お前を助ける余裕くらいある

「来ないかと思った」


 待ち合わせ場所である港近くの公園に着くと、遊具の陰から茜が姿を現した。黒に統一された服装は夜の暗がりにお似合いだ。


「せっかく査問が終わったんだ。こんなイベントに来ないでどうする?」


 対する深矢も夜の闇に紛れるように黒い服装に身を包んでいた。いつも仕事をする時と同じ格好だ。

 貿易会社TCCの本社に潜入する——人様のプライベートを盗み取るにはいい夜だった。


 茜が手に持っていたインカムを投げて寄越した。「あいつは先に行って待機してる」

「……ずいぶんと古い機種だな」

「構成員じゃないから正規ルートじゃ手に入らないんだと」

『科学技術部に行った同期に頼んだんだ……茜、』


 耳に着けるなり海斗の声が聞こえる。茜と呼んだ声は昨日のことを気にして少し不安そうだった。

 んだよ、と茜がぶっきらぼうに応える。その反応に海斗は安心したようだった。


『いや、何でもない』

「用無いなら切るぞ」

 返事が来る前に通信を切る。


 そんじゃあ行くか、と茜は意味あり気に笑って見せた。

「お手並み拝見といこう」

「お手柔らかに頼み……」

 深矢がそう答えようとした瞬間だった。


 視界を見慣れたシルエットが横切った。深矢はその長身に目を疑い——咄嗟に近くの遊具に身を隠す。


「……あれ、友達じゃん。奥本圭だっけ」


 公園の外を圭が下を向いて歩いていた。その表情はどこか思いつめたようなもので、いつもの明るい圭とは様子が違う。圭は突然足を止めたかと思うと、何かにすがるようにスマホを取り出した。


「あいつ何してんだ」

 深矢の疑問に答えるようにポケットの中でスマホが震える。『よっち、今ひま?』と短く書かれたメールに、どこか切実さを感じた。


「何か知らないけど、気付かれる前に行くぞ」


 茜がその文面を見て呆れたように言い、圭のいる反対側へと歩き出す。あぁ、と深矢は返しながらケータイをしまった。返信するわけにもいかなかった。


 大学の友達と飲んだ帰りだろうか。でもどうしてこんな家からも大学からも遠い場所を、こんな夜更けに一人で歩いてるんだ?


 深矢は圭の物憂気な様子に後ろ髪を引かれながらTCC本社へと向かった。


 ***


 二人が会社に着いたのと同時に、地下の駐車場から一台の車が出てきた。ビルの明かりが全て消えているのを見ると、今出て行ったのが最後の社員だろう。

 正面エントランスには当然のように監視カメラがあり、警備員も常駐していて入るには社員カードのスキャンが必要だった。

 正面からの浸入は難しいと判断し、裏口に回る。裏口の扉の横には暗証番号リーダーがあった。迷わずそれにUSBを差し込む。


「海斗、解除頼んだ」

『ちょっと待ってろ……分かった、4325だ』

「了解」

 言われた番号を入力し、開いた扉にスルリと入る。

「私が警備室に行く。あんたは上行きな」

「大役をどうも」


 茜が天井の通気口に入り込むのを手伝ってから、深矢は最上階へと階段を上る。監視カメラの差し替えは茜がやってくれるはずだ。

 最上階の5階へ辿り着き、一番奥の部屋へ一直線に進む。社長室の前まで来ると手袋をはめてドアノブを握る。「……やっぱり鍵は掛かってるよな」

「茜、社長室の解鍵頼む」

『はいよ』


 取引日は来週の今日だと社長秘書のメールには記されていた。それまでに取引を止めさせるような事件を起こすのが最善策ベターだ。


 カチャリと音がして扉が開き、深矢は社長室に音もなく入り込む。整然とした室内の中、デスクの後ろに金庫が置かれているのが見えた。まずはあそこだ。深矢は正面に置かれたデスクに回り込み、その金庫の前にしゃがみ込む。


 このタイプの金庫破りなどお手の物だ。


 深矢は得意気な笑みを浮かべながら金庫に耳を当てながらつまみを回し、難なく金庫を開けた。金庫内は三段構造になっていて、下二段にはそれぞれ大判の封筒が一つずつ置いてある。中身を開けて見るが、どちらも経営に関する書類で取引とは関係なさそうだった(会社の経営は右肩上がりらしい)。

 ここじゃないとなると——


 深矢は顎に手を当て後ろを振り向く。社長のデスクに近付いて引き出しを下から順に開けていき、中を確認するがやはり取引に関係ありそうなものは見当たらない。そして一番上の引き出しについた鍵穴を指でなぞる。


 残るはここだろう。


 引き出しの前に座りこみ、ジャケットの胸ポケットから小さなケースを取り出す。その中から細い針金を二本抜き取り鍵穴に差し込むこと五秒。カチリと心地よい音がして開く。


 勢いよく開けると分厚い書類の束が覗き、奥からハンコが転がってきた。その書類も取引には関係なさそうだったが、手を入れて漁ると見た目より奥行きが狭かった。違和感を覚え、中身を取り出してもう一度手を入れれば、簡単に仕切り板がずれ、奥からボールペンが転がってきた。


 よくある多色ボールペンだが、普通というにはだいぶ太い。何となくそれを引っ張ってみると、スポッという音と共に頭の部分が抜け、USBメモリが現れた——これだ。


 深矢は舌舐めずりをし、すぐさまパソコンを立ち上げた。ここまでの細工をしてあるのだ。これに違いない。


 それを待つ間、デスク上にあった付箋が目に付いた。指で表面をなぞると、その上のメモの筆圧で凸凹しているのが分かった。気になってペン立てにあった鉛筆で薄く付箋を塗り潰せば、そこには今日の日付と時刻、そして会社近くの港の名前が浮かび上がった。時刻は二十四時——十五分前のことだ。


 その時突然、深矢の脳内を一閃の光が駆けた。


 メモに記された日にちは今日。

取引は来週の今日。

金庫内の何も無かった三段目。

ここに来る時駐車場から出てきた一台の車。

向かった方向は港だった——


 嫌な予感だ。

 立ち上がったパソコンにUSBを差し込みファイルを開く。


「……ッ、クソ!メールはフェイクか!」

 そこには武器商人との取引の概要が事細かに記されていた。取引予定日の欄は今日の日付だ。


「緊急事態だ!メールはフェイクだった、取引は——」

 今日だ、とインカムに叫ぶ前に深矢の脳裏にもう一つシルエットが浮かんだ。


 物憂気な圭の姿である。

 確信的なものは何も無い。ただの直感だ。

 だが、圭が関わっている気がしてならなかった。


『取引がどうした?』


 海斗の緊迫した声など深矢の耳には入っていなかった。

 急げ。

 言い聞かせると同時に、深矢はインカムを投げ捨てて社長室を飛び出した。

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