第2章
ストーカーならお好きにどうぞ
SIGに戻って
それは深矢にとって、追い求めていた真実への一番の近道ーーだと思っていた。
上手い話には裏がある、とはよく言ったものだ。
本部での内勤の仕事ならば隙を見て情報が拾える計算だったのだが。
一度蓋を開ければ工作本部に配属で狙ったかのように任務が入り忙しく、それに加えて正式な構成員以外はデータベースにアクセスできないという。
「とんだ狸じゃないかあのクソ教師……」
深矢は自室のノートパソコンの前で目元に腕を乗せため息を吐いた。その手には、先日蔵元からもらったメモの写しが握られている。
あれからもう何度も、穴が開くほどその紙を睨んでいる。しかしいくら睨んでもそこにあるのは五文字のカタカナで変わることはない。それがSIG内の
カメレオン。自分の身体の色を様々に変え身を隠すことで有名な爬虫類である。
そしてあの事件時、深矢と由奈の候補生二人を含めた特別任務班の班長だった男のコードネームだ。短気で気が変わりやすく、それでいて周囲に溶け込むのが得意な男だったと記憶している。
顔もうっすらとだが覚えている。会えば分かるはずだ。
問題はどうやって接触するかということ。
データベースに入り込めれば話は簡単なのだがそうもいかない。
「どうするかな……」
そして、深矢の抱える問題はそれだけではなかった。
目下の問題は三つ。青嶋学園長暗殺事件の犯人探しは優先順位でいえば二つ目だ。
一つ目はもちろん昨日言い渡された任務である。個人的なものではなく梟の任務であるから、優先しなければならないのだ。つまり本来の目的が犯人探しである深矢にとっては邪魔でしかない。
しかし幸運なことに、この問題は順調に解決へ向かっていた。目の前のノートパソコンに映るのは今回の
だからこの問題はひとまず置いておくとして——次は?
深矢は椅子の上で天を仰いだ。イマイチ頭の回転がよくない。
視線だけを動かしてパソコンの脇、出窓に置いてある電波時計を見やると、ちょうど十三時十分と表示が変わったところだった。普段なら店のランチタイムで忙しく働いている時間だが今日は定休日だった。
焦点はもっと近くなり、電波時計の前に置かれたカラフルなパンフレットに視線は移る。旅行会社のパンフレットだ。ハワイ、上海、イギリスなど、定番の場所が五冊。
……圭のやつ、今度は海外行きたいつってたっけ。
カーテンの隙間から差すのどかな日光のせいだろうか、ぼんやりと思考が遅くなる。
思えば、ここ二日間は目まぐるしかった。店に突然青嶋の教師が現れ、SIGへ戻ることになり、その反動で圭や松永組とは縁を切ることになった。松永には話をつけたが、圭にはまだ話せていない。どう切り出したらいいものか、まだ迷いがあった。
自分が
圭に話を切り出すのはそれが片付いてからでも遅くはないだろう。この考えもさほど甘くはないはず——これが優先順位でいう三番目の問題だった。
***
そんな風に考えを巡らせながら旅行のパンフレットに手を伸ばした時、ふと外の砂利道を誰かが通る足音が聞こえた。同時にインターホンが鳴らされる。深矢は咄嗟に左手に握っていたメモを枕の下に隠した。
ドアを薄く開けて来訪者を確認する。そこから見えたのは見慣れた黒髪と制服だった。
「お兄ちゃんいますか?」
くりっとした瞳の童顔に見上げられ、自然と頬が緩んだ。
「よう。圭なら大学行ってるんじゃなかったか?」
そう返しながら部屋に通そうとドアを開く。いつ誰が訪問して来ても怪しまれないよう、仕事関連の道具は全てトランクルームに置いてある。
しかしその少女——圭の妹の沙保は小さく首を横にふった。
「お兄ちゃんの忘れ物持ってきただけだからここで平気。今日は陽一くん家に泊まるって言ってたから居るかなって思ったんですけど……」
圭は頻繁に陽一の部屋に泊まりにくる。最初は裏仕事の打ち合わせの時だけだったが、次第に家族と喧嘩した時やそれ以外でも何となく泊まるようになった。
「それは初耳だな。喧嘩でもした?」
「してないと思うけどな……それよりお兄ちゃん何時くらいに帰ってくるか分かりますか?」
「三時には終わるって言ってたかな」
何の気無しに答えると、沙保はなぜかむくれた。
「何で家族よりも陽一くんの方がお兄ちゃんの予定詳しいのかなぁ」
むくれるとその童顔は余計に幼くなる。
その視線が部屋の中に向いたので深矢はさりげなく遮るように腕を動かした。この子は圭と違って勘が鋭い。そんな気がしていた。
「そもそもあの難関大で二年生してるのが奇跡だと思うんですけど。陽一くんの方が頭良さそうなのに」
「俺は大学なんて行く気なかったからさ。沙保の方こそ学校は?」
「今日は模試で午前終わりなんです」
「へぇ、それじゃ一旦帰ってそれからデートか?」
からかうと、沙保は違いますよッ、と少し怒って唇を尖らせた。
いてもおかしくはないけどな、と心で付け足す。そして、いたらいたで圭が不機嫌になりそうだけど、とも。圭が四つ年下の妹を溺愛しているのはよく知っている。
「これ、お兄ちゃんに渡しといてください!」
これ以上からかわれまいと思ったのか、沙保は小さな紙袋を深矢に突き出すと踵を返した。
「あ、沙保!ちょっと待って」
帰ろうとする沙保を呼び止め、部屋に戻って最低限の物——財布とケータイ、旅行のパンフレットは迷ったが一応紙袋に入れた——を身につける。
ちょうど大学へ行く用事があった。
今行かないと、ズルズルと後に引きずってしまいそうな用事だ。早めに片付けたかった。
部屋を出ると、階段の下で沙保がケータイを見ているところだった。
一瞬、下を向いた表情が柔らかな笑顔になる。
圭とのやりとりだろう。
根拠はないが、そんな気がした。
「ごめん、お待たせ」
深矢が声を掛けると、沙保はサッとケータイをしまった。
「今の、圭?」
イタズラ半分に聞けば、沙保は照れたように頷いた。
良い兄妹だよな、と思うのはいつものことだ。自分の場合はあんなに——と置き換えようとして止めた。深矢にも年の離れた兄がいるが、そもそもの前提が違う。
圭と沙保は一般人だ。深矢のところとは天と地の差がある。
だがあの兄妹が一般人だとしてもあれだけ仲が良いのは珍しいだろう。
圭は沙保を溺愛しているが、沙保も沙保でよほど圭に懐いているに違いない。言わないだけで。
この兄妹の絆は、三年間もっとも身近にいた深矢(陽一)が一番よく分かっている。
呆れたように、でも楽しそうに兄のことを話す沙保を、気付けば深矢は至極おだやかな目で見つめていた。
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