三年 Ⅲ


 裏仕事があると雖も、陽一フリーターの生活の中心にあるものは、言わずもがなアルバイトだ。

 松永の手下から大金の報酬を貰ったその日でも、何食わぬ顔で働かねばならない。


 陽一は個人経営のこじんまりとしたカレー屋で働いている。店員は陽一と圭と、あとは店長だけ。

 駅を挟んだ反対側に大学があることからそれなりに店は繁盛していて、繁忙時はそれなりに忙しい。


 つまり人手が足りていないのだ。


 その日も夜シフトは陽一と店長だけだった。

 だからいつも通り、開店時間の一時間前に店に入り一人で開店準備を進めていた。


 しかしその日はいつもと違った。


 五時の開店まで三十分となった頃のことだ。

 表の扉が、カランカランと音を立てて開いた——表の扉?


 咄嗟に拭いていたテーブルの下にしゃがんで隠れる。


 店長は裏口から入るし、表の扉にかかった『closed』と書かれた看板を無視する客はそういない。


 それに何より、表の鍵はまだ開けていなかったはず。


 つまり——

「おい、そこの店員。騒いだら撃つぞ」

 ——侵入者だ。


 覆面の男が二人。一人がこちらに銃を向け、ナイフを携えたもう一人が入口近くのレジに立っている。

 強盗か。


「チッ、まだレジ開いてねぇよ……」

「おい店員、レジを開けろ。ゆっくり動けよ、撃つからな」


 声色からしてまだ若い。そして金庫でなくレジ金を狙う辺り、それも店員がいる時を狙うということは、こいつらは素人に近い強盗犯だ。


「おい、立て!」

 銃を持った方に荒々しく銃を突きつけられる。


 銃なんて、どこで手に入れたんだか。

 ……それにしても、運が悪い。


 善と悪は交互にやってくるというのはよく聞く話だ。


 仕方なく両手を挙げ、ゆっくりと立ち上がる。そして目の前に突きつけられた銃をまじまじと見つめる。


 ——こうされると、なんだか随分と気分になる。しかしこれはではない——


 頭の奥でそうボヤくのが聞こえ、思わず笑いが漏れた。


「何だ!早くしろ!」

 男が銃を急かすように突き出す。


 仮にでも発砲されたら大変な事になるため、大人しくレジに向かった。背後には銃を突きつけられている。


「……どうするかな」


 ここで、『強盗二人を素手で追い払いました』なんて言ったら店長に怪しまれるのは確実だ。それは避けたい。


 レジのお金を渡せばすぐ帰るだろうし、大人しくしておくか……?

 でも金を盗られたら店長は悲しむだろうし、最悪給料にも響くかもしれない……


「ハッ、通報だなんて考えるなよ?騒ぎでもした瞬間、お前の心臓に」

「いや、そうじゃなくて」

 ……仕方ない、か。

「あ?なんだって?」


 男が怪訝な顔をし隙を見せたその刹那、陽一は


 切り替えたような素早い動きで振り向き様に男の腕を払う。

 横一閃、男の手から拳銃が飛び離れ、男が唖然とする間にその頭をカウンターテーブルに叩きつけた。


 男が意識を失うと同時に、次の標的に的を定め後ろを振り向く。


「な……ッ?!」


 ナイフの男は何が起きたか把握出来てないようで、呆然と腰のナイフに手を伸ばしている。


 遅い。

 その速度は、陽一にしてみれば亀と同じだ。


 次の瞬間には、カウンターテーブルに手をつき、飛び越える勢いで陽一の右足は男の側頭部を蹴り飛ばしている。

 男はカウンターの向こうに雪崩れ込み、訳が分からないといった顔で目を回していた。


 弾みで倒れた白い紙ナフキンが、降参旗のように舞い降りた。


 その間、わずか五秒。

を受けていた身にしてみれば容易いワークだ。むしろ動きが鈍ったくらいである。


「な、なんだお前……き、聞いてないぞ……ッ!」

 頭を打ち付けた方の強盗が覚束ない足取りで、しかし焦りながらもう一人を引きずって店を出ていく。


 陽一はそれを至極冷徹な目で見送った。逃げられるだけいいと思えよ、などと毒吐きながら。

「さて。この後片付けをどうするか……」


 しかし一息吐く間も無く、陽一は背後のその気配に気付いた。


 応じようとするも相手の方が速く、何者かによって後頭部に拳銃を押し付けられ動きを封じられる。


 ……誰だ?


「三年経ってもそのスピードと反射神経は健在、ってな」

 さっきとは違い、渋さの濃い声色だ。四十、五十代といったところか。

「あんた、あの二人の引率者か?」

「おいおい、たかだか三年で忘れたとは言わせねぇぞ」


 男が笑い、横に一歩ずれる。その拍子に店の窓に男の姿が反射した。

 ボサボサの頭に無精髭。そして余裕をたたえた笑み。

 その風貌と雰囲気で分かる。この男は安物ではない。気になるのは、頬にある傷痕——


 この男を知っている。そう反応したのは頭の奥だった。


「……知らないな。人違いじゃないか?」


 しかしは知らない人物だ。

 そう言い聞かせるも、頭の奥では赤いランプが点灯し、逃げろと危険を訴えている。


 陽一は平然を取り繕いながら、瞬時に辺りに目を走らせた。


「おいおい。逃げ道ねぇこた、お前さんも分かってんだろうが……なぁ、秋本深矢」


 その名前に思わず体が反応してしまう。

 強盗を蹴散らす前に、ここから逃げるべきだったのだ。

 ……だが何を言ってももう遅い。


「久しぶりだなァ。意外と近い所にいたもんだ」

 男がニヤリと笑い、銃を下ろす。


 陽一は諦め、腹を括るように一息吐いた。そしてこの三年間一度も外すことのなかった仮面——田嶋陽一という名のそれ——を、静かに剥がした。

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