第1章

三年

 月日が経つのはあっという間のことで、気が付けば青嶋学園を抜け出してから三年が経っていた。


 高校一年になりたてだったのが、今では高校を卒業しフリーターという身分だ。

 そしてもう一つ変わったこと。

 もう、自分は秋本深矢ではないということだ。


 田嶋陽一。青嶋学園を抜け出してから、ずっとそう名乗ってきた。


 普通の人間として、普通の高校に入り、数は少ないが友達もできた。地頭の良さからテストに悩むことはなかったが、目立たない程度に優秀な成績を残し、普通に卒業した。


 卒業後、大学にはいかず(各方面から勿体無いと言われたが)、高校時代からお世話になっているバイト先でほぼ毎日働いている。

そして現在——


 全速力で走っている。


 ***


 現在時刻は午前三時を過ぎたところ。

 真夜中のど真ん中だ。起きている人はまずいない。


 寝静まった街を、陽一は必死になって走っていた。

 大通りの騒々しさは全く無く、陽一の息遣いが夜空にこだましている。


 どうして走っているのか。それは陽一の背後五十メートルにある。

 それは陽一との距離を縮めたり伸ばしたりしながら、止まることなく陽一の後についている。


 つまり、追いかけられているのだ。


 狙いは恐らく、陽一の抱えるこの黒いポーチ。

 もしくは、他人の家に忍び込み金目のものを盗んだ『空き巣の現行犯』。


 そう、陽一は今晩、高級住宅街と言われる区域のとあるお宅に侵入し、家主が持つ記念金貨を頂いてきたのだ。


 平凡な日常を送る普通の男の子、田嶋陽一の裏の顔。それは泥棒だった——が、今は余裕がないため、詳しい話はまた今度。


 取り敢えず、追手を振り切ることが最重要課題だ。


 繁華街が見えたため、咄嗟に角を曲がり、店が立ち並ぶ細い道に入る。

 繁華街と雖も今は真夜中のため、恐ろしいまでに静まり返っていた。


 そんな細い路地裏をくねくねと曲がりながら、陽一は一つ疑問を抱えていた。


 追手は一体何者だ?


 警察ならば、既に応援が来て大事になっているはず。だとしたら、個人で雇われたボディガードか?それとも獲物を横取りしようとする同業者か?


 いずれにしても、今回の目標ターゲットは少々面倒らしい——と思ったところで、ふと変化に気付く。


 店裏の狭い小道に飛び入り、息を潜めて気配を探る。

 ……消えたか?


 恐る恐る物陰から通りに顔を出し、辺りを見渡す。周囲には誰もいなかった。


 どうやら追手は巻けたようだ。

 陽一はフッと安堵の息を洩らし、物陰から通りに出た——その途端。


「あ、いた!よっち!」


 聞きなれた声が、静寂の街に響いた。

 陽一は瞬時に声の主を認識し、振り向きざまに手持ちのポーチをその頭めがけて投げつけた。


「バカ!声がデカい!」


 イッテテ……とその男は額をさすりながら、えへへと笑ってみせた。


 ひょろりとした長身のその男は、名前を奥本圭という。陽一の数少ない友達であり、泥棒仲間パートナーだ。


「圭、追手は撒いてきたのか?」

「おう、多分な!よっちは?」

「俺は大丈夫」

「よかった!でも『尾けられてる』って言われた時はビビったー」


 圭は興奮覚めやらぬ、といった様子で両腕を掲げた。

その手にはそれぞれ黒いポーチが握られている。

片方は今しがた陽一が投げつけたものだ。


「それで圭、収穫物は?」


 聞くと、圭は自慢げにもう一つのポーチを開けて見せた。


「無事、目標達成だな」

 陽一が持っていたのはダミーで、盗んだ獲物は圭に持たせていたのだった。


「帰るか」

「走ったら腹減っちゃった。ラーメン屋とかないかな?」

「さすがにこの時間はないだろ」


 どうでもいいことを言い合いながら空を見上げると、下の方から明るくなり始めていた。


 ふと、三年前のあの日に見た同じような空を思い出し、胸元のネックレスを握りしめる。


 ——田嶋陽一に生まれ変わってから三年。陽一は『自分なりに普通』の生活を送っていた。


 三年前に抱えていた、あの鬱屈した怒りや恨みが消えたわけではない。

今でも時折思い出しては、あの理不尽を晴らしたくなる。


 しかし、秋本深矢に戻ることもない——が、あの事件の真相を知りたい気持ちはとても強い。


 陽一はこの三年間、心の奥底に静かな葛藤を抱えながら生きてきたのだった。

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