第66話 笹井さんは釣る

 今日から春休みだ。朝から釣りにきている。いつもの堤防は穴場なんだ、僕たちのほかに人はいない。

 沖にダイヤモンドを散りばめた僕たちの海は、いたっておだやかだ。僕の心をあらわしているな。狭苦しい池袋なんかで暮らしたら、息がつまるというもの。広い空間というのは気分がよい。胸がすくというやつだな。

「釣れないね」

「そうだな。でも、そんなことは問題じゃない」

「もしかして、ちっとも釣れないから人がいないんじゃない」

「釣れることより、人がいないことの方が重要なんだ」

「ふたりの世界にはいれるから?」

 そんな顔してた? 思ってること読まれやすすぎだろ、僕。笹井さんと折り畳みイスをならべて釣りをしている。

「まあ、あれだな。海はつながっているんだから、気が向けば魚だってこっちにくるってもんだ」

「そうなんだねえ」

 投げやりな返事。笹井さんの中の僕のポジションがカクンと2段階くらい落ちたんじゃないか。

 笹井さんは釣りをはじめたばかりだから、アタリがないとつまらなくもなるか。気持ちとしては、僕と釣りデートしているだけで楽しいと思ってもらいたいのが正直なところなんだが。

「あ、ねえ。これ、きたんじゃない?」

「うそ、笹井さんに?」

 釣りを教えてあげるなんて言った僕の立場がないんだが。

「こう?」

「そうそう、さっき教えたみたいに竿を立てて。うん、いいよ」

 笹井さんはあっさり1匹目を釣り上げた。なかなかの形のアジだ。

「ナイフで締めようか」

 あれ? 道具箱にナイフがない。

「どこいったかな」

「わたしがあげたやつ使って」

 笹井さんにもらったやつ、もったいなくない? 僕にとっては家宝級のお宝なんだが。そうも言っていられないか。

「一緒にやらせて」

 ナイフをもつ僕の手に上から手を添えてきた。いつだって僕がやってあげるから、笹井さんはやり方おぼえようとしなくていいのに。さては僕の手を触りたいだけだな。そんなわけないか。


 アジは天に召された。内臓もとって、クーラーボックスに入れる。釣ってすぐに締めておくと鮮度が落ちないのだ。おいしい刺身になってくれる。

 はっ、僕は衝撃の事実にぶち当たってしまった。

「笹井さん、まだ僕の家の合鍵もってない?」

「なんのこと?」

 おかしいだろ、笹井さんがナイフをくれて、そのあと僕がナイフがないことに気づくって。笹井さんが先に知っていたってことじゃないか。

「僕の釣りナイフ、もってったんじゃない?」

「よく気づいたね。でもよく考えて、釣り道具はどこに置いてあったの?」

「そうか、物置の鍵を開けたのか」

 物置の鍵なら簡単に開けられそうではある。笹井さんは口の端をあげてニッと笑った。いや、犯罪だからな。

「ホワイトデーの日にナイフをくれたとき、釣りをはじめたって言ったよね、はじめるじゃなくて。ということは、釣りをしたことがあったんだ。釣具屋の体験フィッシングだろ。そのときに店長の荷物に僕のナイフを忍び込ませた。笹井さんのことだからきっと、今みたいにナイフを使わせ指紋をつけて用意周到だったにちがいない」

 三原さんの事件で僕はなにもしなかったと笹井さんは言ったんだ。首を切ったのも釣具屋ってことに、笹井さんがしてしまった。

「殺したんだから、首をすこし切ったのもおまけしたってたいしたことないよ」

 そうかもしれないけど。他人に認められたいってわけじゃないから、世間的に僕が三原さんを殺そうとした事実がなかったことにされたって、僕には関係ないけど。三原さんには、殺してあげられなくて申し訳ない気持ちだ。

 でもおかしいな、僕のこと疑っているから、アリバイ聞いたり、ずっと監視したり、揺さぶりをかけたりしてくるんだと思っていたけど、ちがったんだよな。だったらなんで? と疑問になるというもの。

「七夕の日のアリバイを聞いてきたのはなんで?」

「アリバイ? 7月7日はわたしの誕生日なんだ。去年はめづらしく晴れたから星を見に行って。渡辺くんも同じ星空を見てたらロマンチックだなあと思ったんだけどね」

 星空は見たな、三原さんの病気のこと聞かされて絶望的な気分でだったけど。

 それって今いるこの堤防で見たのかな。帰りに釣具屋が三原さんを連れ去ったのを目撃したんじゃ。ということは、笹井さんが情報提供して犯人捕まえたってことか? もう探偵じゃないか。捜査というよりラッキーで犯行現場を目撃したわけだけど。

 笹井さんにアリバイを聞かれたときは嘘ついてごまかしたけれど、三原さんを殺したと告白したときに全部しゃべってしまったから、僕が三原さんを思いながら空を眺めたことはバレているんだよなあ、気まずい。


 釣りは午前で終わりにして、僕の家でお昼を食べることになっている。笹井さんが釣ってくれたアジの刺身が食べられる。たのしみだな。そろそろ引き上げる時間だ。

 風が吹いて笹井さんの髪をなびかせた。

「あっ」

 体をイスから乗り出して笹井さんの髪に手を伸ばす。髪にからまって、桜の花びらがついていた。指先にとれた花びらを確認する。笹井さんがこちらを見つめていた。目の前の花びらをあいだにして、僕たちは見つめ合った。


 いいよ、渡辺くん


 笹井さんの声がよみがえってきた。もしかして、あれって。キス? キスしていいよ、だったのでは? ということは、今も。いいのか?

 無性に緊張してきた。興奮もしている。

 笹井さんを、殺したい。

 愛らしい笹井さんを殺して自分のものにしたい。

 そうだった。僕は殺人鬼。たまたま三原さんも笹井さんも殺し損ねただけで、ふたりを殺そうとしたんだった。

 ダメだ。笹井さんをこれ以上好きになってちかくにいたら、きっといつか殺してしまう。キス、したらなにか変わるのかな。

「渡辺くん、引いてるよ?」

「えっ?」

「魚、かかってるんじゃない?」

「そうだった」

 僕は釣りをしているんだった。笹井さんと見つめ合って、ふたりだけの世界に入り込んでしまっていた。いや、僕だけの世界だったかも。


 僕はイワシを釣り上げた。とほほ。ココノの笑顔は僕のものにはならないのか。

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