第11話 鉤月

—これは月の寮全ての鍵。開けたいと思えば開き、閉じたいと思えば鍵を掛けられる。…人の心さえも—


目を閉じた一瞬、あの日のクロ先生の言葉を思い出した。

そして、目を開けると私の前に扉が現れる。それが鉤月さんの心の扉だとわかった。両手で抱えられる程度の大きさのそれは、優しい光を纏っていて気軽に触れていけないような気がした。

だけど、私は手を伸ばす。その為の鍵だ。

願うように声に乗せる。

「…開いて」

鍵が外れる音がした。


 

「くっ…」

地べたに膝をついて崩れ落ちる。もはや反撃する力はない。

それ程遠くない場所に倒れた半身ともいえる片割れを見る。動かないのは気絶しているからなのか、それとも…

「…こんな…っ」

圧倒的な力だった。正直、油断していた。

「私の勝ちね」

こんな少女に負けるなんて。


 俺は刃の魔族。先祖に猫の血を持つからか、猫の姿になったり耳と尻尾が生えてはいるが、猫ではない。断じて。

片割れの盾の魔族と二人で一人…そう仲間内では子供扱いされているが、戦闘能力では一人前どころかそこらの大人よりは優れている。

その証明がしたくて、二人で人間界にきてみたらこうなった。


境界の土地にある学園には人間の魔女がいる。その魔女に頼めば人間界で生活できるらしい。

「素敵♪行ってみましょうよ!」

と、片割れが言うので真相を確かめに来てみたらその魔女はただの少女だった。

この人間を仕留めればその証明になるんじゃないか?安直にそう思った俺は隙を見て少女に襲いかかった。

秒殺、いや瞬殺だった。

惨めにうずくまる俺に近付きながら、少女はため息混じりに言う。

「奇襲を仕掛けたくせにこうもアッサリやられるとか…最近の新入りは礼儀がなっとらんと言うか、それ以前の問題ね」

「…!」

「まったく…ハイ!」

今まさに自分をこてんぱんにした少女は、あろうことか俺に手を差し出してきた。

「ほら、大丈夫?手当てしてあげるからウチにおいで」

「……ッ!!」

その困った様な優しげな笑顔に俺は一目で心を奪われた。彼女の名前は、月白 観月つきしろ みつき。境界の土地を治める16代目の『月の魔女』。やがて彼女に名付けられ俺は『鉤月』、片割れは『九重』となる。

その邂逅、忘れられない記憶。


「マスター!」

スタスタと前を歩く少女に呼びかける。が、反応がない。

「…マスター、マスター観月!」

「あぁもう…うるさい!」

何回目かの『マスター』でようやく彼女は振り返ってくれた。…怒ってはいるが。

「なんなのよ、この前から!手当てしてやったんだからさっさと魔界に帰りなさいよ!そんでもう来んなし!」

「嫌です!俺は貴女の下僕になりたい!」

「要らないわよっ、間に合ってます!」 

確かに、彼女の周りには取り巻きらしき魔族がいる。それも上位クラスの魔族ばかり。しかもだいたい皆整った容姿をしている。

まさか、あれが全員彼女の下僕…?

俺は一瞬ひるんだが、負けじと食い下がった。

「…な、なら武器は?俺は刃のあるものになら、何にでも変化出来ますよ!片割れは防御に優れた盾になります」

「要らない。私、拳派だし」

取り付く島もない。ピシャリと即答され、俺は何も言えなくなる。

「…でも、防御特化はいいわね。女の子なのが気が引けるけど、それはそれで逆にアリか…?」

「え…?!(ガーン)」

それに加えて片割れの方に興味を持たれ、もはや打つ手無し。俺、終了のお知らせ。

「ぶっ…あははは!君、面白いねぇ!」

急に顔色を変えて焦りだした俺が面白かったのか、彼女は堪えきれず吹き出して笑った。

「は…?」

「いや、あんまりシツコイから適当にどっかに封印してやろうかと思ったけど、やっぱやめた!」

カラカラと笑いながらサラッと恐ろしい事を言う。やはり魔女というだけある。

「ねぇ、帰らないなら学園に通ってみる?何かやりたいことはあるの?」

「俺は貴女の下僕になりたい」

大真面目に即答してやった。彼女はその大きな瞳を丸くして俺を見つめた。それから、唸りながら考え込む。

「…でも本当にそれは要らないんだよなぁ…」

そこまで本気で拒否されると、さすがに傷つく。

やっぱり魔界に帰ろうか…と諦めかけた時、突然彼女が手を伸ばしてムギュッと俺の頭の上にある耳を掴んだ。

「ギニャ?!」

「えー?!本物?キミ、猫の魔族なの?」

至近距離に彼女の顔が近づく。キラキラとした目で俺を見る。やっと、目が合った。

「えっ?!いや、ちが…」

「そうかぁ〜!私、猫好きなんだよね!ねぇキミ、うちの猫になっちゃいなよ!」

「え…」

「寮生としては今すぐには無理だけど、猫としてなら大歓迎!」

心臓を鷲掴みにされたら、恐らくこんな感じなのだろうか。一呼吸が苦しくて、頭が真っ白だ。

ちょっと、情報の処理が追いつかない。

彼女は、今なんて…?

「どうする?猫としてここに住むか、魔界に帰るか…」


俺は、刃の魔族。猫ではない。断じて。


だけど…


『それでこの人の傍に居られるのなら』



「…嬉しそうですね」

無意識に言葉にトゲを感じた。自分で言ったくせに少し焦る。

かたや彼女の方は、特に気にしている訳でも無く更にその頬を緩ませる。

「そりゃあね〜って、キミ!また人型になって…」

「あの子が帰ったら猫に戻りますよ」

「ふふ…由依はキミと仲良くなりたいんだよ。いいじゃないか、撫でるくらい。」

「子どもは嫌いです。加減を知らない」

そう答えると彼女はあははと声を上げて笑った。この笑い方は年をとっても変わらないようで、少し安心する。

人間の時間は短く、速い。俺を猫として傍に置いてから暫くして彼女は人間の男と結婚し、子どもをもうけた。

もちろん、その時俺は最初から反対(大騒ぎ)したが彼女の意思は固かった。また他の魔族達によれば二人の付き合いは長く、そして生きる時間の長さの違う自分達には口出しする必要はないのだという。当然納得できるわけなかったが、その事を言及すると、彼女がとんでもなく冷たい目でこちらを睨むので結果的に諦めた。 

それに、彼女はいつでも俺を傍に置いてくれたから。…猫としてだけど。

それで十分だ。

「由依はきっといい魔女になる。私の次はあの子がキミの主だよ」

「何をバカな事を…!」

庭に視線を向けたまま彼女が呟く。まるで胸を貫く様な言葉がジワリと広がる。

「…るなは、もう長くない。旦那あの人と同じ病気だなんてね…残酷だよ。母親に看取らせるなんてとんだ親不孝者さ…」

「マスター…」

彼女の頬を涙が伝う。年をとって泣き虫になってしまった主は、しわくちゃの顔を更に歪ませて俺に手を伸ばす。

「鉤月」

俺の肩に腕を回して抱きしめる。

「キミは私の傍にいてね…もう置いていかれるのは沢山だ…」

「はい、マスター」

当然だ。絶対、俺が傍にいる。最期の時まで。


それから数年経ったある月の夜、魔女は俺に一番いいワインを持ってくるように言った。

以前、一番いいワインは孫娘が成人した時に…等と言っていたが、気が変わったのだろうか。

…まぁ、年寄りだからな。


 言われた通り部屋に運ぶと、彼女は窓際で月を見上げて佇んでいた。

「見て鉤月、きれいな三日月」

「…お持ちしましたけど、いいんですか?今飲んで…」

「あぁ、いいのいいの!味見よぉ~」

笑いながらグラスを受け取る。

それから、他愛もない話をしながらワインを飲んでいた彼女がふっと呟いた。

「鉤月、私が死んだら次の主の事は黒月に任せてあるからね。キミは由依を導いてあげて」

「マスター!またそんな事…っ、まだ貴女は生きているでしょう!?」

「…でもね、鉤月。人はいずれ死ぬ。それにね、思いついた時に言っとかないと!最近物忘れが酷くってねぇ~」

「マスター…」

わざと明るく振る舞っているように見えて、それ以上何も言えなくなる。

「…キミは由依が嫌い?」

「…」

黙って首を横に振ると、彼女は笑って俺の頭を撫でた。

「良かった。…でも、ごめんね、キミにひつだけ魔法をかける」

そう言うと、俺の目の前に手をかざした。目眩がして、瞼が重くなる。

「最後の魔法は、キミとあの子の為に」

抵抗しようと思えばできた。だけど、できなかった。『最後』などと言うから…

やはり彼女は『魔女』だ。

「マ、スター…」

遠ざかる意識の中で、崩れ落ちる体を彼女が強く抱き締めていてくれているのを感じた。

温かくて苦しい。


「…私は悪い魔女だね…、でもその執着はあの子にとって邪魔になる」

魔女は、眠る彼の体をそっと床に横たえると、穏やかに微笑んだ。

「キミが居てくれて楽しかったよ。ありがとう…ごめんね」


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