隠すべき事、取り憑く噂Ⅲ
茜が事務室を出て行って数分間、海斗は呆然と扉を見つめていたが、もう一度ドアノブが捻られるのを見て意識を取り戻したように正面を向いた。茜が戻ってきた——と思った海斗は扉の方をさり気なく向き、驚愕することになる。
「……深矢?!」
深矢は突然のその反応に驚いた。
「何だよその驚き様は」
「だってお前……査問は?!」
「あぁ、終わった。今回は不問だとさ」
「……こんな早くにか?」
海斗の表情が驚きから疑念へと変わる。話がいつものパターンに陥りそうなのを察して、深矢は海斗が話し出す前に話題を変えた。
「今茜とすれ違ったけど、あいつと何かあったの?」
ついさっき廊下ですれ違った茜は、苛立った様子で「あいつ気持ち悪いんだけど、どうにかしてくんない?」と親指で事務室の方向を指していた。
すると海斗の表情に影が差した。思い付きで振った話題だが海斗の気を逸らすには十分だったらしい。
「いや、地雷は踏んでないんだけどな……」
茜の辛辣な態度に相当精神的なダメージを食らっているようだ。海斗は茜のそういう態度には敏感で、昔から神経を尖らせている。査問委員会の件について聞かれたくない深矢には好都合だった。
「茜はまだあの地雷を抱えてるのか」
海斗が珍しく落ち込んだ様子で頷いた。
茜の地雷——それは、茜を『女扱い』することだ。
心身共に男よりずっと強く崇高なプライドを持つ茜は、女扱いされることを極端に嫌う。男に背中で守られることも、レディファーストなんて概念も茜にとってはくそくらえだった。むしろそれを不必要とするが故の『強さ』である。
女が男に甘える恋愛なんて以ての外だ。だから——そんな奴に想いを寄せている海斗は不憫な奴だ。
「こんな忙しい時に口聞いてくれなくなるのは困るんだよな……」
海斗が茜の機嫌を損ねて数日間口を聞いてくれなくなるのを、何回か見たことがある。それに真剣に落ち込む海斗が見れるのは茜と何かあった時と相場が決まっていた。それもこれも青嶋の中等部での話だ。三年経った今でもその様子は変わっていなかったらしい。今も昔も、海斗の弱点は茜だ。
「お前も茜も、相変わらずなんだな」
深矢がポツリと他意無しに言うと、海斗が物凄い形相で睨んできた。揶揄うな、とその顔に書いてある。そんなつもりはない。
「……お前が地雷踏んでないと思うならそうなんじゃないのか?」
深矢はそう宥めながら、部屋の隅の机に向かった。そこには小さな段ボール箱が置いてある。深矢はそれを開け、中身を確かめた。査問委員会の前に回収された深矢の荷物だ。
「……あぁそれ、やっぱり深矢のか。朱本さんが置いてったよ。必死になって団長のこと探しながら」
おそらく中々招集に応じない団長を探し回っていたのだろう。青筋を浮かべながら走り回る朱本の姿は安易に想像できた。
そういえば、と深矢は手荷物をポケットにしまいながら先ほど団長に言われたことを思い出した。
「団長、出張するっつってたな」
「出張?ずいぶんと急だな。店はどうするんだよ?」
「しばらく休業。悪いな、チキンカレーは当分食えないよ」
オーナーが組織の人間だと知る前にも、店が突然休業になることは偶にあった。理由は様々だ。オーナーが風邪を引いただとか、旅行に行ってくるだとか。今思えば、あれは全て任務の関係だったのかもしれない。
深矢が頭に団長の謎めいた笑顔を浮かべたその脇で、海斗が目を光らせた。
「それじゃあ深矢お前、今日これから何するんだ?」
やっぱりこの話になるか——深矢は内心ため息を吐き、軽く笑って見せた。
「何するって言ってもな……査問委員会のお陰で周りの視線が痛いし、目立たないように大人しくしてるつもりだよ」
「そりゃあ見ものだな」
そう挑発的に言った海斗の手元に、小さな携帯端末が覗いた。直感的に、査問委員会の直前、金属探知機に引っかかった盗聴器の親機だと確信する。
あいつ気持ち悪いんだけど——茜がそう言う理由も分かる気がした。
けど、俺にだってどうにもできねぇよ。
海斗の盲目なまでに真っ直ぐな視線に背中を向けながら、心の中で独りごちた。
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