しで殺されるところだったんだぞ!」
陽一に怒鳴られるのは初めてのことだった。その迫力に圧倒され何も言えずにいると、陽一は小さくごめんと呟いて手を離した。
痛い沈黙が二人の間に漂う。地上では突然消えた圭の姿に騒ぎ始めていた。その喧騒も遠くのことに感じる。
しばらくして圭に湧き上がってきた感情は、怒りだった。
「……よっちだよ」
ん?と怪訝な顔をする陽一に、圭は顔を歪める。
「元はと言えばよっちが!仕事やめるなんて言うから!だから松永のおっさんが、オレに……ッ、無茶なこと……ッ!」
今度は圭が陽一に掴みかかる番だった。
「よっち、オレを松永のおっさんから守ることくらい出来るって言ったよな?!それくらい出来るって!どういうことだよ!このままじゃ、これじゃ……沙保が……ッ」
沙保、と聞いて陽一の表情が変わった。焦ったようにどういうことだ、と圭に尋ねる。
あの時松永組の男に見せられた写真は、沙保の隠し撮りのものだったのだ。
圭は一から事の全てを陽一に話した。
「言うこと聞かないと沙保がどうなるか……!あの金どうにかして手に入れないと……ッ」
話す間に、陽一の表情がみるみるうちに焦りと困惑と怒りの混ざったものに変わっていくのが分かった。普段感情を露わにしない陽一がここまで複雑な表情をしているのを見て、圭は段々と事の重大さを実感し、さっきとは違う恐怖が迫り上がってきた。
「……どうしようよっち……沙保が……」
もやは泣き付くように陽一にすがる。陽一は暫くの間考え込んでいたが、決心したように一息吐くと圭に向かってぎごちなく笑って見せた。
「沙保には絶対に触れされない」
その笑顔はいつもとは違ったが、いつも以上に力強い目をしていた。
「……俺のツケだからな。俺がカタをつける」
そう呟いて立ち上がると、地上を見渡し海の方を指した。「あの船は何だ?」
圭も立ち上がり、指された方を覗き込む。
「あれは中国人の船。もう積荷は終わったって言ってたから、多分積んであるのは金だと思う」
「つまり、あの船を奪えばいいってことだな」
不敵な笑みを浮かべてもう一度陽一は辺りを見渡す。よし、と呟くと圭を振り向いた。
「圭はここにいろ。きっとここなら見つからない」
「いや、オレも行く」
こうなったのは自分の責任でもある。全てを陽一に背負わせるのは違う気がした。
やめとけ、と目で訴える陽一を真っ直ぐに見つめて言うと、観念したように陽一は小さく笑った。
「分かった、二人でいこう……ただし、言うことは守れよ?」
「オレ、よっちの言う通りにしなかったことなんてあったっけ?」
言い返したら、やっと陽一はいつものように優しく笑ってくれた。
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