第63話 亜衣さんは、ちいさい動物も好き
10日の日曜日になって駅の駐輪場に自転車をあずけ、改札に向う。改札手前の広場的な待ち合わせ場所に亜衣さんが立っているのが見えてきた。存在感はあるから目立つんだ。
背は高いし、服の趣味は派手めだし、ポジティブなオーラが出ている。あれで人を殺したと悩んでいたのは信じられないんだが。悩みも普段は気にしていないのかも。そんなの悩みではない。亜衣さんだからな。
「わたなべ、早かったね」
「まあな、ホワイトデーに遅れたらメンドウなことになると思って早めに出てきた。夜は今日のことが心配で眠れなかったぞ」
「いやいや、よく寝たでしょ。いつもよりよくしゃべってるし」
僕ってそんなに無口なのか。考えるだけで口に出していないのかもな。ハードボイルド。
改札にはいる前に飲み物を調達した。キャラメルマキアートだ。オシャレだな、亜衣さんに決められたんだが。甘くておいしいから満足だ。女の子とかかわってひどい目に会わないだけで満足だぞ、僕は。
甘い飲み物をお供に電車で移動する。ちょっとした旅行だ。
「冷凍みかんがあればよかったな」
「新幹線じゃないっつの」
亜衣さんが僕の思いどおりのツッコミをいれてくるだと? どうした、亜衣さん。心をいれかえたかな。じつは別人かも。ないな。
このままでは、亜衣さんと仲良くなるのも悪くないと思ってしまうではないかー! 僕の浮気者。笹井さんは怒らせてしまったというか、距離を置いているんだが。
動物園の入場チケットは割り勘でたすかった。ホワイトデーに含まれるかと心配してしまったが、僕のお小遣いは生き延びた。
亜衣さんは本当に動物が好きみたいだ。はしゃいで楽しそう。キリンに餌をやってテンションがあがりまくっている。
「口のなかも舌も紫だよ。血行悪すぎでしょ。味とかわかるのかな」
あいにくキリンになったことはないから知らんけど。
ゾウも満喫して、よく疲れないなと思うんだが、腹は減るらしい。
「お腹すいた!」
「突然だな」
今ゾウのコーナーを離れたところだ。
「だって突然気づいたんだもん。わたなべもなにか食べたいでしょ?」
「なにか?」
亜衣さんが指す方には平屋の建物があった。建物前の看板によるとフードコートが入っているらしい。食べ物屋を見ると腹が減るって、子供かよ。
僕は急に吉野家の牛丼が食べたくなったが、吉野家は入っていない。残念。亜衣さんのこと言えないか。
「こういうときは亜衣さんが弁当を用意しているものなのでは」
「あ痛ったー。痛いところを突いてくるね。ボクはキャンプ飯専門で、普通の料理はできない人なんだ」
「そんなのあるか?」
どうでもいいな。林間学校のときは辛すぎるカレーのせいで亜衣さんの実力をはかることはできなかったが、そんな機会は今後もいらない。
「弁当より店で食った方がうまいよな。目の前だし食っておくか」
「投げやりだなあ」
「動物園にきたんだからメシはついでだろ」
「こだわらないところが素敵」
亜衣さんはへんな価値観をもっている。腕をからめてきて、そのまま建物にはいった。
牛丼はなかったけど、麻婆丼があった。唐突に中華なメニューは意味わからんが、丼つながりで注文した。亜衣さんはスパゲティだって。こんなところでスパゲティなんて、うまいはずがないだろ。けっけっけっ。まずいって顔をするところが楽しみになった。
麻婆丼は、地獄のように熱く、魔界のように辛かった。動物園で本格過ぎる麻婆豆腐は求められていないと思うんだが。たぶん中国人が手加減なしで作ったな。
亜衣さんはおいしそうに食べていて、イラッときてしまう。
「交換しようか」
「ボクが食べているものが食べたいんだね」
そんな言い方されるとイランわ! と言ってしまいそうになるが、ここは自分を押し殺してにこやかに肯定する。
「亜衣さんのが食べたいな」
「苦しゅうない」
僕は辛くなさそうなスパゲティにありつくことができた。どれどれ。
「うん、うまいな」
おいしさはよくわからなかったけど、食べるのが苦痛ではない。
「うわっ、かっらい」
あはははは、そうなのだよ。辛くて食べていられないんだ。
「でもおいしい。やみつきになる辛さだ」
はい? おいしいことがあるか?
「わたなべ、辛いの苦手なんでしょ」
苦手じゃねえし。麻婆丼が辛すぎるだけだし。
「いいよ、ボクがこっち食べるから、スバゲッティ食べな」
なにその世話の焼ける弟もったお姉ちゃんは大変よみたいな言い方、僕だってココノという妹をもつお兄ちゃんなんだぞ。どうしてもガキっぽくなってしまうから黙っておく。
動物園午後の部は、ふれあいコーナーへ行くことになった。そうだよな、動物は触れないと。見るだけではおもしろくないな。魚だったら釣ったあと食べられるからよいのだしな。魚とはちがうか。動物園の展示動物を食べたいと言ったら怒られそうだ。
亜衣さんもウサギだのハムスターだのをなでてご満悦の様子。ちいさい動物も好きというのはお愛想で言ったわけではなかったようだ。ちいさい動物が好きじゃない人類なんていないしな。
帰りの電車でも亜衣さんは元気でしゃべっていた。僕は歩きすぎて疲れたぞ。話が途切れたと思ったらスマホをいぢっていた。スマホを操作するときは黙るんだな。
麻婆丼が辛かったくらいで、しかもスパゲティに切り替えられたし、亜衣さんと一緒にすごしたけれどひどい目にあわずに地元の駅に帰ってきてしまった。ひどい目にあわなくていけなくないんだが。僕の運気もあがってきたかな。
「今日はありがとね、わたなべ」
「いや、予想外にトラブルに見舞われなくて肩透かしにあった気分だ」
「そんなこと言って、フラグ立ったんじゃない?」
「あははは、亜衣さんはおもしろいこと言うな」
はははは。どこからかザラザラと金属がコンクリートをこするような音が聞こえてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます